上橋菜穂子さんの『神の蝶、舞う果て』のレビューになります。
大好きな上橋先生の新刊!ということで、さっそく読んでみたのですが、こちらは先生が30代の頃に『子どもプラス』で連載されていた作品だそうで‥
先生はもともと連載が苦手であったのと、当時は『守り人』シリーズの執筆が重なっていたこともあり、『神の蝶〜』の完成度には納得がいかず、書籍化をお断りしていたのだとか。それが今、『物語ること、生きること』や『明日は、いずこの空の下』の編集を担当していた川崎さんの「当時は雑誌が手に入らず、連載の一回目しか読むことができなかったので続きが読みたいです!」の一言から、プロジェクトが動き出し、それが他の編集者さんにも連鎖し、こうして書籍化に至ったそうです。
つまりは、30代の先生が書いて、60代の先生が修正した作品ということで、こりゃファンなら読むしかないでしょ!
しかも、あえて上橋菜穂子の創作の軌跡を残すために、修正は必要最低限にしたとのこと。そのため未熟さを感じる作品ではありますが、むしろファンとしては先生の『二十年前の私と、現在の私が共同執筆したようなもの(あとがきより)』という言葉をたどりたくなる一冊でもあるので、ぜひ興味のある方はチェックしてみてください!
あらすじ
「ときどき思うのよ。偶然って、本当にあるのかしらって。この世には、私たちには見ることも、思い描くこともできない複雑な糸がはりめぐらされていて、その壮大な布の中では、どれもが、あるべきところにあるとしたら……」(本文より)
カタゼリム(降魔士)の少年・ジェードは、神と魔物、光と闇が共に宿っているとされる、神聖でありながらも恐ろしい聖域<闇の大井戸>で、魔物から聖なる蝶を守る役目を負って暮らしていた。ある日、ジェードの相棒である少女・ルクランが、聖なる蝶が舞い上がって来る予兆の鬼火に触れる事件が起きる。他のカタゼリムたちと違い、なぜか、予兆の鬼火に激しく反応してしまうルクランは、聖域を守る者のなかで波紋を呼んでいた。自分がなぜ、そんな反応をするのかを知りたいと願うルクランと、ルクランを守りたいと思うジェード。それぞれの思いをよそに、ふたりは壮大で複雑な運命の糸に絡め取られていく。
1999年から2001年にかけて、上橋菜穂子の代表作である『守り人』シリーズの創作と並行して執筆されたこの物語は、のちの『獣の奏者』、『鹿の王』、そして『香君』にもつながる、作者の創作の軌跡を知ることができる貴重な作品でありながら、これまで書籍化されていませんでした。
この物語は、人と人との関係だけでなく、人間と他の命ある存在との繊細で複雑なつながりを描きたいという著者の想いから生まれました。執筆から20年以上の時を経て、円熟の域に達した著者の手で加筆修正され、力強くも美しい物語へと成長した物語が、ついに世界へと解き放たれます。
生命の循環
最初にお断りしておきますが、私は好きな作家さんのレビューが下手くそです。いや、いつも下手なんですが、特に上橋菜穂子先生の作品に関しては何にも書けなくなっちゃいます。今回も意味不明なレビューになってしまうと思われますが、広い心で読んでいただけると嬉しいです。
で、本書の感想を一言で表すなら『「香君」と「獣の奏者(ハッピーエンドver)」の原点のような物語』といった感じ。というか、読めば必ずそう感じると思われます!
