遠坂八重さんの『死んだら永遠に休めます』のレビューになります。
まず見てほしいのがこちらのあらすじです。
容疑者は――部下、全員。
無能なパワハラ上司に苦しめられながら毎日深夜まで働き詰めの生活を送る28 歳の主人公・青瀬。突然失踪したパワハラ上司・前川から届いたメールの件名は「私は殺されました」。本文には容疑者候補として「総務経理本部」全員の名前があった。
限界会社員・青瀬と妙に頭の冴える派遣社員・仁菜は二人で真相解明に取り組むのだが……。
発売前から「一気読み」「怖すぎる」と話題沸騰の、新しいストーリーテラーがおくる恐怖の”限界会社員ミステリ”!
なるほど。パワハラ上司のせいで過労死寸前だった主人公の物語なのね。ふむふむ。でも、その上司が勝手に消えてくれてホッとしたのも束の間、突然本人から「部下たちに殺された」というメールが会社宛に送られてくる、と。へ~何だろう。コレって逆恨み的なヤツなのかなぁ?たとえば上司は自分の悪口でも聞いちゃって、その仕返しに嫌がらせをしてるとか?それともかわいそうな部下たちを見ていた「誰か」が本当に上司を殺してしまったとか?
皆さんは、このあらすじをご覧になってどう思いますか?上司は失踪などしておらず、事件性はないと思うのでしょうか?それともパワハラを受けた上に、犯罪者扱いまでされている部下たちを気の毒に思うのでしょうか?
しかし、実際は違うのです。事実はそんな単純なものではありませんでした。
過労死寸前の職場の違和感
まず、噂の部署について紹介します。
物語の舞台は、株式会社大溝ベアリングという誰もが羨む大手企業の「総務経理統括本部」(略して総経本部)。
総経本部があるフロアには、他にも三つの部署、計五十名弱が働いており、その中で総経本部のメンバーは休職者をのぞいて七人います。
<総経本部のメンバー>
青瀬・・主人公で仁菜の教育係
前川部長・・パワハラ上司
丸尾・・部の最年長で定年間近だが、何の役職にもついていない
小林・・鬱で休職中
保科・・四十半ばだが、激務のせいで老け込んでいる
飯野・・毎日会社に泊まり込みで仕事をする限界社員
大盛・・この部で唯一の既婚者で二児の父。
仁菜・・ミスの多い派遣社員
総経本部の主な仕事は雑用です。全部署の雑務を一挙に引き受けるため、仕事量は多いのですが、任されるのは、専門性のない、単純で付加価値の低い事務処理全般です。そのため、他からはノースキルの集まりとバカにされています。しかし、わずか七人で(しかも部長は仕事をしないので実質戦力外)、会社の全部門の雑務をこなす必要があるため、休憩はおろか、定時で帰ることができない環境になっています。
やってもやっても永遠に終わらない無限ループ。休めないので頭が回らずミスを連発し、前川からは「密室の説教部屋」で罵詈雑言を浴びる日々。ここ十年で十三人が退職し、一人が自死し、一人が鬱で休職中という、明らかにキャパオーバーしまくりの部署。これが多くの読者が考える総経本部の第一印象だと思います。
ただ、この部署には何とも言えない違和感があるのです。それは、みんな過労死寸前で正常な判断ができなくなっていると思う一方で、もしかすると彼らは、シンプルに要領が悪いのではないか?という疑いです。
新しい仕事小説、新しい描き方
本書を読んでいると、彼らがやっている仕事は超単純作業なのですが、それなのになぜこんなに時間に追われているのか?わざわざ泊まり込みまでする必要があるのか?そして何より、なぜ前川が失踪した後も他部署の人は彼らに近づこうとさえせず、遠くから笑っているだけなのか?とにかく疑問が多いのです。
以下ネタバレ含む
その中でも青瀬はズバ抜けて多忙な生活を送っています。毎日のように他部署の人から催促の連絡をもらったり、派遣の仁菜のとんでもないミスのフォローをさせられていたり・・もう散々です。はじめはわざとかと思うくらい、仁菜のミスが多すぎて、そのせいで前川から「教育係のお前が悪い。派遣には責任がない」と叱られ、心身ともに疲弊しているのかと心配していましたが、どうやらそうではないことがわかってきます。ここで少し、そう思う原因をまとめたのでご覧ください。
①忘れっぽい
まず青瀬は超がつくほど忘れっぽいのです。これも過労で脳が正常に働かなくなっていることが原因だと思っていたのですが、彼女にはもともと適当なところがあります。なので、今聞いた話も意識が他のところにうつれば即忘れてしまい、結果頼まれた仕事が後回しになり、何度も同じ注意と催促を受けることになります。
②優先順位がわからない
また、仕事の優先順位がわからず、適当なので、面倒だと思った瞬間に考えることをやめてしまいます。基本的に「億劫なことはあとで」というスタンスなので、それにより人に迷惑をかけているという自覚がありません。
③家がゴミだらけ
