パク大統領事件と韓国について | Emma、ニュー・カマー物語♪ 

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最近、日本人の知人から度々聞かれる質問があります。
「韓国、大変ですね。朴大統領のことで」

テレビのトップ・ニュースが韓国関連になったのは、修学旅行の船が沈没した事故以来ですが、長年韓国を離れて生活していることもあり、テレビに映る一つ一つのシーンに、とても違和感を覚えてしまうのです。

何より、デモに参加している人の数。
実は、韓国が完全に軍事政権の厳しい監視体制から自由になったのは、20年くらい前からです。

それまでは政府に批判できたのは、せいぜい暇な大学生と左思想の労働組合の人くらいでした。
実は、私も(先輩に誘われ)米の輸入反対のデモに数回参加したことがありますが、今となっては、それは大学時代のモラトリアムだったなとつくづくと思います。

ある意味、長い抑圧から解放された韓国の国民は、自分達がとこまで為政者の上に立つことができるのか、試してみたいかもしれません。

しかし、正直なところ、「みんなが一つの方向に向かって走る」という韓国の文化は、自分にとって一番苦手なところでした。
テレビのデモの映像をみながら、それを思い出します。

何がそんなにいやだったかというと、他者の違う意見を認めない、そして感情的になりすぎて、いつの間にか客観性を見失ってしまうこと。

少し言い過ぎかもしれませんが、そのような大衆の燃え上がりをうまく利用できたのが
ヒトラーみたいな独裁者だったのかなと。

しかし、我が家の韓国コメンテーター夫くんによると、そのように「みんなが似たような服を着て、似たような髪型をして、似たような行動をしている」ことに対して、韓国人はプレッシャーところが、喜びすら感じているように見えるんだとか。
一理あると思います。

韓国人は(一般的に言うと)人と一緒にいることを楽しむ傾向が日本人よりも強く、また自分も相手も言いたいことを言っていい、むしろ言わないことが失礼だというコミュニケーションのやり方があると思います。

(韓国の町にあるカフェの多さをみたら、分かります。いかに韓国人がおしゃべり好きなのか)

長い間日本に暮らしていると、日本人の優しさというのは、何も言わなくても、自分と他人の弱さを理解する、謙遜さ(humbleness)からくることが分かります。

たとえば、食べる前にいう「いただきます」という言葉です。

韓国語では、「잘 먹겠습니다」という言葉がそれに当たりますが、直訳すると「(これから)よく食べます」という、自分の意志を中心におく表現になります。
それと比べ、日本語の「いただきます」は、他人の親切や好意に中心をおく表現ではないかと思います。

そのような日本人の謙遜なところを見習いたいと心底思ってはいますが、なかなか・・・。
ただ、それが行き過ぎると、自分の感情を素直に出せなくなることもあり得るでしょうね。

今日は色々と韓国に対して苦言を呈しましたが、やはり自分が生まれ育った国ですので、これからもうまくいってほしいなと心より祈っています。

ただ、「祖国」といっても、それは場所というより、そこに残された家族や友人、または町で触れあう、苦労しながらも人に無条件に与えることができる「人達」のことだと思います。

それは、日本も同じですね。
優しい人はどこにでもいるということです。

それが、日本で外国人として生きる経験から見えてきたことなのか、それとも単に年をとって悟ってきたことなのかは分かりせんが・・。

韓国の話に戻りますが、この20年間、確かに人の考え方も、経済的にも大分よくなってきたのは事実です。その中で、これからは少し立ち止まって、次の成熟した社会とはどのようなものなのか、考えてほしいと思います。

あと、朴大統領事件も、より風通しの良い社会を創るための、いいきっかけになってほしいなと願っています。