生態系のバランス
主人公のジェードとルクランは「闇の大井戸」から出てくる「蝶の影」と戦う降魔士です。「蝶の影」は、ラムラーの花に受粉させてくれる「神の蝶」を食べてしまうため、降魔士が殺さなければなりません。
ラムラーの花は、滋養に満ちた実をつけてくれるラシェラン国の大切な植物で、その花から抽出される香液にも心を澄ませる効能があることから珍重されています。
そんな国民の糧とも言えるラムラーを守るためには、当然「神の蝶」を守らなければならず、「神の蝶」を害する「蝶の影」は、孤児から集めた降魔士に命懸けで捕らえてもらう‥というのが物語の舞台になっているラシェラン国の現状です。
しかし読んでいくうちに、こんなに「蝶の影」を殺して生態系のバランスは大丈夫なの?という疑問が湧いてきます。案の定、「蝶の影」を殺しまくっていたらラムラーの花にも異変が生じ始め‥
人が、花や蝶と共に生きていることを知り、その生命の巡りの中で幸せに生きられる、そんな世を作ってくれ(P259)
光と闇
降魔士になるにはロロ鳥という鳥をたくさん狩る試験を通過する必要があるのですが、何だかその鳥も殺されまくりな気がして大丈夫なんかいと思ったりします(笑)試験は男女一組になって行われ、その組み合わせは、目隠しをされた女の孤児に最も良い匂いがする男児のいるところへ行くように指示した結果決まります。狩りの方法は、女は網で獲物を捕まえ、男はそれを弓矢で射るという流れになっているため、二人の相性が試されます。
対比の世界
本書を読んでいると、いろいろな対比を感じます。光と闇、善と悪、雄と雌など‥他にもたくさんの分断に気づかされます。そもそもラシェラン国自体がラシェラン人とラトゥール人によって築かれており、今ではあとから入植して来たロリア人も仲間入りしているものの、どうしても首都圏に住むラシェラン人の力が強まってしまい、ラトゥール人とロリア人は母国語と同じくらいラシェラン語を上達する必要がある現状にいます。そのため聖堂の神官には出身地による派閥があり、結構面倒なことになっています。
また、神官の中には、神を信仰する者と科学的なことを大事にする者もいます。
ラムラーの実に異変が
「蝶の影」を魔物扱いして殺しまくった結果、湖の水位に異変が起こり、ラムラーの実も獲れなくなってしまいます。確かに今までは異常な豊作で、ロロ鳥まで肥えるほどでしたが、人口が増え、動物が増えた結果、養分たっぷりな排泄物も増加し、どうやら土壌のバランスがおかしくなってしまったようです。
生き物を豊かにするものが、生き物を殺すこともある。水が清過ぎると生き物が少なくなることもあるが、過剰な豊かさも、なにかの均等を崩すのだろうな(P99)
しかし今までの豊かさを神のおかげだと信仰している神官相手に、科学的なことは受け入れられるはずがなく、もしそんなことを迂闊に口にすれば大変なことになってしまいます。
ただ初代の神官たちから伝えられてきた〈永久の祈り〉には、次のような言葉があります。
光と闇出会い、糸を織り、眉を編む
そこはやがて光となる繭
そは闇ごもる繭
大いなる交わりのとき
大いなる変化のとき
光陰るときも
闇の花開くときも
神の子らよ悲しむなかれ
光の中には闇の種が眠り
闇の中には光の種が眠る
そは、永久の巡りなり
おかしいですよね?今は光だけを見て、闇は見るな!と教えているのに、昔の人は違ったようで‥。なのに〈永久の祈り〉は今も大晦日の日暮れに行われる儀礼で神官全員から唱えられているのです。しかも〈光の祈り〉と〈闇の祈り〉パートに分かれて祈るという不思議さ。実はこの祈りをラトゥール語に変換して唱えてみると意味が変わります。
生と死
できるだけネタバレを控えつつ、書いていくと、〈永久の祈り〉をラトゥール語にすると、ラトゥール人たちが不漁のときに歌っていた呪い歌になるんですね。ちなみにラトゥール語にした〈永久の祈り〉には、この物語の内容がすべて書かれている、と言っていいです。読んでいるときは意味がわかりませんが、読み終えるとネタバレだったのか!とわかるアレです(笑)
以下は本書を読む上で超重要ポイントになるところになります↓
魔族の子孫
湖には聖堂の島とよく似ているものの、その周囲は葦が生い茂り、かつては〈魔族の子孫〉が住んでいたと言われる島があります。魔族は蝙蝠のような見た目をした鋭い鉤爪を持つ生き物で、ラムラーの花を食い荒らしていたため、大昔にラトゥールとラシェランの民が協力してやっつけた過去があります。射落された魔族は、小さな人の姿に戻り、「誘惑に負けて魔物と契りを結んだらこんなことになってしまった」と泣きついてきたそうな。命乞いするかわりに、「闇の大井戸」の存在とそこを守ればラムラーが絶えることがないという秘密を暴露して、現在に至るわけですが、どうも神官たちは「闇の大井戸」を守ることの意味を「蝶の影」を殺すことと間違えてしまったようです。
