8月21日 お大師様(空海)の日
8月22日 新月、皆既日食、ドラゴンゲート
8月23日 論文口頭試問
8/22 朝4:30
行法終了後に提示された日本の神カード
天之常立神
8月22日 11:00
2年かけて創りあげてきた論文が
ようやく完了した。
論文作成には508坐の行法を必要とした。
密教は、
教理と実践が
一翼となり
初めて飛ぶことができる世界。
片翼だけでは
決して飛ぶことができない。
ドランゴンゲートが開く日でもあり
非常におめでたい日に完了しました。
論文を記載しますね。
興味のある方は、ご覧ください。
初めて触れる言葉
理解できない部分が、
多数あると思います。
しかしながら、
何らかの形で皆様のお役にたてば幸いです。
密教の原理 (浄厳和尚の思想と実践)
序論
常に、僧侶はどのように生き、どのように菩提を実現し、人々をどこに導くのかを真摯に問わなくてはならない。現在の寺院は本山寺院、観光寺院など大規模な寺院と、江戸時代の檀家制度をかろうじて維持しながら、葬式、法事等による経済基盤により運営している寺院に分けられる。特に過疎化の進む地域では寺院運営が不能となり廃寺が増加している。
明治時代の廃仏毀釈、戦後の政教分離により現在の仏教は、大学等の学問という分野と、檀家、信徒を対象とした布教活動に分離してしまい、学問と実践の両輪による社会活動には至っていない。その結果、日本人の宗教意識が低下し、善悪の区別が曖昧となり末法の世が現実のものとなっている。このような状況の中で私自身は、生きた人、亡くなった方も成道に導くことができる加持祈祷の力を具えた僧侶になりたい。
弘法大師空海が、菩提を求め、三密加持による法力を得て、自在無礙の方便力で衆生を導いたように、真言密教には多数の加持祈祷の効験実例がある。
そのおおもとである根本の力を探り、自身の基盤とするとともに、その力を衆生、世の中のために正しく使っていきたい。
歴史的にも現在に近い江戸時代で(現代人の感覚に近い)、資料も豊富にあり、今大師といわれた浄厳和尚に関し、大学院の授業で学ぶ事ができた。
浄厳(1639―1702)は10歳にして、高野山に登り、顕密の学をおさめ、中院および西院流の相承を受け、諸流を統合してみずから新安祥寺流を開創して密教の修法の革新を企てた。快円より受戒した浄厳は如法真言律を唱導し、河内延命寺を創設して、その根本道場とした。元禄4年(1691)、綱吉の外護をえて江戸湯島に霊雲寺を建立し、関東真言律宗の総元締めとした。かれは為政者の帰依を受けても、世俗的な権勢をのぞまず、ひたすら戒律の復興と民衆の教化に尽力した。菩薩戒を受けたもの1千余人をかぞえ、三帰戒を受けたものは60万人をこえたといわれる。三昧耶戒のなかに顕密すべての戒を統合しようとしたところに、密教者としてのかれの戒律観の特色がみとめられる。著作は『悉曇三密鈔』8巻をはじめとして百部以上におよぶ。また、かれが印刻した『秘密儀軌』8帙は、わが国における大部にわたる儀軌公刊のはじまりである。そののち儀軌の出版事業は、かれの弟子慧光の『胎蔵法儀軌』4部、法住によって長谷寺で開版されたいわゆる『享保儀軌』13冊、快道の『享和儀軌』12冊に継承されて、密教思想とその実践法の普及に貢献した(1)。
弟子蓮体が記した伝記、および浄厳の著作等を考察し、浄厳の思想形成と実践を研究することにより、真言行者の基礎を身につけ、自身のレベルでどのように実践していくのかを探求する。
1章 浄厳和尚の密教探究及び伝記(年譜)(2)について
浄厳の伝記を概観してその密教実践の特色をあげると以下の5項目になる。
1、諸流を統合して(経軌依本思想)みずから新安流を開創して密教の修法の革新を企てた。
2、如法真言律を唱導し、将軍徳川綱吉の外護を得た。
