今回ご紹介するのは、やさしい言葉が並ぶほっこり系の小説です。

 

 

 
<あらすじ>
“これから”の働きかたの物語

大学院を卒業後、新卒で入社した会社を春指みなとは九ヶ月で辞めた。所属していた総務二課は、社員の意識向上と企業風土の改善を標榜していたが、朝礼で発表された社員の「気づき」を文字に起こし、社員の意識調査のアンケートを「正の字」で集計するという日々の仕事は、不要で無意味に感じられた。部署の飲み会、上司への気遣い、上辺だけの人間関係──あらゆることに限界が来たとき、職場のトイレから出られなくなったのだ。退職からひと月経っても次の仕事を探せないでいる中、みなとは立ち寄った公園の草むらに埋もれた郵便箱を見つける。中には、手紙が一通入っていた。「この手紙を手に取った人へ」──その手紙に返事を書いたことがきっかけで、みなとと高校2年生の森本飛鳥の「郵便箱」を介した文通が始まった。無職のみなとと不登校の飛鳥。それぞれの事情を話しながら「文通」を「仕事」にすることを考えついたふたりは、クラウドファンディングに挑戦する。『ブラザーズ・ブラジャー』『人間みたいに生きている』の新鋭が描く“これから”の働きかたの物語!

 

 

院卒で入社した会社を九か月で辞めた春指みなと。人からすれば「たったそんなことで?」と思われるような理由でも、みなとにとっては辛く、そんな自分が社会不適合者ではないかと不安になります。

 

ある日、みなとは公園で草の中に埋もれていた郵便箱を発見します。興味本位で中を開けてみると、そこには一通の手紙が入っており、送り主が文通相手を求めていることがわかりました。さっそく返事を書いたみなとは、その日から高校二年生の森本飛鳥と文通をすることになり―

 

何通かのやり取りをしたある日、みなとが手紙を投函しに公園へ行くと、そこでついに飛鳥と出会います。ふたりはすっかり意気投合し、年の離れた友情を育むうちに、文通をビジネスにすることを思いつきます。そのためにまずはクラウドファンディングに挑戦することにしますが、なかなか集客が難しく、みなとは幼馴染の柊にアドバイスを求めるものの、なかなか上手くいきません。すると、飛鳥が”奥の手”をつかい、あっけなく目標額を達成してしまい・・・

 

実は飛鳥の父は有名作家の森本実。有名人の息子というプレッシャーに悩んでいた飛鳥ですが、自分が高校生であるからといって、みなとにだけ負担をかけたくない一心から開き直り、父に頼んでSNSでみなととの活動を宣伝してもらうことにしたのです。こうして、あっという間に、みなとと飛鳥の文通屋「鳥と港」はスタートするのですが、そこで待ち受けていたのは楽しい事ばかりではありませんでした。

 

会社員時代、考えることが好きなみなとにとって、何も考えずにできる単純な仕事は苦痛でしかなく、また、収益を優先した心のこもっていない作業をすることにも感情が追いつかず、ストレスになっていました。それに比べ、「鳥と港」の仕事は、楽しく、相手を思いやってできる理想の仕事でした。しかし、依頼が増えるにつれて手紙がノルマのようになり、結果、返事はテンプレートを使った流れ作業のようになっていきます。

 

一方、「鳥と港」を仕事ではなく、暇な時間の社会勉強と考えていた飛鳥は、みなとの”本気度”についていけません。いつしかふたりの間には「溝」ができ、最終的にはみなとが大人として飛鳥に言ってはならないことをぶつけ、決裂してしまいます。

 

 

みなとは甘い?

もしかすると、読者の中にはみなとのことを甘いと思う方がいらっしゃるかもしれません。みなとは恵まれた家庭で育ち、経済的に何不自由することなく大学院まで行くことができました。周囲には奨学金の返済に追われている人、みなとのように優秀ではなく正社員になれなかった人、家庭環境や境遇に恵まれなかった人がいます。しかし、目に見えるものが恵まれているからといって、その人が何にも悩んではいけないというわけではありません。みなとの場合は、周囲から「何でもできる凄い人」「恵まれた人」と思われているがために、レベルの高い生き方を求められることが多く、またその違和感を口に出してはいけない雰囲気が辛くてしかたなかったのです。悩んで当たり前の人、悩んではいけない人。そのライン引きは長い間、ずっとみなとを苦しめていました。

 

 

働くということ

文中にこんな言葉があります。

 

「ひとつのことって、ひとつの要素からはできてないと思うんだよね。この靴飛ばしだってさ、ブランコを漕ぐっていう動作と、靴を飛ばすっていう動作があるじゃない。靴飛ばし自体は楽しいんだけど、ブランコを漕ぐのが嫌だからしたくない。もしくはその日履いている靴がお気に入りだから飛ばしたくない。いろんな要素があって、そのどれかひとつでもダメだったらできないこともあるというか」

