佐野広実さん著『氾濫の家』のレビューになります。
これまでの佐野作品のテーマが
『誰かがこの町で』⇒「同調圧力」
『シャドウワーク』⇒「DV」
だったとすると、今回のテーマは、「家父長制」です。
主人公の新井妙子の夫・篤史は、今や絶滅危惧種かと思うほどの超亭主関白。「女は男に従って女になる」「誰のおかげで食ってこられたと思っているんだ」「大黒柱の自分が家族を支配するのは当然だ」という時代錯誤な発言をする危険人物です。
そのため長女(以下順子)と長男(以下将一)は父親を嫌っており、順子にいたっては、そんな父親の言いなりになっている母親にも呆れ、勝手に家を出てしまいます。唯一の希望(?)将一は、篤史から難関大学への進学を強要されており、(父親の出身大学より偏差値の高い)中堅国立大に合格しているのにもかかわらず、浪人して予備校通いを命じられています。
<あらすじ>
新井家は裕福な家庭が集まる住宅地に佇む一軒家。ある日、新井家の隣の家で殺人事件が起きます。被害者の正木氏は大学教授で、政治評論家としても有名な人物でした。正木家は、エリート夫妻と息子の三人暮らしとのことですが、妙子は息子がいたことを今回の事件を通して初めて知ります。犯行時、研究者の妻は出張中で留守にしていたこと、息子は自宅から離れた場所にいたアリバイがあることから、犯人は家族の事情をよく知るものだと推測されます。
しかし事件当日、妙子はある男が正木家に侵入するところを目撃していました。しかもその時、妙子は男と目が会い、会釈までかわしていたのです。「もし彼が犯人だったら、顔を見た自分も殺されるかもしれない」。そう思った妙子は、警察に情報提供をすることを怖れ、”何も見なかった”ことにしてしまい・・
<最悪な男であり、夫であり、父親>
篤史は学生時代アメフトをやっていたおかげで、OB同士のコネを経て大手建設会社に就職し、良いポジションについています。しかし、彼の会社はヘイト企業で、任されている仕事の大半は犯罪スレスレのものばかり。現在も外国人嫌いの社長の命令で、外国人が多くいるエリアを新たな開発地にするため、立ち退きを求めています。もちろん、表向きは「差別」を隠していますが、裏ではデモ隊を下請けの工務店に集めてもらって現地に派遣したり、議員とつながって悪さをしていたり、もう滅茶苦茶。日常的にそんな業務ばかりしている篤史は、会社で部下に威張り散らしているのはもちろん、家でも家族に尊大な態度を取り、モンスター化しています。(しかし強い相手にはペコペコ)
また、妙子に対しての態度は一番終わっており、姑が生きていた頃は親子揃って彼女を監視・管理していました。妻を外に出さない、お腹の子に障がいがあるとわかれば堕胎させる、料理にケチをつけ、容姿を罵り、介護を丸投げし、毎日買ったものを報告させ、息子を取り上げ・・もう最悪。そのせいで妙子はうつ状態になり、心療内科に通院しています。
<夫に逆らえない妙子>
一方、妙子は経済的自立への不安から、夫と離婚できず言いなりになっています。順子が「女」であることで、父親から理不尽な目に遭っていても助けることができず、すっかり親としての信頼を失っています。また、最近は何のトラブルもなさそうな隣人が殺人事件に遭い、その家の息子が父親を亡くしたのにもかかわらず「ホッとした」と語っていたのを知り、「もしや・・」と、胸騒ぎがしています。なぜなら、将一が篤史の会社を批判する団体に所属していることを知り、いずれ新井家も正木家のようになってしまうのではないかと危惧したからです。
正木家は親子関係が良くなかった。あの日、自分は犯人と思われる男を見た。けれども男と正木家の息子は別人だった。そして息子は父親の死を歓迎している。
これらを推理すると、妙子は息子が男に父親の殺害を依頼したのではないか、と考えます。家には加賀美という刑事が何度も事件について訊いてきますが、下手なことをいえば篤史から怒られるため、妙子は知らぬ存ぜぬを貫きます。しかし加賀美は妙子が隠し事をしていることに気づき、彼女が通院している病院の医師に話を訊きに言ったり、尾行したり、何かボロを出さないかと待ち構えています。
<感想>
ん~。別に妙子は不審な男を目撃したと刑事に話しても良かったんじゃないかなぁと思いました。いくら篤史に警察やマスコミの相手をするなと言われても、こればかりはねぇ、人として言わないと。別に昼間は篤史も仕事で留守にしているのだし、バレないじゃない。
将一がさりげない方法で、自分がしている活動(父親は悪い会社で、悪いことをしている)を教えても妙子はスルー。正木家と新井家が似ているように感じているのなら、尚さら一刻も早い解決(いい加減に子供の訴えを訊くなどする)を望んだほうが良さげだけれど、妙子はもう完璧な学習性無力感に陥っているのか、面倒なことは避けたがっている印象でした。妙子はもともと自分を持っていない人だったようで、篤史にはそこが洗脳しやすくて気に入られたのだろうなと思います。
