七年前、旭ヶ丘の中学校で起きた、無差別毒殺事件。死亡した生徒は九名。入院した生徒は二十一名、うち三名は昏睡状態に陥るほどの重症で、担任教師に至っては、退院後も重篤な後遺症をかかえ社会生活を営めなくなってしまいました。
原因は給食の野菜スープ。そこにワルキューレという毒物が混入されていたのです。ワルキューレの致死量は、成人で一グラム。鑑識によると、事件が起きたクラスの鍋にはそれが二十グラム以上も入れられていたそうです。
犯人はこのクラスで唯一無事だった生徒、上田祐太郎。事件当時は十四歳。犯行動機は不明で、毒物は薬局を営んでいた祖父母宅の物置小屋から盗んできたとのこと。家庭裁判所に送致されたあとも、少年は反省することなく、最後まで謝罪の言葉を口にすることはありませんでした。
初っ端から不気味な雰囲気が漂っていますが、これらは過去の出来事。物語は七年後の”現在”からスタートします。主人公の清水は、結婚したことを機に、旭ヶ丘の住宅街に引っ越してきます。妻の香奈恵には十四歳の晴彦という息子がおり、初婚の清水にとって突然の父親業はかなりのプレッシャーになっています。
実をいうと晴彦は、前の学校で酷いいじめに遭っており、香奈恵は新しい環境で上手くやっていけるかを気にしている状況です。しかし、この地に来てから近所の人や、学校の教師、クラスメイトたちから「晴彦は上田祐太郎と似ている」という噂を立てられ・・・。
やがて旭ヶ丘では奇妙な事件が相次ぐようになります。飼い犬の変死、不審者情報、学校に届く脅迫状etc.そんな中、晴彦は「高木くんという友達ができた」といい、毎晩帰りが遅くなります。
ある日、担任教師に学校での晴彦の様子を訊いた清水は、その話の中で「高木」という生徒が学校に存在しないことを知ります。ここ最近の奇妙な事件と、晴彦の遅い帰宅時間、そして彼が嘘をついていることから、清水はとてつもなく嫌な予感に襲われます。
「まさか変なことをしていないよな?」
この時点ではまだ晴彦のことを信じていた清水でしたが、上田がシャバに戻ってきたことや、上田の中学時代の親友の名前が「高木」であったことを知ると、息子が何かとんでもないものに巻き込まれているのではないかと不安になります。
信じたいから、疑いへ。
そんなタイミングで再び、旭ヶ丘で事件が起きてしまいます。ついに死亡者が出てしまったのです。
すると、どうやら被害者家族の子どもたちと、晴彦の様子がおかしいことに気づく清水。彼らは何かを隠しているのか?まさか彼らがこの事件に関わっているのか?
さて、清水は突然できた息子のことをどこまで信じたらいいのでしょうか。晴彦は上田と同じタイプの人間なのか、それとも・・。
という話だと、あらすじまでは思っていたのですが、実際に読むと全然違いましたね。(以下ネタバレ注意)
後半は上田と高木が姿を現すのですが、まぁ彼らの大人への自分語りが長い、長い。そして大人ほど彼らの言い分には消化不良というか、謎を抱えたまま終わってしまうような気がしました。
ただですね、おそらく自分が中学生だったら少しわかるような気がするんですよ。この上田たちが言っている「世界の終わりが見てみたい」って気持ちが。そのわかりそうで、わからない恐怖に「カミサマ」的なものを感じてしまう気持ちが。中二病といって片付けてしまえば、ソレなのですが、もう現在の上田は子供ではないので、なんちゃって中二病でしかないんですよね。結局、上田は年下の子たちを騙して、カリスマを気取りたかっただけ。特別になりたかっただけ。中二どころか幼稚だっただけ。そのメッキが剥がれたとき、崇拝者の少年少女たちはガックリするでしょうね。
そしてこんな奴らに晴彦を奪われてしまった清水は、息子を取り返すためひとり闘います。不器用ながらも父親になろうともがく清水の奮闘には、さすがの晴彦もグッとくるものがあったのではないかなぁ。お隣の大谷さんは、血のつながった家族でも家庭内暴力があったわけだし。それと比べればマシな気がします。晴彦はずっと清水のことを試していたように見えました。自分が高木たちの仲間になったように見せかけて、反応をうかがっていたところもあったのではないかと思います。
まぁ、実際のところは謎ですが。他の方の感想と同じく、難しかったというのが本音です。
大人と子どもって言語が違うのかというくらい通じないときがあるので不思議ですよね。子どもの頃は、大人の気持ちなんてまったくわからないのに、なぜかわかったつもりでいたし、大人になると子どもの気持ちをきれいに忘れてしまう。言葉が交わることなどないのではないかというくらい、線が引かれていますよね。
何だかそういうことをとても突きつけてくる一冊だなぁと思いました。相手に本音でぶつかるとか、心を開くとか、そういうのではなく、まずは自分の内面と向き合うことが大事なのに、それをしないまま結論を出す人が多いのかもしれませんね。自分が本音だと思っているものは、本音ではないのかも。本当はもっと奥にかたまりがあるのかも。
以上、『木曜日の子ども』のレビューでした!