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これからどんどん、子アリの友人には孫が生まれてくるものかと思います。
保育園のお迎えを手伝わなくてはならないとか、
七五三の費用を出してあげなくてはならなくて大変だとか、
その手の話を語る友を見て、子ナシ族から孫ナシ族となった私は、
ジェラスを感じることになるのか」
【出典:ガラスの50代 / 酒井順子 著】
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私は以前から、子育ては自分が望んで子を作り、
自分が望んですることだから
介護と一緒にしないで欲しいと思っていた。

会社も子育てと介護は同じように扱われていると
ずっと思っていた。

思っていたけどそれを口にしたことはなかった。
(文章にも)

夫の弟の子供のバレエの発表会なんて聞くと
「休日にそんなものに行かなくてはならないなんて
 本当に子どもがいなくて良かった」と
心底思っていたくらいだ。

それより何より自分が子供の頃
恐らく小学生だったか
そんな頃から
「お父さんもお母さんも子供を作ったりしなかったら
 こんなに苦労しないで済んだだろうに。
 なんで子供を作ったのかな」と
ずっと思っていた。

貧しくはあったけど、
両親からは大切に育ててもらったし
両親に恨みを抱いてそんなことを思っていたのでは全くなく
純粋な疑問として思っていたのだ。

夫婦二人だけなら
2人で働き続けて
時間もお金も自分達だけのために使って
それだったら私という子供がいるよりも
ずっといいだろうにと他人事みたいに思ってい続けていたことは確かだ。

大人になって結婚はしたいけど
子供は欲しいとは思わなかった。

母は育て方を間違えたと言っていた。

母に初めて長年抱いていた疑問を投げかけた時
「結婚したら子供を作るのは当たり前だと思っていた」
との返事だった。

「でも子供がいなくて、もしお父さん(母にとっての夫)と二人だけの人生だったら
すごくつまらなかったと思うよ」と付け足してくれた。

冒頭の酒井順子さんの言葉を見るまで
人の世話をするのが幸せという人がいるんだということを
自分は全く想像できていなかった。

冒頭のような話を聞いたら
50代の今でさえ
「自分はそんなことしなくて済んで本当に良かった」
とまだ思う。
ジェラスを感じるなんて考えたこともなかった。

53歳、今の今まで
私の中では
「誰かのために生きる=不幸」という考えしかなかったのだ。

私の父はまさに今の今までもう80代になるが
人のために生きてきた人と言っていいと思う。
「俺はいいよ」が口ぐせのような

若い頃から先輩の借金を肩代わりして
(なんでうちがこんなに貧乏だったのか知ったのは
 私がもう大人になってから母がそっと教えてくれたんだった)

自分の親と妻の親の家の中間辺りに家を建て
(これも私はたまたまそうだったんだと思っていた。)
30代前半で父も母も第一子ではないのに
親の事を考えて家を建てていたなんて
全く知らなかった。

70代で大きな病気をして手術をした時でさえ
「お父さんの人生なんだから、お父さんが自分で決めていいんだよ」と
何度言っても
「家庭の事情で」とか言って
自分がどうしたいかは主張しなかった。

その時は母と私で考えて
きっと父にとって一番良いであろうという選択を
主治医にも相談しようと父に言ったら
「先生は忙しいんだから、今更、変更できない」とか言って
「大丈夫だよ」と私は言って
ちょうど私と母が病院に行ってる時に先生が巡回してくれて
「先生、ちょっと相談していいですか?」と言ったら
すごく気持ちよく相談に乗ってくれて
当初予定していたのと違う方法にしてくれたんだ。

次回に続く