3、密教思想とその実践法の普及に貢献した(『秘密儀軌』8帙の出版、伝授)
4、江戸時代の悉曇の復興に尽力した。
5、民衆の教化に尽力した。
この5つの特色に関し、浄厳の年譜に基づき、特色ごとに実践した足跡を辿り浄厳が何を体得したのかを考察する。また、年譜表記は、浄厳の年齢表記を最初に記載する。(何歳の時に何を体得し実践したのか時系列に把握するため。)
各特色の具体的項目を以下の通りとする。
1ー1 新安祥寺流四度次第成立に関連する事柄等
1ー2 寺院建立(活動拠点)、徳川綱吉(幕府)との関係等
1ー3 民衆教化(僧俗への結縁・受明・伝法灌頂)等
1ー4 儀軌の書写、写校、校合、伝授等
1ー5 悉曇、講義、修法等
1ー6 総括
(各特色にまたぐ内容もあるので、等とする)
次第等の表記で(新撰)とあるものは、新安の聖経を意味し浄厳が新しく撰述したもの、それ以外は古安聖経を筆写したことを意味する。
1-1 新安祥寺流四度次第成立に関連する事柄等
17歳(明暦元年1655)高野山南院良意に従い四度加行を成満す。
18歳(明暦2年1656)実相院長快に従い中院流両部灌頂を受く。
19歳(明暦3年1657)釈迦文院朝遍を師として高野山の学侶に交衆した。
20歳(万治元年1658)良意に従い安流の許可を受く。
23歳(寛文元年1661)良意に従い安流の伝法阿闍梨位を受く。
29歳(寛文7年1667)朝遍法印より安流許可、伝法阿闍梨位を重受す。
32歳(寛文10年1670)頼周の怨讐、刃傷を受け南山下山。高野山住在十四年間の苦学のあり様は、厳冬にも薄い衣を着て終夜眠らず書を写し、九春の暖景にも遊遨、雑談を好まず、常に書巻を読破し、下問を恥とせず、疑問があれば質問し疑を決した。その結果、論議をするとその舌鋒に当る人はなく、五鹿の角
を摧き五十の席を重ね、天性の才智のなすところ、詩賦歌行文書が素晴らしく、師僧の朝遍法印はその才智を愛して広く儒書を求め和尚に管理させた。浄厳はこの本を昼夜に披読して一巻も読み残さなかった。また、悉曇声明を学び、法華集解、倶舎、唯識、因明、五教章等、その奥義を窮めた(3)。
34歳(寛文12年1672)『胎界初行私記』を撰す。
35歳(延宝元年1673)『十八道初行作法』、『不動初行私記』、『金剛界初行私記』を撰す。和泉神鳳律寺快円に従って菩薩戒を受け浄厳と改名する。
36歳(延宝2年1674)仁和寺尊寿院顕證に従い西院流四度加行結願。真乗院孝源に従い許可加行を始め、許可を受く。
41歳(延宝7年1679)『通用字輪観口訣』を撰す。
42歳(延宝8年1680)『受法最要』を撰す。
45歳(天和3年1683)『別行次第秘記』を撰す。
48歳(貞享3年1686)『初行作法安流(新選)』1帖を撰す。
49歳(貞享4年1687)『胎蔵界念誦次第』を撰す。
51歳(元禄2年1689)『随行一尊供養念誦要(新選)』2帖を撰す。
52歳(元禄3年1690)『真言修行大要鈔(新選)』1帖を撰す。
53歳(元禄4年1691)『大日経随行一尊供養念誦儀(新選)』1帖、『息災護摩私記(新選)』1帖、『行法軌則(新選)』1帖を撰し以後門流の定準となす。
56歳(元禄7年1694)『随行一尊供養念誦要記私鈔』巻1を起草す。
58歳(元禄9年1696)『金剛界供養念誦要法(新撰)』中巻下を撰す、『真言行者初心修行作法』を撰す。『随行一尊供養念誦要記私鈔』巻1を撰し了る。
59歳(元禄10年1697)『七支念誦随行法』を撰す
60歳(元禄11年1698)『護身法口訣(新撰)』1帖を撰す。
61歳(元禄12年1699)『七支念誦随行法口訣(新撰)』1帖を撰す。『随行一尊供養念誦要記私鈔』巻2を草し了る。