これも阿部暁子さんの『カフネ』みたく、疲れて家事ができなくなっているのかと思いきや、上記の忘れっぽさと優先順位がわからないというコンボからゴミ捨てができていないことがわかってきます。しかも青瀬はアパートの住人からも「うるさい」「掲示板を見ない」と嫌われていることから、会社以外でも問題を起こしていることが露わになっていきます。
ん~。正直、前川がキレる気持ちはわかるかもしれません。だからといって、パワハラはダメですが、青瀬は自分の不注意やミスを認識しておらず、それどころか前川と仁菜のせいで理不尽なおもいをしていると思っている始末・・。これで他の部署の人たちが彼らを冷たい目で見ている理由が何となくわかる気がします。まぁ言っちゃなんですが、総経本部は左遷された人の集まりというわけです。それに気づいていないのは青瀬だけ。前川はそれをわかっているからイライラしているし、他のメンバーも何かをやらかしたからここにいることを自覚しています。むしろ前川は、仕事ができる人で、他からは青瀬のような部下がいることを同情されています。しかし、青瀬の世界では、あくまでも大企業の激務部署で不出来な後輩を持ち、上司からはパワハラを受けているかわいそうな私という設定になっているのです。
前半はこの青瀬の視点で物語を見ることになるので、「前川戻ってくるなー」「仁菜なんて切られてしまえー」「青瀬は早く病院に行くか、休職しろー、辞めろー」と思っちゃうのですが、どんどん展開していくに連れ、青瀬の言い分は信用ならないのかもしれないと思うようになります。
真相が残酷すぎる
ここからは急ぎ足でレビューします。えっと結論から言うと、総経本部で嫌われていたのは、パワハラ上司の前川と、みんなの仕事を増やす青瀬だったというオチになります。かわいそうなことに、「みんな」と一緒に前川の愚痴で団結していると思っていた青瀬は、自身も嫌われていたのですね。
あまり詳しくネタバレしないように説明すると、当初部署のメンバーは、この二人に職場から消えてもらう予定が、あるアクシデントにより前川が死亡してしまい、計画が狂ってしまいます。すると、なぜか前川本人から会社宛てに失踪宣告のメールと「自分にもし何かあったら部下たちに殺されたと思ってほしい」というメッセージが送られてきます。これで一気に会社全体から犯人扱いされてしまった総経本部メンバーは、自身の無実を証明するために必死になるのですが、青瀬だけは相変わらずどんな状況においてもマイペース。しかし真相解明にやる気満々の仁菜に引っ張られて事件の謎を紐解いていくうちに、知りたくなかった残酷な真相(仲間の裏切り)にたどり着いてしまうというわけです。
それは青瀬にとってあまりにも辛すぎる現実です。というか、ここまで来たら前川だけでなく、会社全体がパワハラです。青瀬の適性を見抜けなかった人事にも問題があるのに、使えないからといって、陰で笑いものにし、見下していたなんて。唯一の救いは、どうしようもないと思っていた仁菜が、実は似た者同士の味方だったということだけ。もう一人、青瀬の元カレの佐伯という男が何かと協力してくれるのですが、どうも彼はストーカーにしか見えず、私には不気味でした。これは勘違いかもしれませんが、勝手な考察をすると、彼が青瀬を職場から解放するように、何かしら罠を仕掛けていたのではないかとも思うのですよね。大事なタイミングになるとフラっと現れるあたりとか・・さすがに怖かったです。
感想と評価
前川は問題を抱えた部下(おそらく仕事ができない人だけでなく、人格に問題がある人もいる)のために、あれでも一応必死に改善しようとしていたようです。しかし無理だった。ただでさえ面倒を見るのも大変な部下なのに、それをたった一人で任され、見ていくうちに、超モンスターになってしまったのでしょう。
仁菜は学生時代に同級生から散々アレコレ言われてきたせいで、自分のどういうところが人から指摘されるのかをよくわかっているようでした。最初は辛かったけれど、過去に青瀬から「自分のできることだけをして楽しめばいい」と言われて救われ、今があります。一方、そんな素敵なアドバイスをくれた張本人は、そんな過去をすっかり忘れており、自分が他人からどう思われているのかさえ無頓着で、諸々のことに気づいていないし、注意されてもすぐ忘れます。基本的に他人に興味がないので、自分しか見えていません。
ただ、だからといって、青瀬みたいな人をいじめていいわけではなく、周囲が彼女の代わりに二倍働いていいわけでもありません。そもそもこの会社で青瀬がこなせる内容というのが、ほぼないのではないかと思うのです。スピードを求められる仕事なのに、先延ばし癖と忘れっぽさが目立つ青瀬に、一体どうやって、これらをこなしていけというのか。フォローするにも限界があるし、本人はプライドが高く、自己評価も高いので、傷つけずに改善点を求めるのも難しい。下手をすると人権侵害だとか、パワハラ案件にもなってしまいます。青瀬にだけ派遣がついているのは、そういう指摘できないミスのフォローも兼ねてなのですが、彼女自身指示の出し方が曖昧だったり、間違っていたりするので、自動的に仁菜もミスを連発しまくります。あぁどうすればいいの!
