浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の名言です。
9歳で出家を決意した折り、「もう遅いから、式は明日にしたらどうか」と高僧・慈円が提案した時の返答がこの歌だと伝わっています。
「いま美しく咲き誇っているこの桜も、ひょっとしたら夜の嵐で散ってしまうかもしれない。明日があると思わず、いまこの瞬間を大切にしたい」という心だったのかもしれません。
我々も当然のように「明日がある」と思っていますが、それは不確かな事です。
数年前、幼い時からの友人が急な病気で亡くなりました。昔からとても優しく、リーダー的存在の人でした。お葬式では、泣けて泣けて仕方ありませんでした。
誰もが知っているように、素晴らしい人格者が若く亡くなる事もありますし、極悪人が長生きする事もあります。
この命は生まれ変わり死に変わりを繰り返すので、長い目でみれば善には善の、悪には悪の報いがもたらせられていると仏教では教えられているのです。しかしやはりいい人が短命だと、世の不条理を嘆きたくはなります。
現代人の多くは、とても忙しい日々を送っています。だからこそ、「いま一番すべきことは何か」を常に考えるのが大事だと思います。
すべき事をしてきたという自負があれば、亡くなった時の後悔は(自分だけでなく周りの人の後悔も)少なくなるでしょう。
いつか亡くなる日に、「精一杯生きた」と心から思えれば、その人生は次に続く素晴らしい日々だったと思うのです。
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