アメリカの大学院で勉強する、舞のもぐもぐブログ -8ページ目

アメリカの大学院で勉強する、舞のもぐもぐブログ

旧『ベナンで活動する舞のもぐもぐブログ』 

2008年6月~2010年6月の2年間、青年海外協力隊として西アフリカのベナンという国で活動しました。

2012年8月から2014年5月まで、アメリカのブランダイス大学院(Brandeis University)で国際開発学を勉強しました。

「成績が出てたよ」 という情報を聞きつけたので、
恐る恐るネットでチェックした。

すると・・全部単位が取れていた目キラキラ
最後の最後に試験で失敗して成績が伸びなかった科目もあったけど、
思ったより良かった科目もいくつかあって、
とにかくほっとして安心した。。DASH!

どうしたらC(不可)を取って、どこまでやればA(良)が取れるのか
何となく分かってきたので、春学期はもう少しうまくやれるかも。

しかし喜んだのもつかの間。
日中マイナス10度の中を出かけたからか、
美術館を4時間半も歩き続けたからか、
単位が取れてほっとして気が緩んだからか、
ひどい風邪をひいてしまったガーン 

実はこの頃、ボストンではインフルエンザが猛威をふるっており、
インフルエンザで死亡する人が去年の4倍を上回り、
ついに市長が注意公衆衛生緊急事態宣言(Public Health Emergency)をしたのだった。
緊急事態宣言のニュース(英語)

もしや・・・そういや、頭痛もひどいし間接も痛い。
これは人生初のインフルエンザにかかったか。。

日本の風邪薬を持ってきていなかったので、
ホストファミリーからいくつか薬をもらう。
念のためネットで薬の種類を調べてみると、
なんと!もらった薬のうち1つが、日本に持ち込むと「麻薬扱い」になるものだった。
でもアメリカではただの風邪薬・・怖すぎでしょ ガーン

結局5日間寝込み、一歩も外に出られず。。
クラスメイトはみんなで出かけたりしてたのに、
本当に寝ただけで冬休みが終わってしまった (-_- )

ただ、学期中に風邪ひかなかったことは、不幸中の幸い。
春学期が始まったら体を壊してる場合じゃないし、
気を引き締めて春学期に取り組まなくちゃ。


ー おまけおやしらず ー

IELTS北米奨学生として、2つ投稿をした。

黄色い花 IELTSブリティッシュカウンシル・ジャパン のFacebookページ

IELTSという英語の試験がどう留学に役に立ったか、について
https://www.facebook.com/IELTS.BritishCouncilJapan/photos...

黄色い花 ユニバーシティタイムズ (大学生向けの留学関係のフリーペーパー)

2013年4月29日号 『留学で培う3つの力』
http://info.japantimes.co.jp/u_times/pdf/vol_27/...

ユニバーシティタイムズ 留学体験記
最低気温マイナス16度・・寒い、寒すぎるガーン
でもこの日は、ボストン美術館 Museum of Fine Arts (MFA)
にクラスメイトと3人でお出かけすることになっていた。
http://www.mfa.org/

ボストン美術館は、アメリカでもトップクラスキラキラの美術館と言われ、
アジア・エジプト・ギリシャ・アメリカの美術など所蔵品が50万点を
超えるといわれている。

毎週水曜日の夕方4時以降と、年に数日入場料無料の日がある。
もちろんそういう日はかなり混むので、
ゆっくり見たいときは普通の日が個人的にはオススメ。

ファインアートミュージアム

中に入ってみると、無料ガイド、というのがあったので早速申し込むことにした。
南北アメリカ美術(18~19世紀)のコーナーを案内してもらうことに。

・『エドワード・ダーレイ・ボイトの娘たち』(1882)
美術館パンフレットの表紙にもなっている傑作。
非対称の構図が独特で、人物のポーズが画期的なのだとか。
絵の前には、絵画にも描かれた日本の壷(有田製)が置かれている。

