前回からの続き

-----------------------------------------------
「誰かのために生きる」という、
尋常でなく充実感を得られる生き方が一段落ついた後は、
何かに没頭せずにいられないのではないか。
(中略)
また、高齢になった親の介護をすることで、
「他者のためになりたい欲求」が
十分すぎるほどに満たされた、というケースも多い。
(中略)
四十代は仕事の面においても、
「他者のためになりたい」という欲求が沸き立つ年頃です。
(中略)
子ナシ族にとって、このように四十代は
「他者のためになりたい」という欲求が
ピークに達していた頃。
【出典:ガラスの50代 / 酒井順子 著】
-------------------------------------------------

まず

「誰かのために生きる」=「尋常でなく充実感を得られる生き方」
という感覚は私にはいまだに全くわからない感覚だ。

子供を育ててないからと一蹴されそうだが
そんな感覚を人は持っているんだと
初めて知った。

だから私にとっては
なんでわざわざ子供を産んで育てたいんだろうという
永遠の疑問がやっとわかった気がする。

今までは
「こういう人はきっと自分の事が好きで
 自分の遺伝子を残したいんだろうな
 私は自分みたいのを後世に残したいなんて
 全然思わないからな」とか
誰かの事が大好きで
この人の子供が欲しいと思ったりするのかな
くらいにしか思っていなかった。

私にとっては
出産から始まって、ママ友との付き合い、
PTA、受験、習い事、
どれも考えただけで
避けられるものなら避けたいものばかり

そしてこれは義務ではないので
避けたいなら避けてよいこと
だから避けてきた
それは少しも後悔していない
強がりだと思われても
恐らく私の場合は
きっと子供を産んでいた方が後悔していたと思う

私は酒井さんのいうように
四十代になっても
少しも「他者のためになりたい」という欲求が
ピークに達するどころか
芽生えることすらなかったが
もしこれが多くの人が共感する感覚なら
子を産み育てたいという人がたくさんいるということも
初めてわかる気がする。

そして
父はずっと人のためだけに生きて来た
可愛そうな人と思っていたし
恐らくその反動もあって
自分は人のためではなく
自分のために生きたいと
必要以上に頑なに思い続けてきたのかもしれないけど

はじめて
もしかしたら
父は私が思っているほど不幸ではないのかもしれない。
もしかしたら父も
他者のためになることが
父にとっては幸せだったのかもしれないと思った。

私は今まで「責任感の強さ」から
父がやりたくもない人の世話役を自ら買っているとばかり思っていたが
もしかしたらそうではないのかもしれない

もしそうなら、そうだったらいいなと思う。

人の価値観はそれぞれ

わかった気でいたけど
わかってなかったこと
きっともっとたくさんあるんだろうな