お若い頃から老婆の役が抜群に上手だった
偉大なる女優・樹木希林さん。
希林さんの老婆の役があまりにも自然だったので、
まだお若い方の演技だと知ったのは、
ずいぶんと後になってから。
なのですが、私の中で(たぶん多くの方も)
希林さん=老婆の印象が消えなくて・・・。
晩年お年を召した素のお姿が、
あまりに、数十年前の役のままでいらして、
「年を取らない」「時を止めている」
私の中で希林さんは、そんな不思議な女優さんでした。
施設にも、なんと!そんな猫がいるんです
2011年に原発事故が起こった際に、
避難区域にいた1匹の白銀。(白サバというの)
マリアさんがレスキューしてくれて、
「けっこうなお年だから、里親が難しいかも」と、
施設の子に。
この時は、本当にたくさんの犬猫がレスキューされ、
レスキューに奔走した活動家たちは、次に里親探しに
心血を注いでいた頃。
施設でも「里親に行けなさそうな子」をたくさん
引き受け、この「けっこうなお年の子」は、
背中に怪我をしていたので「せなか」と命名。
ケンカ猫過ぎて、これまた里親が決まらなかった
茶トラン他、20数匹と一緒に。
なので、私の中で初めの2011年から
「せなかさん=おばぁちゃん」
そして、なぜだか??
せなかさんだけは「さん」と敬称付け。
さらに、
そんな本人も初めから
「なんとなくおばぁちゃん」風。
なのですが、背中は威張ることなく、
(たいてい、ばぁさん猫は大威張りしている )
いつもいつも機嫌が良くて、マイペース。
そして、どの猫も大好き いつも誰かと一緒
病院に行くたびに
「せなかのお腹に何かできてて・・・・」
先生が、
「せなかとお腹に、何かできてるんですね?」
「いえ、お腹です」
「えっ?せなかは????」
「あ・・・すみません。名前なんです。背中って」
こんなコントのようなやり取りを生涯続け
2011年から4年後の、新しい施設でも
相変わらず「おばぁちゃん」で。
慢性的な目の炎症と鼻炎があり、乳癌や
腎不全もありながら、とても上手に病気を手名付け、
いつも大好きな外で1日の大半を過ごす・・・。
どんな相手にも物怖じせず、自分の好きな場所で
好きなように過ごす、背中さん。
相手が嫌がっても、自分が一緒にいたい子とは
絶対に一緒に寝ていた。
施設に来た当初は猫が嫌いで、
猫が近寄ると、怒って猫パンチ
をしていた
おそめちゃんのような猫とも、ご覧の通り。
おそめに威嚇されても、叩かれても、
「一緒に寝るにゃ」と誘っていた背中さんの粘り勝ち。
こうして、背中さんのお陰で、施設に馴染めた子は
たくさんいるのです。
とにかく寝るのは、大・大・大・好きで
それも、施設中のいろんな場所で爆睡
ご飯のときに、揺すってもなかなか起きない。
とか
おばぁちゃん猫は痩せているので、
小箱の中で爆睡されると、ペタンコで、
どこにいるのかわからず、探し回ったり。
そのくらい、いろいろ場所を変えて
爆睡
施設の作業のたびに、背中さんの処置をしてくれた
あゆちゃんも、ホントにいつも
背中さんを探してて・・・・・
誰にも怒ったとこを見たことのない背中さんですが、
なかなか頑固で、「ここで寝るにゃっ」と決めたら、
ベットが満員だろうが、猫の上に登って・・・・
寝る
もうかれこれ、4~5年前から点滴組。
その処置もあってか、
脱水はしているものの、食欲は落ちることなく、
口癖は「飯はまだかい」
ご飯の時間になると、いつも一番乗りで、
ご飯がもらえる作業場のケージに入りスタンバイ
「今日のご飯は何かね」
え・・・・
いや・・・背中さん。
30分前に食べたでしょ・・・
そんなことも多くなったのは一昨年くらい。
それでも、大好きな外のあちこちで
寝ている背中さんの姿は、とても幸せそうで
とてもとても微笑ましくて、可愛くて
お世話をする私たちのことも、ほんわかと
幸せにしてくれる
2011年に来たときから、おばぁちゃん。
今、2024年になっても、おばぁちゃん。
いったい・・・・
今、いくつなの
もうもうもう・・・・
背中さんって、死なないね。
ホント!ホント!
まじで猫又になるんだよ
そんなことを笑って話していたのに、
ここ最近、いきなり、急速に脱水が進んで、
目の焦点が合わなかったり、右にかしいだり・・・
食べても、食べても、どんどこ痩せていき・・・
こんな身体だったのが・・・・・・・
もうもうもう・・・・
こんなになっても、倒れながらも食べてくれて
よろけながらも、大好きな外に行き
、
ご飯も食べ、階段も登り降りして、
急に昏睡し、
あっっっ!!!!
・・・・という間に、
眠ったまま逝っちゃった
実は・・・・
こんちゃんが逝った半日遅れで、
背中さんも逝ったのです。
猫が大好きで世話焼きの背中さんらしい
逝き方です。とにかく誰かと一緒がいい
コンちゃんだって施設の子になって、
仲間がたくさんできたのですから。
いくつなのか???
わからないくらい高齢の背中さん。
この年で、この枯れ枯れ身体で
亡くなる半日前まで、階段を昇り降りし、
ご飯も少し食べ、ちゃんとおトイレで排泄し、
外で過ごし、
最期も、「誰かと一緒」という
己の信念を貫き通し、
あっぱれな逝き方です。
福島の里山からレスキューされ、13年と半年。
文句なしの幸せな人生だったね
長年、背中さんに美味しいご飯や
快適な居場所にご支援くださり、
本当にありがとうございました
コンちゃんと一緒にお引越しです
背中さんに満点の人生を
ありがとうございました。