ひとつ気になったのは、両親が早くに他界している人が多い件。設定上こうしたほうが都合が良いのだろうけれど、社会的弱者=親がいないに偏っていたのがちょっと。ただ他の方の感想によく書いてある「犯人の殺害動機に納得いかない。あれだけで人が殺せるの?」については、ありえるのではないかと思いました。
※ネタバレ
犯人には大学進学を希望していた妹がいましたが、経済的事情で断念し、派遣で働くことを選びます。大学卒業後に奨学金を返済しながら働くより、借金のない状態で生きていくほうが良いと思ったからです。しかし、派遣での働き方は不安定で、真面目に働いていてもいつ切られるかわかりません。それなのに世の中は派遣を見下す傾向にあり、職探しの無職期間には「働かざる者食うべからず」という大合唱が響きます。
働くには、まず食べなければなりません。本来、食べなければ働けないのです。妹が受験生の頃、シングルマザーの母親が倒れ、介護生活を余儀なくされました。母親は長年のハードワークから脳溢血を起こしてしまったのです。そんな母親の介護をしながら派遣で働いてきた妹。母の死後、正社員を目指していた妹は、将来への不安を抱ええていました。職場でも派遣という立場のせいで辛い目に遭っており、やがて頑張れなくなった妹は兄の知らないところで生気をなくし、自殺してしまいました。もう身をすり減らすことに疲れたのでしょう。高卒だから派遣だから家柄が悪いからと差別され、社会的にみじめな状況に追い込まれた明日を、生きていてはいけないと思ったのです。
そこで犯人は日本に派遣というシステムを推進した正木氏を憎みました。あれさえなければ、原因がなかったところまで時を戻せば、と思ったのです。そのためには原因を作った存在をなかったことにする。そうしないと自分たち兄妹と同じおもいをする人が出てくるだろうと考えたのです。
また、犯人はそのタイミングで正木氏の息子とも出会い、彼が父親に苦しめられていることを知ります。やはり正木氏の経済理論が弱者を苦しまる経済状態を作り上げている、そう確信します。もちろん、社会を壊したのは正木氏だけではありません。しかし、誰も日本の現状を「間違い」だったと認め者もいません。ならば、
周囲から無視され、命令に従うだけの存在に人を貶めた方針を変えなければ、いまはまだ自分をすり減らしていない人たちも、そのうちすり減らしていってしまうP315
犯人は国の過ちをリセットしたかった。弱者を作る構造が許せなかった。どこで道を誤ったのだろうと考えたら、そこが「区別という名の差別する社会」だったのですね。
実はこの言葉は、状況は違えど妙子にも当てはまることなんですよね。いつまでも自分をすり減らす、夫に言いなりの生活で良いのかと。知らず知らずに今度は自分も子供たちに同じことをしてしまうのはないかと。自分は正木家を繰り返してはならないと。
最終的に妙子は篤史から離れる決断をしてくれるのですが、その彼がまたとんでもない悪事を犯しており、正直こっちのパートのほうが面白いと思ってしまう自分がいました。メインは妙子の話ですが、篤史のやっていることのほうがドキドキしてしまったというのが、個人的な感想です。
だってこの男、人を殺しているんですよ?やばくないですか?
こんなやつの言う事なんて聞く必要ないじゃんってくらいNGなことをしています。というか、よくこの時代に篤史みたいな人が堂々と権力を持っていられたな、という感じ。これから本書を読まれるかたの9割がおそらく、妙子の生きにくさうんぬんより、篤史のことが気になってしまうと思います。
興味のあるかたはぜひ、読んでみてくださいね。
では総評を少し
評価3.7/5
今も高給取りの夫と専業主婦の家庭って、こんなに家父長制が健在しているものなの?会社でもあんなヤバイ上司がいるものなの?体育会系つながりのコネってあんなに凄いものなの?と、驚きの羅列だった。順子はかっこいいし、将一はやさしいあたり、妙子は篤史が関係しない部分では母親として悪くなかったのでは?食べないご飯を毎日作れと命令する夫なんてイヤすぎる。どうせ処分するハメになるのだから、全部半額の冷食か総菜か、その日自分が食べたいやつにすればいいのにと思った。しゃべりたくない日は喉風邪ひいたことにすればいいし、都合の悪い話は耳が遠くなったことにすればいい。・・まぁ、こんな人間を篤史は選ばないか(笑)
以上、レビューでした!
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