おかねを出してものを買うということ
かなり唐突ですが…
今日はなんだか貨幣経済について考えた日でした![]()
同時に、自分が消費者としてお金を支払うとき、一体どんな態度でいるだろうかと反省もしました。
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こういう時代に、日本で生活しているという幸福には感謝すべきだと思ってます。
でも、違う価値観から見てみると、裏返しに不幸であると言えるのかもしれません。
何でもお金で買ったり、やりとりしたり出来る。
イコール、だいたいのモノ・コトがお金に換算出来てしまう。
売る人たち・生産者はお金を払ってもらうことで生活している。
イコール、消費者は生産者と同等ではない。
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生活のどの部分に価値を見出し、どういう生活を望むのか。
「人それぞれ」と言ってしまえば、確かにその通りで…
だけど。
かなり良心的に見てみても、私たちの多くは傲慢になっていると言わざるをえないのではないでしょうか?
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食べものを頂くとき、工業製品を選ぶのと同じ目で見てはいないだろうか?
キズや虫食いがあるだけで、なぜ捨てるも同然の扱いを受けるのか?
どうして国産のものより外国から届くものの方が値段が安いのか?
私は「安いから」それをたくさん買うのか?
そもそも一日に、こんなに多くの量と種類の食べものが必要なのか?
工業製品にしたって、どうしてこんなに安く買えるのか、考えたことがあるだろうか?
今買おうとしているモノは、私にとって本当に必要なものだろうか?
買った後、どれだけのゴミが出るのか?
この値段にするために、世界のどれだけの人たちの生活が犠牲になっているのか?
整頓しきれない部屋を見回しながら、そんなことを考えています。
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なんだか重苦しいブログになってるでしょうか![]()
でも、続けます笑
ビジネスの世界のお話で、こんな逸話があります。
今から36年前、大阪の料亭で開かれたある茶会でのお話。
正客は大徳寺派の立花大亀老師、次客は。
その茶会で正客はいきなり松下幸之助を一喝し、その場を凍り付かせてしまったといいます。
「君のおかげでこんなに心がなく、物ばかりのいやな日本になってしまった。君の責任で直してもらわなければならない」
居並ぶ人たちの面前で恥をかかされたその時、松下幸之助は顔色を変えず、ただ沈思黙考していたそうです。
それから数年後、松下幸之助は私財約70億円をはたいて松下政経塾を創設します。
(下記を参考にしました。
http://d.hatena.ne.jp/pres-miwa/20110926/1316991279 )
何かの本で偶然読んだお話です。
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最近、昔ながらの職人さんが減ってきているという話をよく聞きます。
職人さんでなくとも、昔は普通にだれでも出来た手仕事が出来なくなって来ている。
そんなものが必要なくなったぐらい、便利になったと言えば、それだけのことです。
ただ、私は、職人さんが精魂こめて作ったものを、長く、大切に手入れしながら使いたいと思いました。
手入れの方法が難しかったり、最初は面倒と思ったり、「高い」と思ったりするでしょう。
でも、愛着を持って、その道具と一緒に成長するつもりで…
今手元に置こうと考えているのは、おむすびを入れる竹かごと、ご飯を入れておくお櫃。
それと、今年は味噌作りに挑戦したいので、味噌桶。
これらはすべて、出来れば私がこの世からいなくなったずっとあとで、土に還るはずのものです。
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尊敬をこめて、その気持ちにかえてお金をはらう。
私にはできないことを、かわりにしてもらっているから。
そして、うけとった後は、責任を持って丹精して使い続ける。
職人さんのいのちのかけらを分けてもらったというつもりで。
そんな気持ちを忘れないようにしたいと思いました。
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いのちを注ぎ込んで、いつか誰かのいのちを育める。
そんなたべものを作れるようになりたいと思っています。