前回からの続き
その数日後、今度は私から母に電話した。
母はこないだはごめんと言っていた。
もうあまり記憶していることの少ない母が
覚えていたようだった。
私はそれには答えず
今度、実家に地域包括支援センターの人が
訪問してくれる件について話し始めた。
仕事と子育てが忙しい妹にも
前回、父が実家を売却すると
(売却しても行き場所がないのに)
暴走して、何度止めても
不動産会社に何度も何度も連絡してしまって
ヤクザまがいの人が来て
脅しのような態度を取られたり
何かの書類を必ず用意するよう言われたと聞き
誰が来て何を話したのか聞いても
父も母も誰が来たのかも
何を話したのかもわからないと言うので
これはいよいよまずいと思い
私もあちこち相談に乗ってくれそうな所に聞いて
これまでは両親に関することは
私一人でやってほしいという
両親の希望もあってそうしてきたが
私一人で抱えられる状況ではなく
妹に話したら
妹もさすがにまずいと思ったようで
来てくれて、4人で今後の方向性について話したところだった。
それでもまたいつものように
一度はそれで納得したように見えても
すぐ忘れてしまうのか
気持ちが変わるのか
もうこちらから連絡しちゃだめだよと
あれだけ言い聞かせて納得したように見えたのに
また父が不動産会社に連絡してしまったり
本当に気の滅入ること満載の日々だった。
そうこうしているうちに
父が浴槽で動けなくなり
でも前回の不動産屋の一件から
妹も一緒に両親のことを考えてくれるようになった。
それでか
地域包括支援センターの人が訪問してくれるので
私が同席すると言ったら
妹も休みを取ってきてくれるという。
本当に今まで一人で抱えてきたので
こうやって一緒に抱えてくれる人がいるというのは
気持ちが全然違う。
私も母も父が家の中では歩けるような状態になったということもあり
動けなくなった直後よりはずいぶん気持ちも落ち着いてきたこともあり
以前のように話ができた。
私もそうだが母も安心しただろう。
母は反対するのはわかっていたが
「心配だとは思うけど、(包括センターの人の訪問日)その日
運転していく予定だから」と言ったら
案の定
「やめて!お願いだからそれだけはやめて」って。
実家にいた頃
私は毎日運転していた。
田舎は車なしでは生活が成り立たない。
でも都市部に引っ越してから
すっかりペーパードライバーになってしまった。
頭の衰えもあるし
同い年の子も
「運転しなくていいならしたくない」と言ってた。
そりゃそうだ。
高齢者の運転が危ないと問題になっているが
50代の私でさえ
以前と比べるとどうしたって注意力が散漫になっているのを感じる。
今までは隔週の土曜日
夫に運転してもらうか
夫に助手席に乗ってもらって私が運転するかで
実家に行っていた。
でも父が浴槽で動けなくなって
いよいよ私一人で実家に行けるようにならないとと思った。
昨年、父が免許更新できなくなってから
それはずっと思っていて
私でも運転できるように
車も軽にしてもらったし
少しずつ運転の練習はしていたが
一人で運転するのはどうしても怖かった。
でも父が浴槽で動けなくなって
そう、実家の売却も
「できなくたってやるよ」と自分で言ったように
やらざるをえなくなればやるんだ。
先日、ほんの10数分のところだが
初めて一人で運転して買い物に行ってきた。
その10数分の間の手汗もすごくて
目的地のスーパーの駐車場に着いた時点で
疲れがどっと出た。
買い物もいつもは週末に夫の運転で
スーパーに行って
一緒に買い物するので
一人でカートを押してということはない。
一人で買い物するときは
歩きなので
カートは使わず
手で持ち運べるくらい
少ししか買い物しない。
出来ることを増やしたいと思った。
一人で運転している女の人を見ると
すごく憧れた。
ああやって一人で行きたい時に
行きたい所へ行けたらどんなにいいだろう。
自分一人で運転して
自分の行きたい所へ行くのが私の夢だと思い出した。
そう、最近はやりたくないことをしているだけで一日が終わっていた。
もう自分が何をやりたいのかもわからなかった。
例え義務が何もなかったとして
私、何かやりたいことなんてあるかなと
ちょうどそんな事を考えながら
無限にありそうな義務を果たし続けていた。
何かで聞いたけど
親の介護をしている人は
介護が終わったら楽しもうと思っている人がとても多いと思うけど
今、楽しんでくださいと言っていた。
NHKのドキュメント72時間で
アイスクリーム屋さんをやってたとき
そこにきたお客さんにインタビューしたら
すぐ近くに住んでいるというのに
「今日は絶対来ようと昨日から決めていた」と言っていて
なんですぐ近所なのにそんなに決心してきたんだろうと思っていたら
お母さんと二人暮らしで
娘さんであるその人が介護をしていて離れられないのだという。
限界でもうだめだっていうときは
ここのアイス屋さんに来て回復するようだった。
「なんのために生きてるんだかと思うこともある」
って言ってた。
こんなにまで追い詰められている人もいるんだ。
たった近所のアイス屋さんにさえ
決心しなければこれない。
そしてこれだけがこの人の心の支えなんだろう。
自分は恵まれていると思う。
人と比べてそう思うのは良いことではないとは思うが
人と比べてこそ実感するものだというのは
経験上感じている。
NHKの家族に乾杯で以前見かけた方は
葉山で声をかけた素敵な女性だった。
とても明るくて綺麗な方で
「ああ、葉山の奥様って感じの品の良い素敵な方だな」と思って見ていた。
絵を習いに来た帰りだという。
「やっぱり。そんな感じの人だよな」と思って見ていた。
絵の先生はご友人だという。
「やっぱりこういう素敵な人って友人も違うな~」と思って見ていた。
そしたらこの方は家で家族の介護をされていて
家を空けられないから
家でも自分で楽しめることはないかなと思って
絵を習っていると言っていた。
私がこういう72時間とか、家族に乾杯とか
家、ついて行ってイイですか?とかが大好きなのは
みんな普通の顔して
なんでもないような顔して暮らしてて
話を聞いたら「え!そうなの?!」ってくらい
みんな色んな事を抱えてて
それでも「私は大変なんです」なんて顔は全然してなくて
なんとか自分で折り合いをつけて頑張ってるんだって思うから。
母も私も疲れていたり、ストレスが溜まってしまっているときは
感情的になったり
優しくなれなかったり
そういうことはあるんだと思った。
以前もう30年以上も前にはなると思うが
友人が話していた
「バイオリズムがあるんだから
いい時があって、悪いときがあって、それが自然」って言ってたことが
ずっと心に残ってて、それをまた思い出した。
母もいつもいつもわけがわからないわけではない
この電話の日のように
普通に話せる日もある
「いつもありがとう。なるべく迷惑かけないように頑張るから」って言ってた。
「十分頑張ってくれてると思うよ。こちらこそありがとう」って電話を切れた。
いつもいつもこんな風でいられたら
お互い幸せだけど
そうじゃないときがあったって
それを否定しなくてもいいんだろうなと今は思う。
さとうみつろうさんの本に書いてあった
「感謝している間幸せ」って。
本当にそうだと思う。
感謝している時に同時に不幸を感じることはないだろう。
幸せを感じたいなら感謝すればいいんだよな。
わかっていたって怒りの最中なんかは無理だけど
そういうときがあることさえそれでいいと今は思う。