62歳(元禄13年1700)『随行一尊供養念誦要記私鈔』巻1の再治、『随行一尊供養念誦要記私鈔』巻3を草し了る。
考察
浄厳は、23歳までに中院流、安流を受法している。また、29歳で宝性院朝遍より安流許可、伝法阿闍梨位を重受するのは、宝性院門主の血脈に連なるためである。29歳で初めて実誓、意伝の二人に三宝院流の印可を授けている。安祥寺諸流一統血脈によると、良意より三宝院意教流と幸心流、及び小島流の血脈を受け、三宝院道教方を長快に受法しているからである。また、34、35歳の『胎界初行私記』『十八道初行作法』『不動初行私記』『金剛界初行私記』は、宥快記興雅註『四度口訣』という古安の最も正統な口訣に依って書かれており、私案は少しも加えられていない(4)。
上記より35歳時点で新安流の構想にはいたっていないことがわかる。
36歳~37歳で仁和寺顕證、孝源より西院流の四度許可、儀軌伝授を受け、新安への手がかり、つまり経軌依本思想が形成され始める。
ここで、新安への手がかりとなる浄厳による密教教理を、『通用字輪観口訣』(41歳新選)、『受法最要』(42歳新選)、『別行次第秘記』(45歳新選)、『真言修行大要鈔』(52歳新選)の中から取り上げ考察する。特に取り上げる内容は、「阿字本不生」、「六大無礙」、「三三平等」、等真言密教の根本教理、更には自身の基盤となる内容を取り上げたい。
41歳で行法の要である三種秘観のうち字輪観に関し浄厳は、『通用字輪観口訣(5)』で真言行者にとり必須の観法、修法を明示する。
『同口訣』では四重秘釈(浅から深の4段階で考える。)の論法で字輪観を考察する。
初重(浅略)・・梵号を用いる。
二重・・心真言(深秘)を用いる(内証)。
三重・・種子(秘中深秘)を用いる。
四重・・五大(秘秘中深秘) ア、バ、ラ、カ、キャを用る。
特に四重(秘秘中深秘)の部分では五大各々の悉曇の字義を種々の実例をあげながら明示する。ア字の字義である本不生に関し、顕教は因縁生により諸法は空であるとし、この空により生滅の執着は消滅するとするが、密教は、法佛自内証をそのままに、一切の方便を加えず、諸法は因縁生ではなく、一切諸法は本不生であるとする。本は、本来本有の義、不生は今始まって生ずるにあらず。諸法本有にして始めて生じ、始めて滅する法にあらざるが故に。縁生の義は、すべて無しと證知する。是れを永く因業を離れたりというなり(6)。
さらに煩悩即菩提の例をあげ顕密の差異ををはっきりさせる。顕教は、究竟空の因縁論で菩提まで昇華させるが、密教は、塵塵の諸法は悉く、六大を体とし、四曼を相とし、三密を用とする。生仏二界も有情非情も皆同じである。つまり、煩悩も六大、菩提も六大であり差別ないので煩悩即菩提。もっと言うなら煩悩は即ち煩悩にして一毫も改めず、生死は生死にして微塵も転ぜず、これを煩悩即菩提、生死即涅槃という(7)。
ここまで具体的に明示されるとア字本不生に関し理解が深まる。
同様にバン字 言説(聲字即実相)不可得、ラン字 塵垢(煩悩妄想)不可得、カン字 因業(諸法本有)不可得、キャン字 等空(空大五大を摂す)不可得、を遮情、表徳の二義で説き、修法の原理となる教法を教える。次に修法として旋陀羅尼門を説く。
五字門順逆に展転相摂して観ぜよ。初めにアン字門本不生不可得なるが故にバン字門自性離言(八不妄言、四妄の言の例で詳細を明かす。)説なり。バン字門自性離言説なるが故にラン字清浄無垢染(八不妄言の源は八不の妄執煩悩の塵垢より起こる。本不生際に入り四妄の言説はその境界にあらずと知れば自ずから妄執の塵垢は止息する。)なり。ラン字清浄無垢染なるが故にカン字因業不可得なり。カン字因業不可得なるが故にキャン字等空不可得(自性虚空のごとしと観じても虚空に執するな。執するは妄情である。)なり(8)。
