仏教は「縁」をとても大事に考えます。縁によって人生が大きく変わってしまうので、善い縁を求めて歩まなくてはいけない、と教えているのです。
 

 「因果」という言葉は「原因と結果。原因があれば結果があり、結果が出ているのなら必ず原因があった」という仏教の考えをあらわしています。 

 しかしこの「因」と「果」は直接繋がるのではなく、その間にはやはり「縁」があります。たとえば花の種があってもそれだけで綺麗に咲くわけではなく、陽の光や土、水など様々な縁によりどのように咲くかが決まります。この事からも、縁が物事を大きく左右する事がわかります。
 

 人生には善い縁が大切だ、という教えには多くの人が納得できると思うのですが、そもそもどのような心持ちでいたら善い縁に出会うことができるのか、この点がとても気になりますね。
 この事を考える良いヒントになるお話があります。
 
 あるところにAさんという男性が住んでいました。

 Aさんは奥さんと仲が悪く、いつも怒鳴り合いの喧嘩をしていました。しかし心の中では「やはり今のままでは良くない。妻とももっと仲良くしたいなぁ」という気持ちは持っていました。
 

 一方Aさんの隣人のBさんは奥さんと仲が良く、喧嘩をしたことは殆どありません。ある日AさんはBさんを訪ね「Bさんはいつも奥様ととても仲良くされていますが、夫婦円満の秘訣はあるのですか?」と聞いてみました。
 Bさんは「ああ、それはひょっとしたら、私たち夫婦がお互い悪人だから上手くいっているのかもしれません。Aさんご夫妻はきっと、二人とも善人なんじゃないですか?」と言いました。
 それを聞いたAさんは驚いて答えます。
「何を言いますか!私の妻が善人の訳がありません。私が何をやったって、いつも文句ばっかり言うんですから。私が自信を持って、これが正しいと思っている事でもケチばっかりつけるんです。もう本当に嫌になっちゃうんですよ」
「確かにそうなのかもしれませんが、たまには奥様の声に耳を傾けたらいかがでしょうか。私たち夫婦はいつも至らないことばかりで、いつも間違ってばかりいます。二人でようやく一人前のような有様ですから、助け合わないととても生きていけないんです。喧嘩なんてしてる暇は全くないんです」
 

 Bさんの言葉を聞いたAさんはハッとします。「俺は今まで、自分が正しいといつも思っていたけれど、ひょっとしたらそういう態度が妻の心をトゲトゲしくさせてしまったのではないか」そう思って、家に帰るといつもより優しい声で「ただいま」と言ってみました。
 奥さんは妙なものでも見るような目でAさんを見て、「ちょっとアンタ何かあったのかい?」と尋ねます。
「あぁそうだよ、あったんだよ。俺は今まで自分の事を善人だ善人だと思っていたけれど、ひょっとしたらそう思っていた自分が、一番の悪人だったかもしれないなぁ。これからは改めていこうと思っている。お前とも上手くやっていきたいから、よろしく頼むよ」
 そう答えたAさんと奥さんの仲は、少しずつ良くなっていったという事です。
 

 私達も普段どうしても意地を張ったり自分勝手になってしまう事がありますが、時々は自分自身のあり方を振り返る、そういう時間が必要だと感じました。
 

 何が「善い」かは人それぞれですから、いまの自分に何が大切かが分かると、求めるべき縁も明確になってくると思うのです。

 

                       参考・寺の友社 令和5年冬号