その昔、お坊さんが聴衆を前にお寺の高座で説法することから落語が始まったようです。つまり落語のはじまりは、僧侶の説法だったという訳です。
京都誓願寺のお坊さん・安楽庵策伝和尚はその一人で、仏の教えをわかりやすく伝える手段として、和尚は必ず最後にオチのついた説法を考案したのです。
おもしろおかしく仏法を説く説教師たちが登場する時代が到来し、清少納言の随筆『枕草子』にも説教師のことが述べられているくだりがあるとか。
難解な仏教を理解するための智慧が、落語というオチを楽しむ文化に発展するとは。
なんとも日本人らしい粋な発想です。