Facebookにピョコンと飛び込んできた7年前の新聞記事。


小田島雄志翻訳戯曲賞を受賞した時の取材記事だ。




そうだ。


この時語った、

長年温め続けたひとり芝居の夢が、

一昨年、2021年の冬に実現した。


大阪で生まれ、

小学一年生から

在日の韓国舞踊団“グループ黎明”に所属し、

踊り一色の日々を送っていた小さな私。


幼い子どもの耳に、微かに届いてくるある名前。


その昔、激動の昭和、

日本で本名で生き抜いた朝鮮の舞踊家がいたと言う。




朝鮮半島が産み、

日本が育て、

世界に羽ばたいた、


伝説の、

世紀の舞姫


崔承喜(さい しょうき)チェスンヒ。




この名前は、

その後、女優活動を始めた私の脳裏にヒタヒタと侵入し、こびりついて離れなくなった。


まだまだ通名(日本名)で生きる在日が大半だった日本社会で、

同じく本名で生きた私にとって

焦がれてやまない人物だ。


この人物を多くの人に知ってもらいたい。

時代は違えど、

この舞踊家の生き様は

きっと多くの人を魅了するだろう。


当時、世界中を虜にしたように。




100年の歳月を経て、

今この時代に在日として生き、

韓国舞踊を学んだ私は

勝手に自分の使命を感じた。






そしてやるならやはり、、、


同じく憧れてやまない、

同じく在日の大大大大大先輩、


鄭義信さんにお願いしたい。


10年以上前から、

鄭さんにジャブを打ち続け、

一昨年、やっとやっとストレートでノックアウト、

もとい、

口説き落とした 笑


全体初顔合わせの日


私は、期待と喜びに満ちた足取りで

意気揚々と稽古場に向かう。


がしかし、、、


膨大な台詞量と、

私が習ってきた南の韓国舞踊とは

全く違う朝鮮舞踊。



その大変さに打ちのめされ、

不甲斐ない自分に

毎日泣きながら

稽古場に通う日々




甘かった。


覚悟の上で挑んだつもりだったが、


予想を上回る大変さ。


本当に初日を迎えられるのか

不安で不安でたまらなかった。


舞台袖で、心臓が飛び出すほど緊張したのは初めてだった。


ところが、

コロナ禍にも関わらず、

入りきれないぐらいのお客様で埋め尽くされた客席。


「さあ、みょんふぁ、

いったいどんな世界に連れて行ってくれるの?」


と言わんばかりに、

私以上に恍惚としたお客様の表情を見た瞬間、

世界が輝いた。


きっと崔承喜もこの景色を見たのだと信じられ、

スーッと心が落ち着いていく。


気がつくとあっという間にステージが終わり

大きな拍手に包まれる。


演劇の力を信じれた瞬間。


信じる事の強さを信じれた瞬間。


あれから瞬く間に丸2年が過ぎた。


この公演をきっかけに大学や各所に講演会でのスピーカーとして呼ばれることが増えた。


小さな一歩で、

大きな景色が広がる。


世紀の舞姫

崔承喜を娘の安聖姫の目線から描いた

『母 My Mother』


2021年の東京で初演を明けたこの作品の次の夢は、

日本地方公演、韓国公演、ヨーロッパ、ブロードウェイと続く。


さて!


ぼんやりしてられないぞ! 笑