次に逆に転じる。キャン字等空不可得なるが故にカン字因業不可得なり。カン字因業不可得なるが故にラン字清浄無垢染。ラン字清浄無垢染なるが故にバン字門自性離言説。バン字門自性離言説なるが故にアン字門本不生不可得なり(9)。
最後に無分別観が呈示される。不生の実義のみを観ぜよ。師の口伝あり。この時は字相字義を忘れてただ円明の月輪のみ在すべき、さながら円明をも執すべからず、清浄光明等をも執すべからず、ただなんとなく月輪のみを観じて無念無相になるべし。これを大空三昧という。この境地(位)は、教えの通り修行する者の得るところで有る。この教えは上根理智の人のみ此の深理を承知すべし、更に劣慧の人、及ぶ所にあらず。慎むべし。恐るべし(10)。
真言密教の肝要である、悉曇の字相字義、阿字本不生、阿字観等、事理詳細に明示され即座に自行に活かせる内容である。浄厳は41歳時点で大空三昧の位に至り、さらに新安の確立を進めていくと指摘できる。
42歳で『受法最要(11)』を撰す。阿闍梨の資格、弟子の条件、瑜伽者四威儀用心が記され、真言行者としての受法心得が説かれたのち、十八道、不動法、金剛界、胎蔵界、護摩、許可、灌頂加行に関する様々な口訣が記載される。最後に『宿曜経』による曜宿吉凶の事が述べられる。教理も含むが、実践内容を多く含む。
45歳で『別行次第秘記(12)』を撰す。『受法最要』が入門書の位置づけとすれば、この秘記はひとつひとつの行の本質を経軌に基づき見極め、実践に生かすための書である。浄厳の特色である経軌依本思想が見て取れる。新安確立に向け重要な著作である。
序に於いて浄厳は、「一座の供養を修するども、ただ字を逐てこれを読む事とする。寧ろその観行三摩地に在らんや。多くは印相正しからず、真言訛錯す。三密の中に一つも是れ密ならず。なんぞ其の悉地を成すること有らんや。(中略)ここに先ず別行の次第を抄してその観心を専らにし、その功力を知らしめ、次に一函の秘記を撰して彼の奥室を闡き彼の深旨を示す(13)。」と宣言する。
序にあるように秘記に記載されている内容は全て三密に通じ悉地を成就するための記述である。『別行次第(14)』に記載されている内容が『別行次第秘記』にどのような形で深旨が述べられているのかを最初に確認し、次に密教の根本教理である「阿字本不生」「六大無礙」「三三平等」等が各作法(関連語句は太字で表示する。)でどのように関わっているのかを考察する。次第の中から取り上げる作法は、「浄三業」「大金剛輪」「道場観」とする。以下、『別行次第』を(次第)、『別行次第秘記』を(秘記)と略す。本文部分は要約し記述する。
(1)浄三業
(次第)
蓮華合掌して五処加持、真言各一遍。先 偈を誦して曰く「稽首無上法医王 難救能救慈悲主 我今帰命恭敬請 唯願速来降道場 オン ソババンバ シュダ サラバダラマ ソババンバ シュドウカン この印真言の加持によるが故に三業清浄にして内外清潔なることを得る(15)。」
(秘記)
浄三業の句義は「一切法自性清浄なるが故に我もまた自性清浄なり。」と説く。三密観は三業各別に浄徐するに約す。今は総合して之を浄む。浄と者、今始めて浄なるにあらず。本清浄なり。謂わく一切諸法本有常住なりと覚知しぬれば、塵勞妄想も皆また本有なり。本有なるの物は生滅の法にあらず。生滅にあらざるは是過患にあらず。本来心内のこれ功徳なり。是れを自性清浄と云う。本有清浄の蓮合を結ぶこと此れ之の謂なり(16)。
考察
(秘記)に一切諸法本有常住の語句が示され諸法本不生の教理が含まれていることがわかる。また「本清浄」「本有」「自性清浄」の意味が重要である。まず浄とは今始めて三業が浄に転じた訳ではなく、一切諸法本有常住つまり全ての存在はあるべくしてある存在であり、塵勞妄想つまり煩悩もあるべくしてある存在であり、さらにあるべくしてある存在は生滅もしない。清浄も煩悩も本来より心の内にある功徳である。これが自性清浄という考え方である。四無量観の喜無量心観にも本清浄、自身清浄の言葉が出てくるので確認をする。「本来清浄由如蓮華」で以下のように説かれる。
