『なれのはて』とは、 落ちぶれていった結果の有様、没落して最終的に行き着いた状況、などを意味する表現だそうです。いったい何が落ちぶれていったのだろう??このドロドロとした黒と白の表紙は何を意味しているのだろう??

 

そんな興味本位から読みました。加藤シゲアキさんの『なれのはて』。著者の作品を読むのはデビュー作の『ピンクとグレー』以来です。

 

 

 

 

まず驚いたのが作風です。な、なんだこれは?!す、す、すごい!!久しぶりに読んだら加藤シゲアキが進化しているー!!!著者初の時代小説とは思えないくらいの力作。本当にはじめてなの?と、疑ってしまうくらいの完成度になっています。

 

本書は大正時代から現代にいたるまでの日本を描いた物語です。戦争の悲劇や科学技術の功罪、障がいを持つ人への差別や横暴するジャーナリズム問題を取り上げた作品になっており、かなりのボリュームがあります。

 

これだけのテーマを抱えながらも、それぞれがバラバラにならず展開していくところはアッパレ。素晴らしい作品なので、ぜひ多くの方に読んでいただきたいです。

 

 

 

 あらすじ

 

ある事件をきっかけに報道局からイベント事業部に異動することになったテレビ局員・守谷京斗(もりや・きょうと)は、異動先で出会った吾妻李久美(あづま・りくみ)から、祖母に譲り受けた作者不明の不思議な絵を使って「たった一枚の展覧会」を企画したいと相談を受ける。しかし、絵の裏には「ISAMU INOMATA」と署名があるだけで画家の素性は一切わからない。二人が謎の画家の正体を探り始めると、秋田のある一族に辿り着く。現在の当主は絵の存在を知ると、破格な値段で買い取ると言い出した。なぜ誰も知らない画家の絵にそこまでの額を提示するのか。その謎を明らかにしていくなかで、守谷はもう一度ジャーナリズムの世界にいる自分を見つめ直す。正義とは何か。報道は何のために必要なのか。やがて辿り着いたのは、一枚の絵に蠢いていた隠された歴史であり、多くの人の命運を分けた悲劇であり、そしてやるせない時代に翻弄されながらも確かに生きた人間の熱情だった。(ウィキペディア参照)

 

 

 

 土崎空襲

 

まず、本書の大きなテーマになっているのが「戦争」です。物語の核になっているのは、日本最後の空襲といわれる秋田・土崎空襲。当時なぜこの地が狙われたのかというと、秋田市中西部には八橋油田を始めとする採掘可能な油田が存在しているのに加え、大規模な製油所が立地していたからです。結果、爆撃目標の日石製油所は全滅状態になり、港、市街地も大きな被害を受けたそうです。

 

そして、この空襲の原因となった石油で財を成した人物というのが、本書のキーマンとなる猪俣ファミリーです。守谷たちが探している無名の画家「ISAMU INOMATA」は、猪俣石油化学株式会社の次男・猪俣勇だったのです。

 

しかし、この勇という男は会社を継がず、家族とも縁を切り、他人の子供と一緒に絵画教室をしながら暮らしていたことがわかります。しかも現在は消息不明。どうやら石油のせいで大切な人や場所を失ったことをに嘆く勇と、石油のおかげで財を成した兄・傑との間にいざこざが起きたようで、その後、傑は焼死体で発見され、勇は行方不明になったのだとか・・・。

 

もしかすると、守谷たちが展示会をしようとしている画家は、傑を殺した犯罪者なのか?物語はあやしげな方向へ進んでいきます。

 

 

 

 自閉症スペクトラム

 

勇が一緒に暮らしていた少年の名は、道生(みちお)といいます。どうやら彼は今でこそ診断名のある自閉症スペクトラムで、家族を空襲で失い、ひとりで生きていくことができない状況でした。そんな道生を家族として迎えてくれたのが勇で、彼は道生に絵の才能を見出し、将来絵で生計を立てられるように支えます。

 

一方、生前の傑は勇が障がいのある少年と暮らしていることをよく思っていませんでした。そこで傑は養子の輝を監視役として

、勇がこれ以上おかしなことをしないように送り込みます。しかしそのせいで輝は厳しい傑と一緒に過ごすより、勇と道生と過ごす時間を好むようになり―

 

