前回からの続き

もう両親を2人だけで住ませておくにも限界というか
本当は限界は過ぎてるのかもしれないけど
子供に迷惑をかけないように
2人だけで頑張ってくれている。

でも父ももう今年の誕生日で運転免許の更新は出来なかった。

田舎は車がないと生活は一変してしまう。

高齢者が起こす事故がニュースに出ると
そういう人を「容疑者」と呼ばないでと思ってしまうのは
自分がこっち側の立場だからで
被害者側の立場だったら
そんなことは当然思えないというのはよくわかるけど
それでも高齢者だから運転しなくてよいなら
無理して運転しないだろうが
(子が同居してるとか)
自分で運転せざるを得ないからしているんだろうにと
とても他人事とは思えない。

だいぶ話がずれてきたが
酒井順子さんの本を読んでいて
本当に今更初めて知ったことは

誰かの世話をするのが幸せという人がいるんだなと言う事。
そして子育てが終わったり、子がいない場合など
ペットで代替するというのは
世話をしたいからと言う人がいるんだなと言う事。

例えば私も40代くらいの時
初めてチワワが可愛いと思った。
地球で一番可愛いのは多分チワワだと今でも思っている。

でもその世話を自分が出来るかと考えると
やっぱりそれを飼いたいとまでは至らなかった。
せいぜいペットショップでその愛らしい姿を垣間見るくらいでいいやとなった。

植物もかなり好きだが
育てる喜び、確かにそれは私でも唯一共感できそうだが
それでも本当は野山に自然に咲く姿を
自分が出向いて行って、ちょっと見せてもらえばいいと思っている。

「野山の花をつまないでください」というような看板を見ると
「これを家で育てようと思う人がいるんだな」と思ったくらい。
この花はこの場所に順応して生きてるんだから
持ち帰ったって、生きててくれるかわからないのにって。

人の価値観はそれぞれ
私はそういう事は十分わかっている方だと思っていた。

でも
「誰かのために生きる=不幸」は
万人共通の意識だと思っていたんだなと
初めて知った気がする。

この歳になっても
まだ初めて知る事ってあるんだな
それも難しいとか新しい技術とかでもなく
自分が当たり前と思っていた観念というか
そういうの年とともに、だんだん少なくなって
器って大きくなっていくものかと思っていたけど。

何がきっかけでそういうことに気付けるかわからないし。
酒井順子さん
「負け犬の遠吠え」で有名な作家さんというくらいの認識しかなく、
実はこの方の本を読んだのは初めて。

私の読む本もかなり偏りがある。
好きな作家さんや好きなジャンルばかり読んだり。

まだまだ知れる。

そんなことも喜びだ。

次回もこの方の本からもう少し書きます。