きょうから…お盆の期間が始まったのん![]()
明光寺のお盆の大施餓鬼法要でこんなお話しただに。
NHKの朝ドラで「風、薫る」がやっていますが、日本初の看護婦になった大関 和(おおぜき ちか)さんと鈴木 雅(すずき まさ)さんをモデルにしたドラマです。明治時代を舞台にしたドラマです。ドラマではリンとナオミという名前で登場してきます。
二人はできたばかりの看護婦学校で学び始めます。最初の課題が、ナイチンゲール氏の英語で書かれた看護の本の翻訳でした。そこで登場してきた言葉が「オブザーブ」という言葉です。生徒たちはその翻訳ができず悩みます。そこでリンは英語のできる知り合いに相談をします。その知り合いは「観察」と訳します。そして、看護において観察が大切であることを学びます。
この「観察」という言葉は仏教の教えを由来としています。仏教では「かんざつ」と読みます。「物事のありのままを、偏りなく深く見る」という教えです。
わたしたちは自分でも気づかずに偏った見方で物事を捉えていることがあります。当たり前だと思っていることでも、当たり前ではないこともあります。
明光寺の裏には障害福祉事業所「もくせいの花」があります。四つのグループに分かれて活動をしていますが、その内のグループは、まさに看護師さんが医療的ケアと呼ばれる看護を行っています。
みなさんは、口から食事ができることを当たり前だと思っていませんか。気にしたこともないかもしれません。医療的ケアを必要とする障害者と呼ばれている方たちの中には、自分でモグモグゴックンできない人もいて、手術で直接おなかの胃や腸にパイプを通して、点滴のような方法で栄養を送って命を維持している人もいます。
それと、呼吸ができることも当たり前だと思っていませんか。「今から吸うぞ」「吐くぞ」なんて考えなくても自然とスーハスーハーと呼吸をしていると思います。医療的ケアを必要とする障害者と呼ばれている方たちの中には、人工呼吸器を使って命を維持している人もいます。
それと、みなさんは、鼻やノドにたまったタンをゴックンと飲み込んだり、ペッて吐いたりすることができると思いますが、医療的ケアを必要とする障害者と呼ばれている方たちは、自分ではできなく、ほっておくとノドにタンがつまって呼吸ができずに、そのまま命を落としてしまう人もいます。それを看護師さんが、吸引器を使ってタンを吸い出すことで命を維持しています。
仕事もしないで寝たっきりで必要のない人たちと思ったりするかもしれません。わたしも以前は、口から食事ができること、呼吸が無意識にできること、タンを自分で処理することができることを当たり前のことだと偏った見方で捉えていました。
でも、医療的ケアを必要とする障害者と呼ばれている方たちと出会い生きる姿から、食事ができること、呼吸ができることが、なんて有り難いことなのかと感謝の心を教えていただくことができました。ご家族が懸命に我が子のために力を注いでいる姿に、命の尊さを学ぶこともできました。
医療的ケアを必要とする障害者と呼ばれている方たちは、そうでない私たちに、命の大切さと感謝の心を教えてくれる、この世に必要な方たちだと気づかされました。
「物事のありのままを、偏りなく深く見る」という「観察(かんざつ)」の実践は、とても難しく、100%できる人はいないでしょう。ですけれども、物事を少しでもありのままに、偏りのなく見ることができるように心がけることで、当たり前だと思っていたことが、有り難いことだったと気づかされ、感謝の心が生まれてきます。
それが、日々の心の乱れを整える助けとなるでしょう。
合掌



