傑は弟の勇だけでなく、養子の輝とも関係が悪化し、いよいよ精神が追い込まれていきます。そのタイミングで起きたのが上記の兄弟喧嘩だったのです。

 

 

 

 呪われた一家

 

おかしなことに、猪俣家では傑と勇の父・兼通までもが失踪しています。兼道は妻のかよが亡くなってから、生きる希望を失い廃人のような日々を送っていました。一族から二人も行方不明者が出る家なんてどうかしていますよね。しかも傑にいたっては焼死です。傑にはサチという妻がいましたが、彼女との間には子がおらず、輝を養子に迎えたのですが、この輝の両親が発覚すると、また物語がややこしくなっていきます。

 

つまり・・なんだこの家族は!!!という展開になります。

 

しかも元妻のサチはもっと凄い。傑と離婚後、傑と一緒に会社を興した友人と再婚しているのです。そしてその友人の息子と輝は傑の死後ともに会社を支えることになります。

 

という猪俣家の過去を、守谷と吾妻は調べていくのですが、彼らがなぜそんなことをしなければならないのかと言うと、展示会を開くためには画家の著作権問題が絡んでくるからです。何としてでも権利者か、生きていれば画家本人から許可を得なければならないのですが、「ISAMU INOMATA」のことを調べれば調べるほど事件性が増していくのです。

 

これ以上は書けませんが、「ISAMU INOMATA」の真実を知ると読者は確実に驚くでしょう。そしてすべての意味が繋がっていきスッキリします。

 

 

 

 なれのはて

 

本書にはこんなシーンがあります。それはかつて輝が父の友人でビジネスパートナーであった真喜夫から油井戸を見せてもらった時の台詞。

 

 

それから彼は井戸を指差し、「これがなにかわかりますか?」と訊いた。覗き込むと黒い液体がぬらぬらと光を反射している。「なれのはてです」P357

 

また、これは失踪した父・兼通の台詞です。下は「死」を願う兼通に女中がかけた言葉です。

 

 

ある夜、彼はこんなことを教えてくれた。原油は太古のプランクトンや生物が海底や湖底に堆積し、長い年月を経てできたものと考えられている。つまり生き物のなれはてだと。「俺らも死んだら石油になれる。なにかの熱になれる」

 

「旦那様の願いです。ここでなれはてとなり、どうぞ熱へと」P371

『なれのはて』とは、生き物すべてのことなのかもしれませんね。個人的にこのシーンを読んだ時は鳥肌が立ちました。

 

ですが、最初から最後まで読むと、筆者が伝えたかった本当のテーマはコレなのかな?と思いました。

 

 

入社してからずっと、報道とはいったい何かを考え続けている。かつては真実をつまびらかにし、世間に知らせることだと思っていた。しかし今は何もかもを暴き、公表することが正しいとは思えない。道生、輝、傑や勇、その他彼らをとりまく人間たちに起きた真実を、全て明らかにすることを、報道と言えるのだろうか。輝が道生の過去を明かさないように願ったように、何かを守ることも報道の役割ではないか。P442

 

守谷が報道局からイベント事業部へ異動になったのは、自身の失態が原因でした。彼は上司が止めたスクープを無断で他者に横流ししてしまったのです。それは正義感に溢れる上司が上からの圧力に屈し、ネタを潰そうとしたから・・いや、そう思えたからです。けれども実際は違いました。上司は、この問題を叩くことで無関係の人にまで害が及ぶことを案じたため、裁かれるべき者だけに審判が下されるまで準備していただけだったのです。

 

この文章を目にした時、おそらくほとんどの読者の頭に過ったのは、旧ジャニーズ事務所の性加害報道だったと思います。そこで気になって調べてみたら、ありました。そこに触れている記事が。

 

 

お時間のある方はぜひこちらの記事も合わせて読んでみてください。

 

と、こんな感じの感想しか言えませんが、以上が『なれはて』のまとめになります。

 

想像していた話と全然違っていい意味での驚きしかない一冊でしたね。

 

ラストは「小説」という世界を大切にしたのかな?という持っていき方になっています。賛否両論あるようですが、たまにはこうやって美しく終わる小説もアリかなと思います。リアルさのあとにやって来るエンタメ感。これは加藤シゲアキさんの個性になってくるのかもしれません。