こんにちは(^^)


 

ninoです。

 

 

▽初めましての方は

コチラをお読みください

 

 

 

 

私が小学生の頃

 

女の子をいじめたり

 

学校で問題を起こしたことがあった。

 

 

 

 

そんな問題児だった私について

友達のお母さんから

 

 

「どうやったらninoちゃんみたいな子が

育つの??」と

 

 

私の母は

言われたこともあったらしい。

 

 

 

 

 

だけど、私の母は

 

 

 

「こうしなさい」

 

「友達と仲良くしなさい」

 

「勉強頑張りなさい」

 

 

 

 

などと私を強制する言葉を

かけたことは私の記憶にはない。

 

 

 

 

そんな母は

私に「冷たいと感じるかもしれないけど、

子供は子供の問題だから」と言っていた。

 

 

 

 

私は幼い頃から

ママっ子で、たくさん甘えたくて

ひっつきたくて

 

 

少し冷静な母の気を

いつも引きたかったことを覚えている。

 

 

 

 

だけど大人になってから

 

 

 

愛の与え方や

感じ方は形は人それぞれ違う

 

 

ということを知った。

 

 

 

 

 

 

私は今まで

私に合わせてくれて

 

気を使ってくれてくれる人

 

●言葉で愛情を伝えてくれて

喜ぶことをしてくれる人

 

●一緒にいてくれる人

 

●自分のことよりも人のことを考える人

 

●なんでもいいよいいよと言ってくれる人

 

 

優しくて愛情深い人だと思っていた。

 

 

 

 

 

 

でもね、この概念の中だけで

生きていると

 

 

 

●私に合わせてくれない人は優しくない人

●私に気を使えない人は優しくない人

 

●一緒にいつもいてくれなくて

自分の時間を大切にする人は愛情が薄い人

 

●周りのことよりも自分を優先する人は愛情が薄い人

 

 

 

そうジャッジメントを

していたと思ったんです。

 

 

 

〇〇だから優しい人

〇〇じゃない人は優しくない人

 

 

 

 

 

 

 

それって真実じゃないよね。

 

 

 

 

どんな人も優しくて愛情がある部分は

必ずあるものなのに。

 

 

 

 

 

だからその時に

母の愛情を再確認したのを覚えている。

 

 

 

子供に干渉しなかったのは

私を信じてくれていたからだし

 

 

一緒にいる時間よりも仕事を頑張っていたのは

兄や私を留学や進学させたり

希望の未来を応援するためだったに違いない。

 

 

 

 

相手が心配からだと

相手に口を出したり

 

相手を抑制しようとしたり

コントロールすることは簡単だけど

 

 

 

相手に「何も言わない」「干渉しない」

「見守る」という

相手を信頼する。

 

 

という愛情もあるんですよね。

 

 

 

 

 

だから、どんな人でも

愛されてない

大切に思われていない

 

というのは

自分が思う「愛の形」ではないだけで

自分ではまだ気づいていない

愛の形かもしれないと思ったんです。

 

 

 

 

だって愛されてない人間も

大切にされていない人間も

この世界には誰1人としていないのだから。

 

 

 

 

nino

 

 

 

 

 

 

 

 

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