問う。六道四生の一切有情は妄想染汗して濁穢不浄なり。何ぞ蓮華のごとしと言うや。答う。妄想染汗と見るに則ち是れ唯し縁起の相用を見て未だ本有の體性を悟らざる故なり(17)。
蓮華は煩悩の泥の中でも煩悩に染まることなく存在する。また煩悩にしても縁起、因果を離れその存在のみを極めれば(相対価値から離れる。)本有の體性に行き着くということである。
(2)大金剛輪
(次第)
契を結んで心に當てて此の観念を作すべし。盡虚空遍法界の三界生死の六趣有情速やかに金剛界大曼荼羅に入って金剛薩埵大菩薩に等同なることを得る。真言に曰く七遍(中略) 印を結び言を誦して観念するに由るが故に曼荼羅に入って三世無障礙の三種の菩薩の律儀を受得し、身心に十微塵世界の微塵数の三摩耶無作の戒禁を備う。屈伸し俯仰し発言し吐氣するに心を起こし念を動じて菩提の心を発忘し善根を退失すれども此の印契密言の殊勝の方便を以って誦持し作意すれば違犯けん咎を除いて三摩耶もとの如くしてますます光顕にして能く身口意を浄むるが故に則ち一切の曼荼羅に入って灌頂三摩耶を獲得す(18)。
(秘記)
三世無障礙とは、四重禁、三世無障礙智、三世無障礙戒の3つの意味がある。最初の2つは三世常住無為無作の義であり、3つ目は三密平等の義。二教論の下に云わく三世とは、三密三身である。次に三種の菩薩の律儀とは、三聚浄戒(止悪、作善、利衆生)であり、三昧耶の前方便である。次に十微塵世界の微塵数の三摩耶とは、三昧耶戒受得の時、発得する所の無作の功徳を言う。三昧耶戒は四重禁戒であり、初めの戒(決して邪道に陥る事なかれ。)は十方三世の一切の正法蔵の中に、2の戒(決して菩提心を捨てることなかれ。)は同じく菩薩行の中に、3の戒(決して教えを与えることを惜しむ事なかれ。)は度人門、4の戒(決して他人に不利益を及ぼす事なかれ。)は衆生及び四摂の事の中に皆無作の功徳を生するとする。
無作の戒禁とは、三業の所作ではなく無表色、非色非心、性無作の假色である。一切の曼荼羅に入って灌頂三摩耶を獲得すには、3義あり。1つは所依の義であり是の輪壇は阿字不生の心地なるが故に諸尊皆此の地を以って依となして住す。2つには周圓の義であり一相一味到於実際の人、悉く皆此処に集会する。また補闕の意味もある。3つには摧壊すの義、輪壇を見、入ったら能く煩悩業障を摧壊する。
灌頂三摩耶を獲得するとは、大輪金剛菩薩は此の三昧地を主る。理趣経の転法輪品には四部の諸尊、四曼、四印、皆此の尊に収めたり此の尊の功能端多し。法に依って更に問え(19)。
考察
三昧耶戒の四重禁戒の一つである菩提心を捨てることなかれという三昧耶戒の精神をたとへ忘れ善根を退け失ったとしても大金剛輪の印、真言の優れた作用により、誦持し工夫すれば違犯、咎めを除き、ますます光輝きよく三業をきよめ一切の曼荼羅に入り灌頂三摩耶を獲得すると説く。何故ならば曼荼羅に入って三世無障礙の三種の菩薩の律儀を受得し、身心に十微塵世界の微塵数の三摩耶無作の戒禁を備えるからである。三三平等については「三密平等の義」、三密加持については「三密三身」、阿字本不生については「阿字不生の心地」として関連語句が示される。ここには、三三平等、三密加持、阿字本不生、の教理が含まれていることがわかる。
