旅空の下、つれづれなるままに。 | スローライフ?とパタパタママの育児日記

旅空の下、つれづれなるままに。

所用あって、東京・関西方面へ出ておりました。


不在中、Noriには不便をかけました。


それでも彼は快く見送り、帰宅した私を心から歓迎してくれました。



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今回の出張では、印象深い出会いや再会がありました。


そして改めて、いま、たくさんの人との連関の中で私が生かされていると強く実感しました。



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農を生業としている庄内の方々。


農業の、そして人生の先輩として、尊敬と憧れをもってお話を拝聴しました。


やっぱり、現場でたたかっている人たちの言葉には、心に響く重みがある。


新参者の私たちを見て、何を考えているのか、実際のところ良く分からないかもしれない。


それでも耳を傾けてくれる。


そういう先達の姿勢に、非常に感じ入り、精進しなければと思いました。



怠惰な私は、きっと愚痴を言ったりサボったりするだろうけど…


自分を戒めながら、少しずつでも、確実に前に進みたいと思いました。



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大学時代の先輩。


来春、ご主人の仕事の関係で中国に旅立ちます。


ご本人も人のこころを癒す職人の技を有しておられます。


彼女のふるさとを、奇跡的なタイミングで訪れることが出来、酒宴に。



似たような価値観と、言葉の質でもって語り合えることの幸福さ。


繊細な文脈を理解してもらえる安心感。


沈黙の心地よさと、スピード感が似通っているタンデム感。



なにか、非常にすっきりしました。


適切な気の遣い方をして、でも甘えさせてもらえる関係。


距離は離れても、年月を重ねても、きっとこの感じは変化しないのだろうと、妙に納得した夜。



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父の出張の日程と場所が、どんぴしゃりと被りました。


父とあれほど多くの言葉を交わしたことは、これまでは皆無でした。


関西から東京への新幹線の中、(ほとんど寝て過ごすつもりだったのに)ずっとしゃべっていたような。



結婚するまで、父との関係は、良好であると決して言うことの出来ないものでした。


「言語が違う」「文脈を理解できない/してもらえない」


きっと、無人島で感じる孤独より、絶望的な断絶を感じていたと思う。



Noriと生活をしてから、私の視界が急に開かれ、明るくなったのでしょう。


特に、家族への接し方や思いを発見する度に、私の凝り固まったこころがほぐれてゆくようでした。


人がどういうものか、自分がいかに傲慢に生きてきたか。


人は、決して一人では生きてゆけないということ。


「自立」した生活は、周囲との連関の中でこそ成立し得るということ。



父も、今までたたかってきた。


歯を食いしばり、それでも何故たたかってきたのか。



「家族を守るため」「家族の中で自分が生き残るため」



建前だけになったり、矛盾をもてあましたり、何が何だか分からなくなったり。


そんな時代もあったと思うけれど。


いまは私が父のことを「理解している」と、少なくとも父がそう感じることが出来ている。



父の言葉が私に届き、私の言葉も父に届いている気がする。


「気がする」だけでも、これまでの関係性とは大きく違うのです。


こんな日が来るとは、正直期待もしていなかったし、想像出来なかった。



やっと私も、「コドモ」を抜け出せつつあるのかも知れない。




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最近、Noriと言葉を交わす時間が圧倒的に増えました。


私の個人的な解釈では、やっと「対等」な関係になりつつあるからでしょうか。


(こちらにきて、メディアの情報量が少ない生活というのも理由のひとつではありますが)



今になって振り返ると、Noriには相当甘えてきました。


(想像するしかないけど)コドモを育てる忍耐をもって、私と暮らしてきたんだと思います。


だから、多くの瞬間、腹に力をためて言葉をこらえ、ただ、辛抱強く見守ってきた。


適切なときに時々「手入れ」をして、成長を信じて待ってくれた。


本人はそんなつもりなかったかも知れないけれど、どうにもそんな風に感じられます。



どうしてあのとき、あの言葉を選び、あんな風に振舞ったのか。


反感を覚え、時には詰問した謎。


このところ、明快に理解される瞬間が時々訪れます。


私が見えていないだけで、Noriにはたくさんのことが感知されていた。


わが夫ながら、頭の下がる思いです。



Noriが多くを語ってくれるようになったのは、だから、私にとって非常に喜ばしいことです。


これからは、こちらにもっと体重をかけてもらっても大丈夫(と思う)。


価値観と方向性がピタッと同じ安心感。


これがあるから、多少の意見の相違があっても調整可能。


そしてしばしば、それは私の偏った見方にやわらかく刺激を与えてくれるのです。



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今回の旅は、いま私の周りにある風景をみなおす、非常に良い機会となりました。


人との連関の中で生かされている。


時々はそんなふうに思いめぐらして、腹の底からわきあがる感謝の念に身を委ねようと思います。



みなさま、本当に、いつもありがとうございます。