授記は、要するにだれもの心中に深く埋蔵されている「純粋な人間性」を、釈尊ご自身が、まばたきもせず、目は暫くも捨てずして、一心に、合掌されることです。仏教の思想は、凡夫がほとけを拝む前に、凡夫がほとけから拝まれている真実を明らかにしていると、私は信じるのです。
                      松原泰道「いろはに法華経」
 
 松原泰道師は昭和を代表する名僧の1人で、「般若心経入門」は大ベストセラーになりました。臨済宗の僧侶ですが法華経にも造詣が深く、法華経に関する本も複数執筆されています。
 
 「あなたも仏になれます」とお釈迦様が保証する事を「授記(じゅき)」と言います。
 法華経ではまず「智慧第一」と称された高弟・舎利弗に授記が与えられ、物語が進むにつれて授記の対象が広がります。そしてやがて「誰もが仏となれる」事実が明らかにされていくのです。(ただし授記は予言とは異なります。努力を忘れなければ仏になれる、という保証であって、何もしなくて大丈夫、という事ではありません)。
 
 神様を拝む方は、「自分も神になりたい」と思っているわけではないと思います。しかし仏教では、仏様を拝む我々もまた仏になれると教えられています。授記とはつまり、「仏となりうる素晴らしさ」をお釈迦様が我々の中に見てくださっている、という事です。
 
 誰でも自分の人生は特別なものです。幸せでありたいと願います。しかし苦難や不運に見舞われるうちに、「どうせ自分はだめだ。誰からも期待されていない」と思い込んでしまうことがあります。
 しかし仏教では、「誰からも期待されていない」という事は決してないのです。少なくとも仏様は、「あなたも仏になれる、人を救う存在になれる」と信じて下さっています。松原師がおっしゃるように、我々が仏様を拝む前から、仏様は我々を拝んで下さっています。
 
 「自分の可能性を信じて下さい」という仏様の声を、決して忘れないようにしたいものです。
 
うるわしく、あでやかに咲く花でも、香りの無いものがあるように、善く説かれたことばでも、それを実行しない人には、実りがない。
うるわしく、あでやかに咲く花で、しかも香りのあるものがあるように、善く説かれたことばも、それを実行する人には、実りがある。
                 スプータ長老 「テーラガーター」
 
 イチロー選手が引退しました。今後破られることがないであろう大記録を幾つも打ち立てました。ちなみに私は筋金入りのスワローズファンですが、イチロー選手には大変関心があります。
 
 現役の間ずっと、試合の為の入念な準備を欠かさなかったといいます。自分の行動パターンを決め、外食でも店やメニューを地域によって固定する事により、おなかを壊すリスクを減らしたり、不味くて気分が落ち込むのを防いだそうです。
 また、球場に入ってからの準備運動、打席に入る前の動作も日々同じにし、不調だった時の原因究明をしやすくしていました。準備のパターンが同じなら、体のちょっとした異変にも気づきやすいでしょうし、体に異変がないと分かっていたら、他の原因を探しやすくなるのでしょう。
 
 偉大な成績はもちろんですが、これだけ自分を厳しく律する事ができるのはまさに驚異的な事です。我々ですと、どうしても色々なメニューを食べたくなりますし、行動パターンも変えてみたくなります。数日なら同じようにできたとしても、それを25年以上続けるのは全く不可能だと思います。
 
 引退会見のみならず、イチロー選手の言葉には含蓄と重みがありました。行為が言葉を裏付けているからです。悪いことばかりしている人がどれだけ立派な事を言っても、周りをしらけさせるか怒りを生むかのどちらかでしょう。
 
 お釈迦様は、「行いを問え」と繰り返しおっしゃいました。人の価値は生まれや肩書きではなく、行いで決まるというのが仏教の基本的な考えです(従って、「人の価値はみな平等」とは考えません。しかし「誰もが仏になる可能性を有している」「全ての命が尊い」事は強調されています)。
 
 お経を学ぶ時はただ字を追うのではなく、「お釈迦様や偉大な仏弟子の言葉なんだ」という事をはっきり認識した上で読み進めると、その深さに一層気づかされると思います。
 なお、テーラガーターは仏弟子の言葉を集めたお経です。
 
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