少し前のことですが、私のブログを読んだある方から、「書き方に違和感がなく、てっきり日本人だと思っていた」と、嬉しいことを言われました。
外国人の私が言うのもなんですが、読むことや日常会話に何不自由ないし、外見も日本人と同じなので、普段の生活の中で、自分が外国人であるということを度々忘れてしまいます。
ただ、しゃべること(特に発音)となると、あまり才能がないみたいで、少し話をしたら、外国人だとすぐ気付かれます。
自分の経験から言えることですが、外国語を完璧にマスターするには、メンタルのところまでとことん変えないといけないです。
つまり、言葉と文化はセットなので、外国語を母国語のレベルまで近付けるためには、その文化の中に体だけではなく、心もドップリ入ることが不可欠と感じます。
残念ながら、日本語と韓国語は、文化的にも、文法的にも非常に似ていることもあり、メンタル面まで変える必要性を度々忘れやすく、100%完璧に話せることが、かえって英語より難しいかもしれません。
因みに、(個人的な感想ですが)、多くの日本語・韓国語学習者は97%位までは何とか上達できますが、残りの3%(?)を完璧にクリアする人は少ないように見えます。(私もその一人なんですが・・)
私の場合、正直英語を話している時の方が、自分の間違いに厳しく、もっと完璧に話そうと努力しているような気がします。
しかし、言葉って、奥深いものだなって思います。
学生時代、半年間英語だけで話していたある先生に日本語を使い始めた時、自分が「分裂病」にでも罹ってしまったのかと悩んでいたことや、親の前では全然英語が出てこなかったことなど、違う言語の取得によって異なる自我(identity)が出来上がると考えたことがあります。
話を自分の日本語に戻しますが、嬉しいことに、最近やっと自分の不完全な日本語に対しても、開き直れるようになりました。
というのも、近頃在日外国人に関する本を読む機会が多いですが、それが、オールド・カマーの長い歴史を知ることで、ホント今自分が置かれている状況がどれほど恵まれているのか、考えさせられます。
今までのオールド・カマー達の頑張りに感謝しながら、ニュー・カマーの私も、この日本の空の下で、精一杯生きていこうと思う今日この頃です。