ファインアートミュージアム

この部屋の中で一番新しい絵を見つけてみて、と言われた。

ファインアートミュージアム

そして発見サーチなんとこの部屋自体を描いた絵が。

ファインアートミュージアム

トマス・サリー『 デラウエアへの渡河』 (1819)
ジョージワシントンと軍が吹雪の中、
凍った危険なデラウエア河を渡り、イギリス軍を驚かせた。

ファインアートミュージアム

絵だけでなく部屋や家具なども。

ファインアートミュージアム  ファインアートミュージアム

チャイルド・ハッサム 『黄昏のボストンコモン公園』 (1985-86)
私も行ったことがある場所。今はビルも立ち並びずいぶん変わったようだ。

ファインアートミュージアム

無料ガイドは1コーナーのみなので、ここで終了。
とっても分かりやすくて面白いのでオススメ。

ファインアートミュージアム  ファインアートミュージアム

オシャレなブックストアを通り抜ける。

ファインアートミュージアム

しかし、ガイドが無いと何の作品に注目していいかよく分からず、
残りはさーっと眺めて見てまわった。

アジア・オセアニア・アフリカ美術

ファインアートミュージアム ファインアートミュージアム

ヨーロッパ美術

ヨーロッパの宮殿をイメージして作られた『ウィリアム・I・コック・ギャラリー』

ファインアートミュージアム  ファインアートミュージアム

モネの作品は40点を超える。フランス以外では最高のコレクションを誇るとか。

ファインアートミュージアム

ゴッホの絵。そしてどこかで見たような、有名な画家の絵がたくさん。

ファインアートミュージアム  ファインアートミュージアム

古代美術(ギリシャ・ローマ美術とエジプト美術)

ファインアートミュージアム ボストン美術館

全部見てまわって、4時間半。あー疲れたDASH!
でも見ごたえは抜群キラキラ

ここで紹介できなかった名作はたくさんあるので、
(知識が無いため素通りしてしまったものもたくさん汗
興味のある人は、ボストン美術館の公式HP の「Collections」 から
展示品のほとんどを見ることができるので見てみてねべーっだ!

それと、名古屋に姉妹館 『名古屋ボストン美術館 』 があるみたいなので
一度訪れてみてもいいかも。
3週間の冬休み雪がやってきた。
ほとんどのクラスメイト達は
意気揚々と自分の国に帰ったり旅行に行ってしまった。

ここぞとばかりに私は家に引きこもってぐーたら過ごしたが、
さすがに大晦日ぐらいは出かけないとまずいだろ
と思い、出かけることにした。

ホストファミリーの話によると、
ボストンでは 『First Night (ファーストナイト)』 という
結構大きなイベントがあるらしい。

※年末になると詳しい情報がこのサイトで見られます
 → http://www.firstnightboston.org/

1976年から続く大晦日のビッグイベントらしく、
15ドルのファーストナイト・ボタンというバッジを買うと、
コンサート・映画・劇場・博物館・イベント会場など
約40もの場所がタダキラキラで行けちゃうらしい。

結局バッジは買わないことにしたが、
とりあえず中心地のボストンコモン(Boston Common:ボストン中心部にある大きな公園)へ行くことに。

ボストン大晦日  ストリートミュージック、盛り上がってます

ボストン大晦日  期間限定で点灯されてるクリスマスツリーがきれい☆

あんなに青々としてた公園もすっかり雪景色

ボストン大晦日  ボストン大晦日

わ!ここ夏は噴水場だったのに、スケート場になってる^^

ボストン大晦日

人の流れに沿って、パブリックガーデン(Public Garden:ボストンコモンの西にある公園)
のツリーを抜けて歩いていくと・・

ボストン大晦日

コープリースクエア Copley Square というところへ着いた。
ものすごい人だかりだったので何かと思ったら、氷像が3体。
確かにキレイだけど、日本の地元の雪祭りも負けてないゾ。

ボストン大晦日 ボストン大晦日

夏は噴水だったところもすっかり様代わり。

ボストン大晦日

通りに出てみると、何やら道路の両脇にたくさんの人だかりが。何だろ。

ボストン大晦日

もしかして、オバマ大統領でも通ったりして!?』 と
わくわくしながら待っていると、パレードクラッカーが始まった!すごーい目キラキラ
結構本格的じゃん!

