こんにちは。訪問介護サービス提供責任者のスタッフkです。

 

両親や祖父母などの介護で、一番負担が大きいことは何でしょうか?

 

私は「意思決定」を本人の代わりにしなければならないことだと思います。

 

これは下手をすると、長い間、代わりに意思決定をした人(子供など)に後悔として残り続ける重い負担です。

 

 

  ①認知症になっても、癌の手術など外科的治療は受けますか?

命の意思表示には色々あります。

 

例えば、自分が認知症になって「判断」ができない状態。

 

そんなときに手術が必要な病気になったら、どうしますか?

 

・リスクを負ってでも手術を受けたい。

・自然な寿命に任せたい。

・薬や点滴で出来る範囲で治療したい。

・痛みや苦しみだけは薬などで出来るだけコントロールしたい。

 

こういった決断には、命についての考え方や倫理観が関わってきます。

 

しかもその後の「介護」の必要性、どこまで治るのかによっては、家族の生活そのものも変わる可能性すら考えなくてはなりません。

 

ですから、いくら親子といえども「決断の肩代わり」をすることは、本当に大きな負担です。

 

自分がどこまで治療を受けたいか、一度考えてみてはいかがでしょうか?

 

  ②胃ろう・腸ろうは受けたいですか?

これも介護の現場では、悩まれている利用者様ご家族を見かける問題です。

 

飲み込みが難しくなり、誤嚥性肺炎肺炎を繰り返したり、認知症の進行によって「食べる・飲み込む」という認識ができなくなったりと、医師から胃ろうを提案される原因は人によって異なります。

 

「胃ろうをするべきか」と悩まれているのは、大抵は、ご本人ではなく介護をしているご家族です。

 

もしご本人が意思表示できる状態であれば、自分の希望通りにできます。

でもそれが分からないから、困っておられます。

 

胃ろうについては

 

・海外では虐待とされているところもある

・口から食べられないなら、生き物としての寿命だ

 

という意見もあります。

 

でも一方で

 

・一時的に胃ろうをして命を繋げば、治るかもしれない

・どんな状態でも生きていてほしい

 

という考え方もあります。

 

どちらが正解で、どちらが間違っているという問題ではありません。

 

だからこそ「代わりに決定」を迫られるご家族の精神的負担は、想像を絶するものとなります。

 

口から食べられない状態で、胃ろうを断ることは「命の期限を決めること」ともとれるからです。

 

  ③点滴はどこまでしてほしいですか?

終末期の点滴はどうでしょうか?

 

水分補給のために、もしくは栄養補給のために、点滴を受けることがあります。

 

でも、人間の体には寿命がありますから、点滴をしても、いずれはその水分や栄養を全く吸収できない段階が訪れます。

 

それでも、生きている間は点滴をし続けてもらいたいですか?

 

医療職ではない私が書ける範囲はこのあたりまでなのですが、体が受け付けられない状態で点滴で水分を入れ続けるとどうなるか、一度調べて、想像してみていただきたいです。

 

もちろん、点滴を続けるほうがいいという考え方もありますし、状態によっては点滴でご本人が楽に過ごせることもあるかもしれません。

 

その上で自分ならどうしたいか、家族の代わりに決断を迫られたらどうしたいか、心の準備をしておくといいかもしれません。

 

  ご家族から相談を受けることもあります

ここまで上げた3点は、介護の現場で見かける「ご家族が判断に迷っていること」の代表例です。

 

訪問介護サービスをご利用いただいている利用者様の状態が悪化し、主治医に上記の決断を迫られたとき、ご家族から相談を受けることもあります。

 

ですが文字通り「命に関わること」ですから、私たち介護士は個人的な意見をお伝えすることはできません。

 

せいぜい出来るのは

 

「ご本人は元気な頃に何か言っていませんでしたか?」

「これだけは絶対に嫌!みたいな意思表示はありませんか?」

「もしご本人だったら、どうされると思いますか?」

 

といった問いかけくらいです。

 

意思表示をしておくべきことは他にもたくさんあります。

 

本当に「子供のために」と思うのであれば、「決断」を肩代わりする負担を担わせないほうが親切です。

 

今から、自分の命の最終段階について考えて、意思表示をしておくべきだと思います。

 

日本では「死」を考えることが、なぜか「悪いこと」と受け止められがちだと聞きました。

 

私は介護の仕事をしているためか、それが悪いことだとは思えません。

 

実際、祖父や母ともよく話しており、昨年看取った祖父ははっきりと意思表示をしてくれていました。

 

自分の意思を言葉で私たちに伝え、話せなくなったときのために紙にも書く。

 

そうしたことで祖父は「自分の命を、自分で考える」という責任を果たし、「自分で決めた」通りに最期を過ごすことができたと思います。

 

普段は「ちょっと変わったおじいちゃん」だった祖父ですが、命に対する姿勢を本当に尊敬しています。

 

途中で考えが変わってもいい!

「命についての意思表示」は、あくまでも「現時点」のものです。

 

ですから、人生の段階が進むにつれて考えが変わるのは当たり前。

一度決めたからといって、それにこだわらずに随時変更していくべきだと思います。

 

気をつけるべきことは「考えないこと」と、「子供が良いようにしてくれる」と責任を丸投げしてしまうことではないでしょうか。

 

桜今すぐ決められなくても、考えてみる。

桜胃ろうって何か調べてみる。

桜点滴を最期まで入れた人の家族に聞いてみる。

 

出来ることから少しずつ、考えて調べて決めていくと、ご本人もご家族もより安心して暮らしていけるのではないかと思います。

 

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました!

 

 

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