最後の活動日。
実はちょっと前にこんなことを言われた。
「最後のフェット (お別れパーティのようなもの)
はいつやるんだ?」
「前任者がイヤリングとTシャツを
メンバーにプレゼントしていった。
だからマイも何か残していけ。
自分達も何かプレゼントを用意して
プレゼント交換をするんだ。」
・・・いやいやいや、どうして私が。
グループのために自分の時間や労力を
こんなに費やしてきたのに
どうして私がメンバーにご飯をふるまって
プレゼントを渡すのを強制されないといけないのか。
「私は前任者とは違う。正直言ってやりたくない。
私はプレゼント残していかないから、
私のプレゼント買わなくていいよ。
それにどうせ会のお金を使うんでしょ?
そういうお金の使い方はよくない。
活動に使うべきだよ。」
ご飯が目当てで形ばかりの (ように見える)
ベナンのフェットが、私は最後までどうしても好きになれなかった。
ご飯を出せば人は集まる。
でもいったいそのうちの何人が
私との別れを心から惜しんでくれるんだろう、
と思うとどうしても最後にフェットをする気になれなかったのだ。
・・・でも、なんだかんだ言って流される私。
結局いつものように押し切られてしまった><

当日は、視覚障害者グループのメンバーだけ呼んで
予算をできる限り抑えて、こじんまりとしたものにした。


参加したメンバー自体は15人だけなのに、
ここぞとばかりにメンバーは子供を連れてくる。
その子供が私よりもたくさんご飯を食べるので
30人分用意したご飯があっという間になくなった。
ベナンの子供・・・恐るべし。


ご飯を食べ終わったあと、
「今からプレゼント贈呈をします」
というかけ声のもと、テーブルの上の布がさっとどけられた。

・・・でかい。
これ、大きすぎて日本に持って帰れないんじゃ・・。

おそるおそる空けてみる。
ドキドキ。
違う意味で、ドキドキ。
こわいよ~

そして。
じゃ~ん。

つい、笑ってしまった。

私の名前入り。 (下に書いてあるの、見える??)
アフリカらしいけど、
せめて上は着ていてほしかった (;^_^A
(※後から聞いた話。
これはアフリカ人女性の伝統的な姿らしい。
昔は結婚が決まるとつぼを抱えて
水を汲みに行っていたのだそうだ。
なのでモデルはアフリカ人女性。
私の名前はただ記念に書いてあるだけらしい・・そりゃそうだ)


その後は、メンバーが写真やさんをわざわざ
呼んでいたので、写真撮影会が始まった。
全体写真の後、私が1人1人のメンバーと写真を撮る。
私の後ろにちょっとした列ができて、
ちょっとした人気者気分。
1枚400フラン (約80円) かかるのにもかかわらず、
一緒に写真を撮ってくれようとした
メンバーの気持ちが嬉しかった。

結局最後までバタバタ

感傷に浸る暇など1瞬も無く、
メンバーが帰って静かになり
まさに 「嵐の後の静けさ」 であった。
結局2年を振り返れば、
最初から最後までずっとこんな感じだったな・・。
「やっと終わった」
という思いだけが残った。
まぁ、でもメンバーが嬉しそうだったし
喜んでくれたからよかったよ。
ふぅ

こんな風にして、私の視覚障害者グループとの
活動は終わった。
彼らと一緒に活動することは
思った以上に大変なことだったけれど、
本当に、彼らは私の人格を鍛えてくれた。
そして、私の持つ 「視覚障害者のイメージ」 を
根底からくつがえしてくれた。
目に障害を持つだけでも大変なのに、
ベナンで生まれ暮らしている彼ら。
これからも大変なことはたくさんあるだろうけど、
いつまでも元気でね。
たくさんの経験を、ありがとう。
~後日~
私からのプレゼントは、ブレスレット。
準備が間に合わなくて、直接渡せなかったけれど
喜んでくれたようだ。

グループの名前 (3ACA) とメンバーそれぞれの名前が入っている。
実は、これは事故などに合ったときに
身分証明にもなる優れものである

ベナン人の友達にアドバイスをもらったのだけれど、
ベナンならではの発想だと感心させられた。
~ブレスレットを作る様子~
予算はオーバーしまくったけれど、
最後だし、ま、仕方ないか・・ (;^_^A