ボストン大晦日 ボストン大晦日
ボストン大晦日 ボストン大晦日
ボストン大晦日 ボストン大晦日  

夜7時からは、最初に行ったボストンコモンで花火が上がる打ち上げ花火 というので、
歩いて戻る。すると・・

今度はアイススケートショーをやっていた!
混雑しすぎてほとんど見られなかった。

ボストン大晦日

そして・・

ボストン大晦日  ボストン大晦日

花火を見ながら、この1年本当に色々あったなぁ・・と思って、
何だか感動してしまった。
去年の大晦日は日本にいて受験に追いこまれていた。
この1年を思うと、ここボストンで年越しできているのが、本当に奇跡に思える。

夜0時にも花火が上がるらしかったが、外が寒すぎたので家へ帰ることに。
帰ると、ホストファミリーが 『エッグノッグ Egg Nog』 という飲み物をふるまってくれた。
この飲み物は、牛乳、砂糖、溶き卵、生クリーム、シナモンなどで作られ、
クリスマスや大晦日など冬のイベントで飲む飲み物らしい。

ボストン大晦日  

締めは、ニューヨーク タイムズスクエアで行われる
年越しイベントをネット中継 で見て一緒にカウントダウン。

ところでアメリカでは学校も会社も基本は1月2日から通常営業らしく、
お正月休みというのはほとんど無い。
大晦日は、クリスマスから続いていた冬休みのクライマックスでもあるのだ。

そういうこともあってか、ボストンの大晦日は、パレードあり、コンサートあり、
アイススケートショーあり、花火ありの何とも華やかな年越しだったのだ 得意げ
秋学期の終わりに近づき、最終試験・課題提出もいよいよ大詰め (>_<) あせる

試験が2つ、そして最後の1週間で提出した課題が、
グループワークのプロジェクト計画書22ページ
経済のエッセイ1ページ、ジェンダーのエッセイ4ページ、そして
政策の提言をする課題7ページ。。

試験では最後の1人にはなるわ、終了時間勘違いして失敗するわで、まぁ散々。
課題も終わらないったらなかった。
「数時間遅れます!」とジェンダーの先生にメールして
結局9時間遅れで提出し何とか奇跡的に受けつけてもらったり。
たった4ページ書くのに何時間かかってるんだか (-_-; )

だけど、課題のおかげで勉強になったことはたくさんあった。
例えば、 『Poverty, Inequalities and Development (開発と貧困・不平等)
という授業で7ページのPolicy Paper (ポリシーペーパー)を書く課題でのこと。
興味のある問題について調べ、政策提言をしなければいけないらしいので、
うーん、何にしようかなぁと調べていると・・

2011年に起こった『東アフリカ大干ばつ』というのを見つけた目

簡単にまとめるとこんな感じダウン

カメ 2010年から2年間、東アフリカで過去60年間で最悪の干ばつ被害
カメ ソマリア・ケニア・エチオピア・ジブチで約1300万人が食糧不足に苦しんだ
カメ 2011年7月国連は、ソマリア南部で過去最悪の飢饉が起きたと発表
カメ その時ソマリアではすでに数万人の死者が出たと言われている


こんな大規模でひどいことが世界で起きてたなんて・・。
この時私は日本にいたのだけど、
恥ずかしいことに今まで全然知らなかった しょぼん

特にソマリアという国が一番被害が大きかったようなので、
国連の記事などを参考にして、
ソマリアについて詳しく調べることにした。サーチ

カエル 60%のソマリア人が家畜を育ててるが、
   牛や羊を中心に30%くらいが死んでしまった
カエル 穀物の生産量が1995年以来最も低く
    2010年に比べて翌年値段が3倍になった。
カエル 収入や資産を失った国民の4分の1(約247万人)が難民となり国外へ
カエル 16万人の子供が栄養失調となった。
カエル 5歳以下で国外へ逃れた子供のうち半分は栄養失調だった。


想像のつかない世界である。
特にソマリアは内戦も続いているため、援助が行き届かないという現実も。

ところで10年前私が大学生だったときに、
80年代に起こった大規模なタンザニアやエチオピアの飢饉について調べたことがある。
その時何となく 「きっとまた起こるだろうな」 と思った。
やっぱり起こってしまった。
本当にちゃんと対策しないと東アフリカでまた飢饉は起こるだろう。

政策提言で私は次の3つを書くことにした。

1.農業・牧畜のための灌がい設備
    農業の生産を上げるのと、干ばつの被害を減少させるため。
2.もしもに備えて食糧を蓄えておく
    食糧支援に頼りすぎないため。普段から農作物の価格調整もできるようになる。
3.インフラ強化(道路・バス・汽車など)
    田舎に食糧支援が行き届くため+農家がマーケットに行きやすくなる。

