冷静にこれまでのことを振り返ると、
「全てのことは無駄ではなかった」
と思えるようになった。
確かに、会長の問題は私が赴任したときからあり、
会長に 「個人的にキーホルダーを作らない」 と
たったこれだけのことを言わせるために1年もかかったのか、
と思うと心底がっかりする。
今まで議論に費やした時間と労力は相当なものだし、
全く活動が進まなかったこの2ヶ月間を考えると、
犠牲にしたものはあまりにも大きかった。
けれど、失ったものばかりではなかった、と今は思える。
自分ではどうすることもできず、
10人以上のベナン人に相談をした。
多くの人が親身になって、助けてくれた。
自分がすでに1人ではないと気づけた出来事だった。
今まであまり話すことの無かったグループのメンバーとも
会長を介さず初めてたくさん話した。
いつも流されてばかりいると思っていた彼ら1人1人にも、
それぞれ意見があるということを知った。
その過程で得たことは、
「色んな文化や価値観があったとしても
道徳的な部分はやはり世界共通である」
という確信である。
そして、反道徳的な行動に出会ったとき
自分がどうするか、ということ。
いくらでも妥協し問題を流して
活動を前に進めることはできたが、
私にはどうしてもそれができなかった。
大げさかもしれないけれど、例えば自分が死ぬとき、
自分の信念を曲げてまで手に入れたものを自慢するより、
どんなことがあっても自分は信念を曲げなかった、
と胸を張って言いたいと思ったからだ。
気持ちよく働けなければ、意味が無い。
・・結局、前も思ったけど
私は会長以上に頑固なのである。

視覚障害者グループで、1つの問題を解決するために
こんなに話し合ったことは
実は初めてだったのではないだろうか。
彼らと共に何度も何度も根気よく話し合い、
1つの大きな問題を解決できたことは
私の中でとても大きい。
私自身が辞める覚悟だっただけに、
今まで通り活動できることが、単純にうれしい。
色々あったけど、
最後に残ったのは感謝の気持ちだけだった。
