間宮改衣さんのデビュー作『ここはすべての夜明けまえ』のレビューになります。

 

本書を簡単に説明すると、和製『アルジャーノンに花束を』という感じ。ほとんどがひらがなで描かれているため、読みにくいと思う人もいるかもしれません。個人的には想像していたよりカタカナや漢字があったため(何より翻訳小説ではないため)全く問題なく読めました。

 

以下に評価・あらすじ・感想を書いていきます

 

評価★★★★★

たった123ページの中に圧倒的な世界観が詰まっていて、その余韻も素晴らしい。普段汚いと思っている人間を愛おしいと思える不思議な物語。

 

 

あらすじ

時は2123年。九州の山奥にある小さな家に、たったひとりで暮らす女性がいます。彼女の名前はわからないので、仮に「私」とします。なぜなら作中では「  ちゃん」と表記されているため、そのスペース部分にどんな名前が入るのか読者にはわからないのです。

 

「私」がひとりで暮らしている理由は、不老不死だから。25歳の時に融合手術という体をマシーン化する手術を受けたので、通常よりも老いにくい体になっています。しかし、状態をキープするためには、専門医による定期的なメンテナンスが必要なのですが、それを彼女は受けていません。そのため脳機能にはバグが起こり、言語能力も衰え、全体的な機能も低下しつつあります。

 

そもそもこの世では、既にメンテナンスをしてくれる医師すら存在していません。地球上に存在しているのは「私」ひとりだけ。その他の人間は死んだか、宇宙に旅立ったかのどちらかです。実はまもなく地球は滅亡するとのことで、他のみんなはよその星へ逃げてしまったのです。

 

こうして、あとは死を待つだけとなった「私」ですが、孤独は暇を持て余します。そこで遠い昔に父親からもらったアドバイス「暇になったら家族史を書くといいよ」を思い出し、実行することにします。

 

つまり、本書は「私」による手記だと思ってください。

 

 

家族史の内容(少しネタバレ注意)

はじめは拙い文章で家族について語りだす「私」ですが、どんどん人生の「核」に触れていくにつれ、めちゃくちゃ重く、エモーショナルな展開になっていきます。

 

ちょっとここはネタバレになっちゃうのですが、実は彼女、父親から性的虐待を受けて育ちました。そのせいで心を病み、生きる希望を失っていたのですが、娘に執着している父親が彼女に死なれては不都合だと強制的に融合手術を受けさせた結果、このような現状に至っているのですね。

 

もちろん、父親は既に亡くなっており、家族史に登場する兄や姉たちも亡くなっています。当時から融合手術なんぞものは普通の人はまず受けない限定的な手段であり、どちらかと言えば安楽処置の方が流行っていたくらいでした。そんなイレギュラーな手術を死にたいと言っている娘に受けさせた父親は鬼畜以外の何者でもありませんが、このせいで「私」は死にたいのに死ぬことのできない長い人生を送ることになってしまいます。

 

当然「私」自身にも歪みができ、甥っ子をマインドコントロールして恋人にさせたり、そのせいで姉を自殺に追いやってしまったりもします。脳が機械化してからは感情も少し欠落してしまったのかな?と思いきや、本人はちゃんとそれを「罪」だと認識しており、むしろ人間の心を失っていなかったことが見えてきたります。

 

 

感想

最終的には「私」の周り(融合手術を受けていない)人間の方がマシーンみたいで、機械化された「私」のほうが人間らしいというふうに思いました。

 

未来の人間はもっと進化していて、ほぼAI人間のようになっています。優しい人間としてプログラミングされていますが、合理的なため感情的なことは理解できず、特に正解のない複雑なことは処理しきれていないようでした。

 

わたしはわたしのかんがえでうごき、わたしはわたしがみた、きいた、かんじたことでできていて、わたしをかえられるのも、わたししかいないから。(P119)

 

最新技術では嫌なことはその部分だけ削除することが可能です。しかし、「私」はテクノロジーの力では自分を救えないと思っています。自分を救えるのは自分だけであり、命尽きるまでの間にひとつくらいは「自分は間違っていなかったと思えることをしたい」と思うようになります。それは自分がしたことをきちんと見つめるという意味でもありました。

 

ここはかなり深い内容になっています。なぜなら彼女を傷つけた父親は娘をボロボロにしたあと認知症になり、自分の過ちをきれいサッパリ忘れてしまっていたからです。

 

いやだったこと、いたかったこと、かなしかったこと、くるしくてこんなのはやくわすれたいとねがったことはもちろん、うれしかったこと、たのしかったこと、しあわせだったこと、あいしたこと、一生わすれたくないとねがったこと、そして自分がだれになにをしたかもすべて消しさることができるんだって(P52)

 

なぜでしょうね。人間の記憶って良いことは留まらないのに、罪悪感のような悪いことはずっと忘れません。この父親のように都合よく忘れてしまう人もいますが、それはもともと自分の行いを「悪い」と思っていないから忘れてしまうのでしょう。父親にとっての悪いことは、最愛の妻が亡くなってしまったことであり、認知症になっても覚えているのはそれだけでした。

 

でも、できれば幸せだったことも忘れたくないですよね。もちろん罪深いこともきちんと見つめ直さなければなりません。ただ、一つ言えることはこの父親のような死に方はしたくないということ。彼は忘れたいこと(娘への虐待)を忘れたというより、最後までわからないふりをしたといったほうが的確かも。きっと罰が当たりますね。

 

おそらく「私」が長い人生で得たテーマは、自分を愛することだったのだと思います。愛されるのではなく、愛すること。他人に与えるのではなく、自分を満たすということ。これってなかなか真理というか、生きる上での本質的なことだなと思いました。

 

「私のからだは私のものだ」

 

これは当たり前でいて、世間に自分を委ねがちな人間にはなかなか見えてこないものです。

 

愛情は搾取してはいけないし、されてもならない。愛情は自分のために注ぐものです。

 

主人公が人生の最終決定を自分で選択できて安心したのと同時に嬉しく思いました。ちょっと好き嫌いがわかれる本になっているようですが、個人的にはかなり刺さった本なので、ここで紹介する本と相性の良い方はぜひ読んでみてください。重いけれどポジティブで、静謐なのに癖のある文章の虜になること間違いなし。人生のおわりに再読したいと思うような一冊だったので、お婆さんになったらもう一度読もうと思います。

 

以上、『ここはすべての夜明けまえ』のレビューでした!

 

 

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