まぁ「蝶の影」 が悪者にされちゃった理由は、「神の蝶」を食べるからなのですが、それってつまり虫さんの世界ではよくある‥そういうことですよね。これは読者にはわかっても、物語の世界の神を信仰するものからしたら、単に恐ろしいこと=魔物認定なわけで。うーん、困ったなぁというところ。もうどうなっちゃうの?このまま怖がって殺しまくっていたら生態系壊れちゃうし、かと言って、自然の理を説いたところで神に背いた反逆者扱いされちゃうし‥というのがみどころになっています。
ルクランについて
さて、最後に紹介するのがジェードの相棒ルクランについて。ルクランは人とは変わった目の色をしていることから、少し異端に思われている気の毒な子という設定です。それだけでなく、「闇の大井戸」 から蝶たちが出てくる前に現れる「予兆の鬼火」に過剰反応を起こしてしまうため、まだ降魔士になってから一度も出動できない状態にいます。そのせいでジェードにも迷惑をかけていることを申し訳なく思っているのですが、まぁ降魔士になるパートナーというのは大半がそのままカップルになるので、そこは問題ありません。愛のパワーです。
しかし、なぜルクランがこのようなことになるのかは、本人含め誰にもわかりません。
※ルクランの正体は例の呪い歌の歌詞に隠されています
まとめ
ちっとも上手くレビューできていないのですが、面白さが伝わっているでしょうか?かなり心配です(笑)
今思うと、『鹿の王』 的な要素もあり、初期の作品ながら上橋菜穂子の集大成かつダイジェスト版みたいな一冊になっているところが興味深かったです。
他には、ラシェラン人のジェード&ルクラン組とラトゥール人のインガ&ナシュム組が仲良しなのも対立の壁を破っている感じがして良かったし、神官(元降魔士から選ばれる)たちの過去にも濃いストーリーがあって切なくなりました。
「闇の大井戸」の正体に気づいたときには、なるほどなぁと思いましたね。なんだ怖くないじゃんと。
孤児が降魔士になるという設定も、上橋先生の幼き頃の某愛読書から来ている発想なのかなぁと推測したり、とにかくあらゆるところに上橋ワールドが散りばめられていて、まるで宝探しのようでした。
しかし神官たちはあんなやり方でしか危機を乗り越えられなかったのでしょうか?残念だなぁ。
※ここからは少しネタバレを含みます
ルクランの目の色や、やたらと光(色)を強調する物語だったこと、それに蝶がテーマになっていることから、湊かなえさんの『人間標本』が頭を過ったのは私だけではないはず!蝶視点になって湖を見下ろすシーンでは絶対におぉ〜っ!!となること間違いなし。
そんな中でジーンと来たのがこの言葉です。
ジェードを信じて、ルクラン。先にあきらめて、自分から離れてはだめ。人の心はひとつの色しかないような単純なものじゃない。心からの恐れと、心からの愛情が、いっしょくたになっているときだってあるのよ(P220)
昔から自身の異端さに周囲が警戒し、去って行くことを恐れていたルクラン。いつも自分を信じてくれるジェードすらその正体に気づきかけた時には、恐怖心を隠しきれておらず、ショックを受けていました。しかし、そんなときにこんな言葉をかけてくれる友人がいたことで、ルクランは心を落ち着かせることが出来たのです。ここはめちゃくちゃ良いシーンだと思ったので、レビューの際にはぜひ切り抜きたいと準備していた私。児童書としては、かなり大人な展開も含まれていたので、もし私が小学生だったら理解できなかったかもしれないと思うと、今出会えて良かった一冊でした。
唯一ゾッとしたのは、ルクランのような一般的な子とは違いがある子は〈魂を魔物に舐められた子〉と呼ばれ、〈お返し〉という言葉に変換して捨てられてしまうことです。捨てると言っても救児院に預けるわけではなく、そのまま無人島化した〈魔族の子孫〉がいた島に置き去りにするのですから実質殺すようなものだったことに恐怖を感じました。
全体の感想としては、あるものにとっては必要なものだとしても、あるものにとっては有害なものになるかもしれない。そのどちらかが優先されれば良い状態になるとは限らないということです。少し抽象的な表現ではありますが、これは何事においても言えることだよなぁと思いました。
(ちなみにルクランの名前の由来なんかは、さすが上橋先生!と言った感じで、こちらは良い意味でゾクっとしました)
もう思いついた順から自由に書き殴ったレビューになってしまい、申し訳ありません!!
とにかく上橋菜穂子の原点が読める物語で、しかも大人にはあっという間に読めちゃう文字数なので、時間がない方にもオススメです。
最後に、この記事で紹介した本の紹介を。
今回は過去作からの復刻版?でしたが、次は新しい物語が読みたいなぁ。でも当分出ないかなぁ。
エッセイでもいいし、過去作の外伝でもいいから読みたいなぁ。
以上、めちゃくちゃなレビューでしたm(_ _)m




