人間であって人間でなかった | MY LIFE AS A PIG

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山と農業と旅を愛するAkihisaのブログです。
高崎高校→北海道大学農学部→銀行員(札幌・鹿児島・福岡・US)→旅人(日本縦断・世界一周)→大分大学医学部(編入)→明日は何処…
大分朝読書コミュニティBunDoku主宰/NPO法人NICE GWCコーディネーター/財務経営アドバイザー

鹿屋市にある国立ハンセン病療養所、星塚敬愛園に再びお邪魔して来ました(前回訪問記事はこちら)。

今回は、入所者の一人、玉城しげさんにお会いするために。

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玉城しげさん(91歳)
1918年 沖縄生まれ。
1939年 鹿児島県・国立ハンセン病療養所星塚敬愛園入所(強制収容)
以後現在まで、71年間敬愛園に暮らす(本から抜粋)。

強制収容、強制隔離、改名、強制労働…
結婚、強制堕胎、離婚…
空襲、爆撃、敗戦…
そんな激動の日々を、彼女はひたすらにこの園の中で生き抜いて来ました。

1941年、強制堕胎させられた彼女の胎児(7ヵ月)は、彼女の目の前で口鼻を塞がれ殺されました。
さらに胎児たちは、ホルマリン漬けにされたうえ長い間放置されていました(全国の療養所で新生児のホルマリン漬け標本が100体以上見つかり数年前に報道されていました)。

1996年、今からほんの9年前に、ようやく「らい予防法」が廃止され、90年間に及ぶハンセン病元患者の人たちの強制収容・強制隔離・強制堕胎の歴史が終わりました。
が、回復者(元患者)への社会的な差別と偏見は残り、家族から縁を切られ社会経験もないまま70歳を超えた彼らの社会復帰は、現実的に不可能でした。
今も、全国に残るハンセン病療養所(国立13施設・私立2施設)に、4,000人を超える方々が生活しています。

戦後民主主義のこの国で、強制収容・強制隔離・強制堕胎までもが、1996年まで合法的に行われてきたという事実。
そして、自身の経験として、強制収容・労働・そして強制堕胎を語る玉城さん。

この国に生まれた人間として、自分は純粋にこの国のリアルの歴史を理解すべきだと思っています。
自分たちの未来に、同じ過ちを繰り返さないために。
だから、ハンセン病というそれまであまり意識してこなかったリアルを知ったとき、正面から直視し理解しなければならないと思いました。

でも今回、玉城さんのトコロにお邪魔して、まず最初に何を聞いて良いのかわかりませんでした。
まさか、「これまでで特に辛かった過去を話して下さい」なんて、聞けるはずがありません。

同じ話を何度も何度も話しているのか、よどみなく自分の過去を語る彼女の話を聞きながら、涙が止まりませんでした。
自分のキャパを越えた情報・事実に対して、どうしたら良いのかわからず、混乱していました。
帰って落ち着いて振り返っている今も、正直自分はまだすべてを消化できていません。

また改めて、お邪魔したいです。
話したい・伝えたいと思っている方がいる限り、こうして関わりを持たせてもらった自分にも、その事実を知り伝える責務があるのだと思います。

前回の記事にも書きましたが、自分が始めてハンセン病のコトをリアルに知ったのは、大学で知り合ったJuneがきっかけでした。
世界最大のハンセン病隔離島クリオン島で、医学生として数ヵ月を過ごした彼女と、今改めて意見交換をしたいです。