ブッダの前で倒れているのがアーナンダ | お寺と神仏のほどけるはなし

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成田山八王子分院 傳法院にて、護摩祈祷とよろず相談をしている真言密教の尼僧です。仏教はあなたの中の「きまりをゆるめる」宗教。そのお手伝いをしています。

前回の続きで涅槃図のお話しです。

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おしゃか様の前で倒れているのは、十大弟子のひとりで

アーナンダさんです。

阿難(あなん)尊者と呼ばれたりもしますね。

 

この方、おしゃか様のいとこにあたる関係。

侍者として常に行動を共にしていて、おしゃか様の話を

誰よりも多く聞いていたので、多聞第一と呼ばれ、

おしゃか様の死後、その教えをまとめ書き残すにも一役買っています。

 

美男なため、この人目当てに大勢の女性が

寄ってきて、信者数が一気に増えた、だの、

女性との浮名を多く流した、だのとの話が残っている人。

 

それで、「イケメン」であることをあらわすため、

肌の色を白く描くというきまりがあったりします。

そうじゃない人は逆に色黒に描くのですね。

涅槃図をいろいろと見てみると面白いです。

 

以前。比○山に行った際、いろいろな仏教の物語がカラーの絵で表されていて、

そこここにいっぱいあったのですけど、

その中で描かれていたアーナンダは、

上野の西郷どんか弁慶みたいな風貌。

これはさすがに違うんじゃないか、と思ったのを覚えています。

 

さて、アーナンダは、いつもおしゃか様の近くにいて、

説法もたくさん聞いていたにもかかわらず、

おしゃか様が亡くなった時点ではお覚りを得ていないのです。

 

それで、いざ亡くなってしまうと、そのショックで気を失って倒れてしまったのだということです。

同じお弟子でも、受け入れて冷静でいた者もいたわけですけどね。

 

アーナンダは他人の悩みと、それに対するおしゃか様の受け答えばかりを聞いていたため、

自分と向き合う時間が取れなかったのでしょう。

おしゃか様の身の回りの世話もしていたわけですしね。

 

それで、おしゃか様が涅槃に入られたあと、何年かしてから覚りを得られたということ。

この方、おしゃか様の説法を後世に伝えるために、覚らずにいたのかな、

と思います。

 

そういうお役目としてね。

覚ったものにはわからない感覚ってあるのでしょう。

覚ってないから伝えられるものってあるんだと思います。

 



例えば、いま私たちが何かの勉強をして資格を取るなり技術を習得するなりして、

新しく身につけたことを誰かに伝えたいと思ったとします。

『でも、まだまだ自分は未熟すぎる。こんな状態で伝えても意味がないのでは?』

などと思って、なかなか始めない人がいますよね。

 

プロの頂点で活躍している人とくらべて、今の自分にはまだ価値がないと思い込んでしまう。

それで得たことを何もシェアしようとしない。

もっと熟達してから、

体系的にまとめて、

ちゃんとした、

体裁のいい格好になったら・・・

伝えてもいいかな、

なんて考えてしまう。

 

 

でも、違うんですよ。

シロウトが知りたいのは、初めの一歩のところ。

ゼロからどうやって0.1になったのか?

その、シロウト状態から、すこーし抜け出してプロに足を一歩踏み入れるかどうか、の

そこの心の機微を見たいのですよ。

 

心境がすっかりプロになってしまうと、その前の状態は思い出せなくなってしまうので、

プロになり切れてない人が得ている「体感」「感覚」をね、

シェアしてほしいのですよね。

 

 

アーナンダというと、そんなことを思ってしまいますね。

涅槃図御朱印

 

 

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