花が咲くのが面白くてずっとみていたら、焦げてきたので急いで水を差したら、ものすごい水蒸気の湯気だか煙だかが発生して、煙報知器が近所迷惑な音量できゅいきゅい鳴り出し、焦ってクイックルワイパーの柄で煙報知器をばんばん叩いた
出来上がりは最低だった。
米を炒めた胡麻油の量が多すぎて、粥は胡麻油の味しかしなかった…貧乏性でホタテ調味料をけちったのもあるかもしれないけど、とにかく油味。。
袋の中でもじゃついていた豆苗をすべてちぎって投げ込んでみたけど、救えなかった。粥特有のとろんみがなくて、米一粒一粒の回りをじゃみじゃみした嫌な感じが覆っていて、口当たりも最悪だった
1.5合炊いてしまい、処分しようか迷ったけど、大食いセコロジストは半分を夕げにした。半分は次の日の朝に食べた
一晩置いたら、味が落ち着いたというべきなのか、油と米が戦いを止めてどろどろの餅みたいな状態になっており(強いてナウシカで例えるなら、粘菌状態)、口当たりの悪さに免疫ができたのか、腹も減っていたからか、豆苗の慈悲がようやく感じられて、おいしくはないけど、完食した。はー、ホントに料理のセンス、ない。中華粥リベンジは全戦全敗だなあ。
そんなことより、なんてひどい食生活なんだ
探し物のため、いろんなサイトをななこで眺めていたら、NGOの方がバザー品を求めてらしたので、部屋の隅に転がっていた未使用箱入りスプーンセットを送ることにした。私の要らないものがどこぞのご家庭に必要とされ、その収益が世界を良くする活動に使われるって、すてきや~ん。到着が間に合わなかったり、買い手がつかなかったら、ごみにされちゃうらしいから、完全に自己満足。セコロジーはひとりよがり。郵送料も気にしない。探し物はみつからなんだけど
郵便局に荷物を出しにいったついでに、スーパーへ
私の究極の節約術は、お金がもったいないなら、うちから出ないでごはんを食べなければいいのよ、が永年首位
最近はそれをやると、リバウンドもでかいし、心が荒むことに気がついてきた
ものを買う時に、ホントに必要か?と自問すると、ほぼ、無用、の答えが返ってくるので、一人だとあまりものを買わない。おかげ様でもらった服を何年も着た切り雀、ほしかった本はいくつも絶版になり、一目惚れ雑貨には二度と会えない、自炊下手。…おかげ様なのか?
殺風景とシンプルは違うと、こないだ美輪さんがラジオでいってた。私は殺風景。それが私から地球にごみを出さない工夫だと思っていた
で、だらだらかいてきたけど、久々のスーパーでいろいろみていたら、食べなきゃ死ぬから、無駄にしないなら買っていいのだ、買わないといけないのだ!と、自分の中で食物を買う正当性と必要性が急にみつかって、ドキドキしてたくさん買ってしまった
土には返せないけど、食べたら消化する。体に取り込む。保存料も農薬も。私が生きるために必要なものになる。私が死ねば、私サイズの肉片しか残らない。燃やされたら灰サイズ。なんてすてきなの。(放射能は、残してごめんなさい)
目に入ったものを描いてみた。最近、blogに写真をのせている記録を止めたくなかったので