とは言っても課題の上でなら何とでも書ける。
『言うは易く行うは難し』 なのだろうな、と思う (-_- )


※もっと詳しく知りたい人はこちらのサイトが参考になるかも。
あじさい  何とかしなきゃ!プロジェクト
あじさい  Wikipedia 「東アフリカの大旱魃」で検索
あじさい  United Nations News Centre (英語)
あじさい  UNHCR  (英語)
あじさい  Voice of America  (英語)
Panning & Implementation (プロジェクトの計画と実行)』 
の授業が終わりに近づき、私達のグループは
約20ページに及ぶプロジェクト計画書の仕上げ
とグループプレゼンテーションの準備に追われていた。

最後のグループワークでは、みんなが食べものを持ち寄ってくれた。

留学:グループワーク

この頃学校では、どこそこのグループ内で口げんかがあった、
あそこのグループの仲は最悪らしい
、という噂があちこちで飛び交っていた。
実際、授業のグループ作業中、
泣きながら教室を飛び出していったクラスメイトを目撃したことがある汗

毎週何時間も顔を合わせるので、
合わなかったり、メンバーに話を聞かない人やモチベーションの低い人がいたら
そうなってしまうのも分かる。
だけど幸い、私達のグループは揉め事とは一切無縁だった。

グループメンバーは最後にこんなことを言ってくれた。

「このグループはね、みんながそれぞれ違う。
それぞれの強みがあって、それぞれが補いあって
本当にすごくいいグループだと思う。」


この頃には何とか私も自分なりの役割を見つけていた。
議論に参加してアイディアを出したり、
文章を書くことができないっていう致命的すぎる弱点ガックリを持っていたけれど、
その代わり毎回出される課題の複雑な情報を要約してメンバーにお知らせしたり、
みんなが面倒くさがる表やパワーポイントを作成したり、
提出する課題がちゃんと条件を満たしているのかをチェックしたりした。

そうやって後半は何とかグループワークに参加し、
グループプレゼンは超緊張の中、無事終わることができ、
プロジェクト計画書も自分達が納得いくもので提出できたのだった。

グループのメンバーはこんなことも言ってくれた。
「ねぇ、春学期も必須の授業が1つあるでしょ。
そこでまたこのメンバーで同じグループにしてくださいって
先生に直談判しようよ、ね、そうしよう!」



最後の授業では、先生がご飯をふるまってくれた☆
日本の学校では無いことなので、なんだか不思議な感じ。

留学:最後の授業  留学:最後の授業


この授業で最後に提出しなければいけなかったのは、
『グループメンバーの評価表』 本

グループワークに積極的に参加したか、
時間は守ったか、などいくつかの項目ごとにメンバーの貢献度を数字で、
合計が 100 になるように記入していく。
例えば、4人全員が同じ貢献度ならそれぞれ25ずつ獲得するけど、
もし1人が多く貢献したとなると、その分他のメンバーの数値が低くなる、という仕組み。

先生が、この評価表は成績をつけるときにかなり参考にすると言っていたので、
私は評価表のことをずーっと気にしていたし、プレッシャーでもあった。ガーン

そういうこともあって、「私はグループにあまり貢献できていないと思う・・」と
いつもメンバーの1人に相談していたのだ。
その人はいつも「そんなことない、マイはちゃんと貢献してる。
このグループはいいバランスで全員が同じくらい貢献してると思うよ。」
と励ましてくれていたけど、
どうせお世辞か単なる励ましだろう、と思っていた。

だけど授業の直前、彼は 「そういや評価表出さないといけないんだった」
と言って紙を取り出し、私が見ている横で
さらっと全ての項目全員分に 25 と書いたのだ。メモ

あ・・本音だったんだぁ 目キラキラ
それが本当に本当に嬉しかった。

提出したグループ課題の出来が良かったというのもあると思うけど、
他のメンバーも私の貢献度を高く評価してくれたからか、
この授業では一番いい A という成績を取ることができた。

最初は本当にどうなることかと思ったけれど、
秋学期で一番大変だったこの授業は私に、
グループメンバーとのステキな出会いと
ほんの少しの自信をくれたのだった得意げ