そんな私ですが、数日前とても笑えた出来事があったので、今日はそれについて書きたいです。
私は気に入ったフレーズをパソコンの画面の上に貼って、時々それを眺める習慣がありますが、朝起きてノートパソコンを開いたら、ありえないことが・・・。
![ドクロ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/152.gif)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150925/18/mymyemma/c6/b2/j/t02200165_0800060013435401292.jpg?caw=800)
娘が「自分に勝つ」という言葉を「自分に負ける」に書き換えていたのです。
![叫び](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/254.gif)
単なるいたずらだったのか、それとも「フラフラしている母親に対する戒め」だったのかは、分かりません。
ただ、「こらっ!!」と怒りながらも、心底では久々に笑えたことに対して、娘に感謝の気持ちが沸いてきました。
![音譜](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif)
子育ての経験がある人なら誰もが、このような出来事で笑ったことがあると思います。
しかし、最近気付いたもう一つのことは、娘からもらったのは、このような笑顔だけではない!!ということです。
育児は、「本当の自分と向き合わせ、また自分の外と内を繋いでくれる」大切なプロセスだと感じています。
「なんて頭でっかちな表現!」と思われても仕方ありませんが、この「connect」してくれるという感覚はとても大切だと思います。
どこかで「ケアすることで、自分もケアされる」というフレーズを見たことがありますが、まさにそれが子育て。
依存でもなく、パラサイトでもなく、ただ無条件に与えることで生まれる喜び。
![ドキドキ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/031.gif)
しかし、ここではけっして母性神話を強調するつもりはありません。
世の中、どれほど多くの親が完璧どころか、様々な矛盾を抱えながら生きていて、知らず知らずに自分の子どもまでを傷つけているのか。
私の10歳の娘のように意外と子どもって、言語化はできなくても色々なことをよ~~く見えているような気がします。
特に「自分に負けまくっている母親」とか。
![あせる](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif)
でも、(自分が子どもの頃、そうだったように) 子どもは「ちっぽけで格好悪い親」でもいいから、自分という存在にしっかりと向き合ってくれることが、何よりうれしいのではないかと思います。
しっかりと向き合うこととは??
それは自分と他者の「生の感情」をそのまま受け入れ、本当に「今を生きる」こと。
娘は、過ぎ去ったことでも、やってくる明日でもなく、今この瞬間を見つめ直す勇気と覚悟を私に求めているような気がします。
ここでパソコンに貼ってある、もう一つのフレーズをご紹介します。
(20年前の日記から。これは韓国語でしたので、娘のいたずらからセーフでした
![にひひ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/193.gif)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150925/18/mymyemma/c2/9f/j/t02200165_0800060013435401291.jpg?caw=800)
「人生には目標なんてない。プロセスだけが存在する」
今この瞬間というプロセスをしっかりと生き抜いて、娘がいつでも帰ってこられるような、「心のホーム」になりたいです。なります。