Marginal Manとして | Emma、ニュー・カマー物語♪ 

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日韓関係や多文化共生、多文化教育等に関するコンテンツを紹介します。

さっき、ジムをチェックアウトしようとしたら、ある新米の従業員から「キム様、ご利用ありがとうございました」と、とても明るい声で挨拶されました。

それを聞いて、10年ほど前のある出来事が、デジャヴのように蘇ってきました。

その出来事は、自分のなかでは「いかりや長介事件」ではなく(笑)、「いかりやキム事件」として名付けられていて、(少し大げさですが)今までの日本生活の中で、コペルニクス的な転換をもたらしてくれた、とても意味深い事件です。

昔通っていた関東のあるジムでは、チェックアウトの時に従業員がお客さんの苗字をいいながら、会員カードを返すようになっていました。

それが、ある40代の女性の番になると、いつも自分の苗字を言わずに無言でカードを渡すのです。
最初はあまり気にならなかった私も、それが数か月も続くと、さすがに腹が立ってきました。

考えてみたら、普段の生活では日本人旦那の苗字で呼ばれることが多く、たまに自分の韓国名で呼ばれる時には、微妙に違う待遇を受けることがあると、薄々と感じていました。

そういうこともあったせいか、とにかくその女性が他の日本人のお客さんと違って、自分の苗字を言わないことが気になってしようがなかったのです。

そこで、日本に滞在しているすべてのニューカーマ達の鬱憤(うっぷん)払いのためにと(笑)、私がとった行動といったら、ジムの片隅に置いてあったご意見箱に「従業員が苗字を言うのはやめてください」という紙を入れたり、また夫くんに無理やり電話をさせ「私、日本人ですが、苗字を言われるのがいやです」というとても頭のいい(笑)芝居をしたり・・・。

今となっては、「その時は本当に暇だったな」と笑ってしまいますが、一時はその状態を正すことこそが「差別のない日本を作る第一歩」であると、妙に燃えていました。

しかし、それがあることをきっかけに、嘘のようになくなりました。

ある日、その女性従業員と外でばったりと会う機会がありましたが、その時、彼女は顔一面に笑みがこぼれ、また今でも忘れられないほど、慈愛深い表情で私をみていたのです。

その時、分かりました。

彼女には何か事情があるんだなと。

その事情について聞くことはありませんでしたが、もともとその地域は在日コリアンが昔から多く住んでいたとか。

彼女が私の韓国名を言わなかったのは、もしかすると、彼女の経験からくる優しさだったかもしれない。

また、自分が思っていた「事実」というものが、どれほど危ういものだったのか、身をもって経験したと思いました。

みんな相手の心の奥まで見ることはできないし、いや、自分のことすらはっきりと見えないことだって多々あることに、気づかされました。

その事件以来、もちろん「いかりやキム事件」第2号、3号・・と事件は続いておりますが、それを機に、気持ち的には大分楽になってきたと感じています。

どこまで自分の現実を自分で作り上げることができるのか、分かりませんが、つねに色々なことに対してGray Zoneを多く持つことが大切だと改めて思いました。

そして、最近 「Marginal Man」という言葉の存在を知ったのですが、日本語では「境界人」として訳されるそうです。

二つの文化にまたがって生きている自分にピッタリの言葉ですが、どちらにもどっぷりと浸かっていない自由さと客観的な見方を武器にしながら、これからの人生を歩んでいけたらな願う、流れ者キムでした。