両耳とも、中耳炎と言われた
風邪引きで鼻つまりぎみで行ったからだと言われた
普段からたまに音が聞こえにくくなり、唾を飲むと治ることを伝えたら、耳管?が細いのかも、と言われた
気を付けてダイビングセヨ、と言われたけど、能動的に耳抜きができないと言っているのに、その返事はどうなんだろう
スポーツの星の元に生まれなかったのだと、また諦めたくない
自分の目の前の人は、自分を映す鏡だと言う
自分の内面の平和のため、お人好しで生きていけば万事いーのだ、と悟りを開きかけていたのだが、それはただの現実逃避だと、最近思えてきた。
ひとにはいいところもあるが、それを覆すひどさもある。
最近、日々ひどさにぶつかる。勝手にぶつかり傷ついて沸いた、この怒りをどう処理していいのか、わからない
みんなが、それぞれの事情で大変だから、余裕がなくて、全体がひどくなる、というメカニズムもわかってきてしまうと、ひどさをののしって憂さを晴らそうとしても、うまく出来ない
でも、そんな人たち全てが私の分身なのだと考えると、生きてていいのか、不安になる
こんなに数多く、私も歪んでいるのか…こんなに直さなければいけないことが多いのか…死ぬまでに改善できるのだろうか…私も大勢を知らぬ間に傷つけている…死んで貝になった方がいいのではないか…でも、死んでも、名前と器が変わるだけ
誰かのひどさにぶつかる度に、泣きそうになる
ひどさ、何に変えていけばいいのだろう?
願いのためになにかを対価にすることを、我慢、犠牲、と呼ばずにいられるような、そんなひねり方を見つけたい
てなことを考えてて、結局変わらない
この鬱々悶々怒りの状態が、実は私のアライブなんだ

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