また、行法の中で大金剛輪を行う重要性は、菩提心印言を唱え、三昧耶戒印言、四無量心観により、『秘密曼荼羅十住心論』の第十住心に入壇する準備が全て整い、いざ秘密荘厳住心に入らんという箇所で実行される修法だからである。空海は第十住心の最初に「秘密荘厳住心といっぱ、即ちこれ究竟じて自心の源底を覚知し、実の如く自身の数量を証悟するなり。いはゆる胎蔵海会の曼荼羅、金剛界会の曼荼羅。金剛頂十八会の曼荼羅是也。是の如きの曼荼羅に、各各に四種曼荼羅、四智印等有り(20)。」と説く。大金剛輪は一切の曼荼羅に入って灌頂三摩耶を獲得する修法である。浄厳が最後に法に依って更に問えと言っているが、真言行者の初心、已逹のレベルにより大金剛輪に依る曼荼羅建立の種類が種々ありますということである。行法を行う際、その行法で説かれる曼荼羅をこの大金剛輪でしっかりと築きあげると言うことである。曼荼羅を築きあげるには、三三平等、三密加持、阿字本不生、六大無礙の教理を理解しておかないと不可能である。
(3)道場観
道場観の考察に関しては、原文要約の都度、記載する。
(次第)
先づ器界観から始まる段と、如来拳印なり謂く金剛拳を以って。の二段から成り立っている。初段では、キャン字空輪雑色團形、カン字風輪黒色半月形、ラン字火輪赫奕三角、バン字水輪白色圓形、アン字地輪金色方形、ハラ字金亀、ソ字妙高山王、ケン字七金山、大鹹海、四大洲、鐵圍山の器界観を各印明で行ずる。次の段で、妙高山の頂上にある道場観が示される。また、楼閣の中の大曼荼羅の壇上観は月輪と蓮華の観想までが述べられ、その後は各尊の種三尊で行じなさいとある(21)。
(秘記)
道範の云く。道とは智、場とは理、壇とは心なり。謂く第八識所有諸法を観じ顕す。これを道場観とす。上に結界する所の(竪は地結、横は四方結)この地の上に本尊を召請せんが為に道場を建立するなり。此れに二の意有り。故に檜尾の口決に云う。世界を観ずる義、二の世界相を向かへて建立す。一には已成の佛の世界、其の修法の道場なり。二には我が成せる佛の世界、謂く念観の世界なり。是の二の世界、大小齋等に観ぜよ。(中略)當流師傳には、道場所観の本尊は法身也。法身は遍法界の故に、観ずるに随って現ずる也。行者所對の檜木の形像は、化身佛也。應度の衆生に隨って之を顕示するが故に。召請して来たす所の本尊は報身(他受用)也。浄土所住の佛身なるが故に。三身一躰にして本尊となるが故に。此の本尊に向って所願を祈求する時は之れ則ち一切の悉地速悉に成就す。此の故に終には必ず三身の印言を用うる(如来拳印オンボッキャン)也(已上安流)(22)。
考察
日々の行法を行う際、上記に関する語義と深旨を明確にする必要がある。例えば「第八識所有諸法を観じ顕すのが道場観である。」とか「道場所観の本尊は法身」「行者所對の檜木の形像は、化身佛」「召請して来たす所の本尊は報身(他受用)也」等である。まずは、次第初段の器界観の理解として以下の文書を考察する。
(秘記)
疏の十四に云く、次に壇地を観ぜよ。即翻倒して之を置け。最上に金剛輪を作し、金剛輪の下に水輪を作し、水輪の下に火輪を作し、火輪の下に風輪を作せ、風輪の下は即是れ虚空輪也。いかんとなれば一切世界は皆是れ五輪に之依って持せ所らる世界成する時は、先づ空中より風を起こし、風の上に火を起こし、火の上に水を起こし、水の上に地を起こす、即ち是れ曼荼羅の安立の次第也(23)。
考察
世界成する時はとあるように、マクロ・ミクロ宇宙の生滅、不生不滅、本不生に関する観想であり、字輪観、広観斂観に通じる観想である。記述前半が、地・水・火・風・空、ア・バ・ラ・カ・キャ、金剛輪・水輪・火輪・風輪・虚空輪、と広観を示し、後半の記述が空・風・火・水・地と斂観を示す。続いて『慈氏軌』より五大輪の形、色を述べ、『尊勝軌』より「有為の五大を去けて、無為の五大を立せよ。故に先づ曼荼羅を観ぜよ。想う時は先づ空より起きて、上に風等を観ぜよ。圖左のごとし(24)。」と説く。現代科学は量子力学により宇宙の起源を探っているが未だ解明されてはいない。その未解明部分に通じる観想がこの器界観の五大部分だと考える。宇宙の誕生、成長、終焉には様々なエネルギーが関係している。観想を通し無為の五大のエネルギーを体感することが大切であるとともに、六大無礙、阿字本不生、本有の意味が具体的に明確に説かれていると考える。
