北海道百名城の旅(4日目)
ホテル近く、松風町乗り場から函館市電に乗り五稜郭公園前で下車、コンビニでお茶や飴などを買って5分ぐらい歩いてたとき、財布が無いことに気づいた。一瞬焦ったがコンビニに忘れたと思い急いで戻る。幸い、店員がビニール袋に入れて保管してくれてた。もし、誰かに盗られてたらと思うとぞっとする。免許証、クレカ、現金がパーだ。財布を出してからスマホ内の電子マネーで決済しようとしたとき、台の上に置いたままだったのだ。前も京都に行ったとき、カプセルのロッカーに帽子を忘れ、一度戻り、今度は時計を忘れ二度も戻った。扉の中に入れてたのさえ気がつかない。もうしっかりボケてきましたね。元々のんびりした性格、これからは指さし呼称をする癖をつけないと・・・・ホッとして五稜郭に向かいました。まずは五稜郭タワーで全体を見よう新政府軍と旧幕府軍との最後の戦闘「箱館戦争」の舞台となった場所。ヨーロッパの城塞都市を参考とした星形の西洋式城郭で、現在は五稜郭公園として一般に開放されています。函館奉行所東方面南方面(函館山が見える)土方歳三像馬だし部分、外堀の橋から城内へ・・五稜郭の中心に建つ「箱館奉行所」は、かつて江戸幕府の役所として利用された庁舎の1/3の規模を復元したもの。奉行所内は見学が可能で、当時の箱館奉行所の役割や箱館戦争の解説、また奉行所復元までの道のりなどを紹介しています。西洋式だが石垣は日本の技術を用いている。稜堡と呼ばれる5つの突角を配し、星形五角形を呈する外観から五稜郭と呼ばれています。7年の歳月をかけて元治元(1864)年に竣工した我が国最初の西洋式城塞・五稜郭は,2年後の慶応2(1866)年に付帯施設を含む全ての工事が完成しました。慶応3(1867)年の大政奉還を経て明治新政府へ引き継がれるまで、蝦夷地における政治的中心地として重要な役割を果たしてきましたが、明治元(1868)年10月、榎本武揚率いる旧幕府脱走軍により占拠され、箱館戦争の舞台となった後は役所としての機能を失い、明治4(1871)年には旧箱館奉行所庁舎および付属棟などの関係施設も大半が解体されることとなりました。明治30年まで明治政府陸軍省の所管となり,大正3年からは「五稜郭公園」として一般開放され、昭和27年には「五稜郭跡」の名称で特別史跡として国の指定を受け、以後国民的遺産として保護・保存の措置が図られ、花見時期の約1,500本のサクラは、函館公園とともに桜の名所となっています。<公式サイトより>箱館奉行所は、幕末の箱館開港に伴い、北方警備や諸外国との応接の場として設置された江戸幕府の役所。元治元年(1864)、箱館山山麓から五稜郭内に新築移転。箱館奉行所を防御するために五稜郭は築造された。箱館戦争後の明治4年(1871)、奉行所庁舎は明治政府により解体されてしまったが、平成22年(2010)、約140年の時を経て、可能な限り資料に忠実に当時の工法・同じ産地の材料を使用し、かつての場所に全体の3分の1が復元された。館内では72畳の大広間などで江戸時代を体感できるほか、五稜郭の歴史や復元工事の様子を知ることができる。<公式サイトより>五稜郭内から外周を半分歩き、近くの「北洋資料館」へ・・シロクマトドセイウチ、アザラシ、オットセイサケ・マス漁業,カニ漁業、などの北洋漁業の資料が展示されている。くじらのひげ捕鯨銃その後、市電で函館駅に戻り、今度はバスで少し離れた空港近くの「トラピスチヌ修道院」に行った。日本初の女子観想修道院として1898(明治31)年に創立された「厳律シトー会天使の聖母トラピスチヌ修道院」。函館山と中心市街地を挟んで対面する高台に、ひっそりとたたずんでいます。発足当時は、1893(明治26)年にパリ外国宣教会のアンドレ・ベルリオーズ司教が70ヘクタールの土地を購入して建てた旧孤児院を使用していました。1903(明治36)年、一夜の大嵐で木造の修道院は崩壊し、その2年後に、レンガ造り2階建ての本館正面棟の一部が完成しました。1913(大正2)年までに竣工した本館正面棟と聖堂は、1925(大正14)年に発生した火災で焼失。教皇ピオ11世からの義援金や各修道院からの寄付金で、1927(昭和2)年に再建されたものが現存しています。煉瓦の外壁、半円アーチの窓などゴシックとロマネスクの混在するデザインが印象的です。修道女らは祈り、労働、聖なる読書を日課の3本柱に共同生活を送っています。祈りは3時半の起床から、19時45分の就寝までに7回。生計を立てる収益事業として製造するマダレナケーキやクッキーは、修道院を訪れた際の土産物として人気です。立ち入ることができるのは前庭のほか、売店に併設する資料室を見学でき、院内での生活や修道院の歴史などを紹介しています。<公式サイトより>聖ミカエル・・日本にキリスト教を伝えた聖フランシスコザビエルは聖ミカエルを日本の保護者と定めました。慈しみの聖母マリアこの祭壇は中国北京にあった「慰めの聖母」トラピスト修道院から贈られ、1968年まで当修道院聖堂で毎日のミサのため用いられていたものです。(説明文より)これより先には入れない。その後、一度ホテルに戻り、少し休んでから手ぶらで再度リベンジの函館山へ・・今度も駅からバスで山頂まで行く、ロープウエイでは十字街まで市電で行き、少し歩いて乗り場まで行かないといけない、しかもロープウエイ料金は往復1800円、待ち時間もあるだろうし・・・(バスは片道700円でした)早めに行ったつもりでもすでに人がいっぱいで肉眼では見えない人も・・・自分はなんとか柵あたりを確保しました。かろうじて手を伸ばして両側の海を入れた撮影ができる。自分は見えない。前を陣取っていた中国人が帰っていきました。おかげで2列ぐらいまで進入放送ではロープウエイは5分おきに出るが、待ち時間は30分ぐらいになるらしい。バスは最終8時半まで20分間隔、7時50分のバスに乗って(立っていたが待ち時間ゼロ)帰りました。空が完全に暗くなるまではいなかったが、空港の大パネルでも空が分かる夜景だったからそれぐらいがいいのかも・・・・?駅前に戻り、最後の函館の夜を楽しむ。こういう庶民的なところがいいかも・・にしん亭またまた「函館塩ラーメン」ここでも「イカ焼き」を注文、どうも自分はイカが名物の感がある。松前町では地元のおばちゃんから買った「松前漬け」細く切ったイカがメイン。(ツブ貝入りとホタテ入りを購入)地元のスーパーで買うと海藻がメインでイカは少しだけ・・・。生ビールといえばどこも「サッポロクラシック」が出てきます。ホテルの帰り道、ひときわ目立った居酒屋を写してみた。道路中の公園も毎日屋台が並んでました。みなさん満喫してますねえ、年寄りはほとんどいなかったけど・・・・・。