 

どんなことにしろ、なににもつまづかず、なんのさしさわりもなく「できている」って、けっこう奇跡的なことなんじゃないだろうか。(P216₋217)

みなとの人生は大学を出るまで順調そのものでした。もちろん、上記のような辛さは抱えていたものの、基本的に「できない」ということがなく、何でも人並み以上にできるうえ、コミュニケーション能力も高いといった最強の人物でした。おそらくみなとなら次の仕事もすぐ見つかるだろうし、起業することも可能なはず。しかし、今までみなとが立ち止まらずに済んだのは奇跡としかいいようがありません。本来、人間はもっと簡単につまづいてしまうものです。なので、みなとの挫折はそんなに大事ではないのですが、周囲からのみなとは凄い、みなとが泣くわけがないという圧力が、一度の失敗をとんでもないことのようにみなとを苦しめていました。正直、最初に入った会社は、単純にみなとに向いていなかっただけに思えます。だからそんなに悩まなくても‥。「できない」場所で心を殺すより、「できている」と思える場所に移ることはおかしなことでも、ズルイことでも何でもありません。一発でずっと続けられる仕事を見つけられるほうが奇跡なのです。

 

 

飛鳥について

みなと以上に恵まれているように見えるのが飛鳥です。飛鳥は父に不登校を咎められることなく、父の力を使って登校せずとも単位を取得し、卒業できる予定です。しかし飛鳥には飛鳥なりの苦労があり、どこか年齢よりもかなりしっかりした子に育っています。みなとはそんな飛鳥に対し、自分のことを棚に上げて「あなたは恵まれてるからわからないよね」と言ってしまうシーンがあります。普通の高校生ならここで反発してしまうところですが、飛鳥は”その通り”だと認め、自立を目指し、大胆な行動に出て、みなとを驚かせます。これから本書を読む方には、ぜひ飛鳥の大人びた言動や知識量、文章力、思考力に注目していただきたいです。飛鳥を見ていると、大人が彼に教えられることはあるのだろうか?と、その優れた人間性含めて考えてしまいます。

 

 

何となくおわかりのように、みなとと飛鳥はとても知的で感受性豊かな人間です。物事のひとつひとつを丁寧に受け取り、考え、少しの疑問も適当には流さない真面目さがあります。どちらも良い人なのに不器用というところもそっくり。そしてふたりは「鳥と港」を通して、いろんな「気づき」を得ていきます。

 

恵まれている人とそうでない人との対比が双方の立場から描かれ、その人になってみないとわからない物の見方を知ることができ、個人的には大変有意義な読書になりました。私としては、みなとや飛鳥のことを「甘い」とは思わず読み終えたことに自身への成長を感じました。誰にも理解してもらえない悩みが辛いのも事実。それをすくい取れる高校生の飛鳥は心配なのと同時に凄いなと思いました。

 

自分の当たり前を人に重ねない。これを見失っている人は多いはず。自分が辛いときほど、真逆の人に対し攻撃的になってしまうもの。大人になったみなとはこれをすっかり忘れていましたが、実は彼女は中学時代に卒業式の答辞でこんなことを言っていました。

 

みんなが町で暮したり一日あそんでゐるときにおまへはひとりであの石原の草を刈るそのさびしさでおまへは音をつくるのだ

 

この宮沢賢治の「告別」から引用した答辞は、みなとのアドリブでした。普通の答辞なら、友情や恩師、家族への感謝、未来への希望を語るのが当たり前です。しかしみなとは、ここでそれを当たり前とはしませんでした。この三年間が楽しかったわけではない子の気持ちを否定せず、これからに絶望を抱えている子に綺麗な理想をおしつけるわけでもなく、ただ「負けないで」とメッセージを送ったのです。

 

 

何に対してかはわからなかったけれど、友達も、苦手な子も、けんかした子も、一度も話したことのない子も、みんな、負けないでほしいと思った。今日この日をもって、みんなばらばらになって、どうしようもなくひとりになる。これから先ひとりで泣く子もいる。そのとき、私はそばにいてあげられないけれど、ひとりでも前を向けるようなものをなにか渡せたらという衝動にかられて、ふっと思い浮かんだのが「告別」だった。(P221₋222)

 

生きることへの余裕のなさから、私たちが考えることをやめてしまった「心を大切にする」ということ。本書はそんなことをじっくりと語りかけてくれます。

 

自分のためが人のためになって、人のためが自分のためになる。心をこめる作業は人の心を豊かにする。

 

そんなシンプルなことを改めて実感させてくれる一冊でした。

 

忙しい人にこそぜひ手に取っていただきたい!きっと見失っていた感情が蘇ることでしょう。興味のある方は迷わず読んでみてください。美しく、切ない文章がそこに待っています。

 

 

以上、『鳥と港』のレビューでした!