次の段で如来拳印、楼閣・壇・月輪・蓮華等による三身一体に関し説かれる。如来拳印に関しては自門の説と我寶の説を提示している。三身一体に関しては三密加持の原理が説かれている。
(秘記)
左の空は衆生の空、その上に右の空を竪つる。是れ如来の空なり。此れに法界の虚空を加えて是れ三空不二なるを道場と為する。今云く此の印の要と爲する所は浄土變為り。(中略)即ち此の三千大千世界に變じて極楽刹土と成す。七寳を地と為し、水鳥樹林皆法音を演ふ。最秘説に云く。世界の浄不浄は皆能見の心の迷悟に依る。文殊は微塵の同相を見る。身子は瓦器の異相を見る(25)。
考察
ここで重要なことは空に準拠すれば衆生、如来、法界の虚空が等しいということ。また、如来拳印を結びオンボッキャンと真言を誦し七処加持すれば極楽刹土に変ずるとあるが、これは実際に目の前に極楽刹土が出現するのではなく、文殊は微塵の同相を見る。身子は瓦器の異相を見るとあるように有意無意全ての存在を微塵(量子単位)まで極めて見れば同相であるということである。右手金剛拳の義として、悟(聖者)・智・識大(五智)・心・佛界・浄土・人(正法)・金剛・果・遮情・修生、左手蓮華拳の義として迷(凡夫)・理・五大・色・生界・穢土・法(依法)・胎蔵・因・表徳・本有、を表示し、それぞれ迷悟一際、理智不二、六大無碍、色心一体、生佛一如、浄穢即一、人法一体、胎金不二、因果無別、遮表不二、本修無二、凡聖一如、依正一体の深義ありとする。更にはこれを佛法の玄極、密教の骨髄也と定義し、如来拳印を即身成仏の密印、遍照報身の秘契とする。対極の意味を不二、一如、無碍、一体、一如、無二、無別、一際の位置付けとするのは、大空位、本不生、微塵の同相を体得してわかる内容であることがわかる。
(秘記)
楼閣・壇・月輪・蓮華等による三身一躰に関しては、質問、回答方式で論が進められる。まず、楼閣・壇・月輪・蓮華等には際限があるのかと問う。大日経、大疏一より楼閣等は遍不可得なり、際限なしであり、一切処に遍じるとする。つまり、自性本地法身の理佛、法界宮に座して常恒に演説したまう。此の故に身土皆法界に遍すとする。さらに問う。この道場観は凡夫愚縛の身中において観をなすが、これは法界宮で演説されるものと同等であるのか。十界を于茲の一身に該摂すと。実には心中所観妙高山等、法界宮と等し。心本より周辺するが故に又心中所観の本尊、即ち本地の遍一切身なり。是れ又他方来の加持受用身と無二無別なり。大疏一に云く。身平等の之密印、語平等の真言、心平等の之妙観を以て方便と為するが故に加持受用身を逮見す。是の如くの加持受用身は即ち是れ毘盧遮那遍一切身なり。遍一切身とは即是れ行者平等の智身なり。(中略)法界宮の佛身は是れ遍一切身なり。此の遍一切身、即ち行者平等の智身なるが故に心中所観の身、土、楼閣もまた一切処に遍す(唯し所観の身土楼閣のみに非ず。父母所生血肉の身にまた一切処に遍す)。他方来の本尊(報身)及び壇中安置の檜木の形像等は加持受用身なり(化身、是れ又亦加持身に攝する也。)。此の加持受用身、又即ち遍一切身の故に、心中の所観と無二無別なり。此の三身一體の故に、速やかに世間出世間の悉地を成就す。唯し道場観のみ是の如くなるに非ず。一切の所作皆、是の如く應ずべし(26)。
考察