でも、これは青瀬もずっと辛かったと思います。なぜ仁菜はミスばかりして仕事を増やすのか?なぜ私は何も悪くないのに叱られてばかりいるのか?と、本気で思っていたわけですから。いくら他の人なら一時間でさばける仕事でも、青瀬にとっては何日もかかる激務なわけで、疲労は相当なものだったのでしょう。悲しくも日本の企業戦士として、どんなにブラックでも「仕事を辞める」という発想にはならないので、向いていない仕事をゾンビ化しながら頑張っている姿に、もうやめちゃいなよー、あなたに向いている仕事を見つけた方が楽になるよーと思ってしまいました。
本書を読んでいて思い出したのは、SNSで話題になった神田裕子さんという産業カウンセラーの『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』という本です。そこでは、ASDやADHDなど障害を持つ人を「職場の困った人」として動物のイラストで表現していたり、周囲の人が彼らの「尻拭い」をする大変さが描かれているそうで、Xでは「差別だ」とかなり問題になっていました。
これはまさに総経本部以外の部署の人たちが青瀬たちにやっていたこと、もしくは総経本部のメンバーが青瀬にやっていたことと同じなので、私もよくないことだと思います。内容もバカにしているように見えるし、笑っているようにも見えるので。ただ、それと同時に専門家でもない一社員に、すべての対応を任せるというのは、きれいごとなしで言えば、それは無責任なんじゃないかとも思います。実際に彼らにどう指示をしていいのか悩んでいる人も多いと思うし、そう思ってしまう自分を責めている人もいるのではないでしょうか。
そういう意味で、本書はどちらが悪いというのではなく、「互いに見えている世界が違う」ということを教えてくれる珍しい小説なので、ぜひ困っている人、悩んでいる人に読んでほしいです。誰にだって社会に出る権利はあり、職業の選択は自由にできるけれど、適性もあるので、合わないところに行けば苦しむし、最悪死を選んでしまう場合もあります。適性とは職業だけでなく、職場環境まで含むと個人的には思っており、障がいや病気の有無に関係なく人の数だけあるものだと思っています。
反対に、世間は簡単にフォローというけれど、それが誰にもすんなりできるわけではなく、常に緊張感と我慢をしていることからストレスで病んでしまう人だっています。どちらかを責めて、悪にして、おわり!ではいけないのですよね。ほんとうは。
そして何よりおそろしいのは、おそらく人は自分だけはマトモだと思っているところです。職場のあいつが嫌い、あいつは間違っている、こうしたほうがいい、ああしたほうがいい、みんなそう思っている。というのが、そもそも間違っている可能性があります。実は自分の知らないところでは、自分こそが悪者になっているかもしれないのです。そう考えると、とたんに不安になってくるし、「普通」がどの人を指すのかわからなくなってきます。
もしかすると、自分は絶対的に正しくて、相手が絶対的に間違っている!と思うこと自体が、客観的に見るとおかしいのかもしれません。その逆になってメンタルを病んでしまうのもよくないですが、なんかもう人生ってある程度開き治らないと生きていけないなと思いました。
もうね、極論ですが、変な会社はどんどんやめてけ、やめてけー。すぐに辞めるなというけれど、すぐに辞めた方がいい環境もある。もっと転職がスタンダードになれば、双方がここまでこじれることもないのになぁ。とりあえず人間休まないと、どんどんイヤなものを溜め込んで、どんどんイヤな奴になってしまうので。少なくとも誰かの死を願うようになった時点で休みましょう。もうすべてが面倒になった時では遅いので。
それではさいごに総評を。
評価4.8/5
誤字が多かったのはわざとなのかしら?それで満点にはしなかった。ずっと青瀬がかわいそうで、前川に怒っていたが、すっかり騙された。苛酷な職場環境がリアルだった分、余計にあるあるなブラック企業&パワハラ小説だと思い込んでしまった。まさかさいごまで読まないと真相が見えてこないミステリー小説だったなんて!途中で殺人事件も絡んでくるし、警察も出てくるし、前川もどこで何をしているのかわからないしでホラーすぎるところも、リアルと虚構と鋭い視点がミックスされた最新型の小説として楽しめたので高評価にした。
以上がレビューになります。
仕事がキツイ人にとっては、なかなかしんどい読書になると思いますが、新しい小説をお求めの方はぜひ読んでみてください。