先生が悲痛な表情を浮かべ、深刻な面持ちでこう切り出した。
「数時間前、ボストンマラソン爆破事件が起こった」
えっ!?

授業の前は、課題に追われずっと図書館にこもっていたので、
私はこの時まで何も知らなかった。耳を疑った。
「僕の娘は、ちょうどマラソンを観にいってたんだ・・
爆破があった場所からたった2ブロック離れたところにいた。」
先生は続けた。
「2度とこんな悲惨なテロが起こってはいけない。
これからそんなテロが起こらない世の中を、君達の手で作っていってほしい。
・・お願いだ。」
14時45分頃、ボストンマラソンのゴール付近(コプリー広場)で
100m離れた2ヶ所で爆発が起きた。
3人が死亡し、250人以上の負傷者が出たらしい。
コプリー広場って、私が大晦日にパレードを見たところじゃん

あそこは何度か行ったことがある。人事とは思えなかった。
(※参考記事:『華やかなボストンの年越し』 )
この日私たちの学科では、12時~2時に
絶対参加しなければいけない卒論のセミナーがあった。
それもあってか、私たちの学科では誰も
ボストンマラソンには参加していなかったようだ。
それでも、クラスメイト達の家族や友達がすごく心配したようで、
フェイスブックのタイムラインには、クラスメイト達の
「私達は無事です!」 という書き込みであふれていた。
・・・

事件後、容疑者の兄弟の動画(マラソンの会場を歩いている姿)と
顔写真が公開された。
そして事件から3日後の深夜、マサチューセッツ工科大学(MIT)のキャンパスで
銃撃戦が起こり、警察官が1人死亡。
その後、ウォータータウン(Water Town) という街で
容疑者兄弟と警察官との激しい銃撃戦が行われ、
兄は逮捕後死亡、弟は逃走した。
MITって・・先週行ったばかりなんですけど

パトカーが何台も行き来する音が遠くから聞こえ、落ち着かない夜を過ごした。
次の日は金曜日。ウォータータウン付近の町(私の住んでる町を含む)
は完全封鎖され、屋内待機が呼びかけられた。
ウォータータウンは私が住んでいるウォルサム(Waltham)の隣町。
バスで10分くらいで着き、サンクスギビングデイの時に遊びに行った街だ。
そう、そこにはあの時招待してくれたクラスメイトが住んでいる。
ブランダイス大学はもちろんのこと、ハーバード大学など
ここら辺付近の大学は全て休校となった。もちろん会社も。
その間、警察官はウォータータウンの家を1件1件回って捜査するのだという。
その日の5時間の授業がキャンセルになりほっとするものの、
落ち着かなくて結局何も手につかない。
インターネット生中継とツイッターで最新ニュースを何度も何度もチェックする。
平日の日中に、車がほとんど通らず静まりかえっているのは、異様な光景だった。
いったいどうなってしまうんだろう・・怖いなぁ・・

ふと家の窓から隣の家を見ると、
のん気に庭の花



日が沈み、とうとう夜になった。
犯人が見つかった、というニュースが飛び込んできたので、
ネット中継で犯人逮捕の瞬間を、かたずを飲んで見守った。
まもなく自宅待機令が解け、
外出できないうっぷんがたまっていた人たちは
ボストンコモンという大きな公園に集結し、大喜び

その様子もネットで中継されていた。
まるでお祭り騒ぎかコンサート並みのはしゃぎっぷり。
大晦日のときよりも盛り上がってるんじゃないか、というほど。
その様子を見て、初めて
「何かがおかしい」 という大きな違和感を覚えたのだった。
その時、あの容疑者兄弟は犯人ではなかったのかもしれない、
という考えが急に浮かんだ。
根拠なんて全く無いし、なんでそう思ったのかは分からない。
ただ、犯人だという確かな証拠を見ていないから何ともいえない、と思ったのだ。
万が一犯人じゃなかったなら、どれだけかわいそうなことをしたのだろう。
もし私が無実の罪をきせられたら、どれだけの人がかばってくれるのだろう・・
そんな考えがどうしても頭から離れない。
違和感を覚えたのは私だけではなかったのかもしれない。
爆弾テロ捏造疑惑が出回ったのは、その数日後のことだった。