三身一体の理論が展開される。つまり三三平等、心(我)、如来、衆生、及び身口意の三密が平等であることの論証である。三三平等は色々な所作で説かれる教理であるが、上記の道場観がオリジナルなのではないかと考える。またこの三三平等観の下には、前段の器界観が深く横たわっていることが重要である。次に、三三平等に基づき結界の横(四方結)、竪(地結)の義により加持祈祷の原理が説かれる。
(秘記)
我寳云く、横は則ち自利、竪は則ち利他なり。自利とは自身周遍法界の本有の六大四曼三密等なり。利他とは一切衆生及び施主等の為に壇を建て法を修するなり。此の如く横竪の結界の上に自身六大の塔婆を立て、即ち道場と為す也。所謂る器界須弥山等の観とは一身の支分、六大無礙四曼不離の形也。其の上に五峯八柱の楼閣有るは肝(大)心(平)脾(法)肺(妙)腎(成)五臓(即ち五智)也。(中略)法身は横、即ち自利、報化二身は竪、即ち化他也。此の化他の時に衆生を利し及び施主等の所願を祈請するなり。施主の一身、又六大四曼の體相なるが故に、我が身と無二の義、能く之を観ずべし。若し壇越出魂有らん時は、則ち施主の肝の臓にまさに愛染王、及び普賢延命、炎魔天等の種子三形等を観ずべし。然る時は則ち魂神即ち還って肝の臓に安住するが故に、速やかに延命の悉地を成するなり。謂く彼の魂神とは即ち愛染王なり。(口在り)凡そ一切の病は四大不調自り起こる。四大は則ち五臓なり。故に病患に随ひ或いは所具に随って五臓の随一に観ずれば則ち所願成辨し、病患平復(27)。
考察
ここに自利(四方結)、利他(地結)の意味が説かれ、五臓と五智の関係が説かれ、佛、自身、衆生の三平等により施主の病患に対し(施主の肝の臓ー中国伝統医学では魂の宿る場所であり、五行の木である)愛染王の種子三形等を観じ肝の臓に安住させよと説く(口伝あり)。四大は則ち五臓なりと記されていることから、加持祈祷に関しては陰陽道(陰陽五行説)、中国伝統医学との関連が重要である。ただし、原理、手法は六大無礙四曼不離、三三平等、三密加持による。最後に再度、如来拳印の金剛拳、蓮華拳の印義が説かれる。金剛拳は六大四曼三密の法、体相用、三身、四身、三部、五智を一印に具すごとが詳細に論議され、更には、此の印を智拳とする理由を三毒功徳、過患二義により説く。蓮華拳も六大四曼三密、三身、四身、五智五佛が説かれる。
以上、『別行次第』、『別行次第秘記』により浄厳の密教教理のあり方を見てきた。経軌依本による六大四曼三密等の詳細な解説、解釈、及び事相と教理が一体であることが理解できる。本題ではないが、言葉の理解に関し日本における真言密教の原点である空海の撰述書は平安時代の言葉であり、現代人が理解するにはその当時の文法、単語の知識が必要であり初心行者には難解である。それに対し、浄厳の江戸期の言葉は現代に近い、さらには浄厳の手取り足取りによる懇切な教授姿勢により初心行者にとり密教教理・事相が理解しやすい撰述となっていることがわかった。
52歳で『真言修行大要鈔(28)』を撰す。この書は真言修行の要道を浄厳の言葉により述べられた密教の真髄である。自身による問答形式で論ぜられる。修行方法で最上のものは阿字観であり、阿字本不生の実義を理解、体得することである。内容に関しては「2-2 浄厳和尚の定・慧」で考察する。
53歳の『行法軌則(新選)(29)』を撰述した時点で新安の形が整う。この軌則は、表白、神分、發願、勧請、五大願、五誓、結願作法、奉念が記載される。表白等は行法を行う目的であり、誓願であり、現代社会であれば、企業理念と同様であり社会に対する声明である。また、新安確立後の教理に関しては「2-3 浄厳和尚の実践」で考察する。
以上、新安創設に至るまでの浄厳の密教教理・事相の基礎について考察した。密教行法は常に阿字本不生、六大無礙四曼不離、三三平等、三密加持、の教理を基盤に展開することの重要性を確認した。
つづく