今回ご紹介するのは、2013年に起きた山口連続放火殺人事件のルポルタージュになります。

 

 

<事件概要>

山口連続殺人放火事件は、2013年7月21日に山口県周南市大字金峰の集落にて発生した連続殺人・放火事件。 集落の住人だった加害者の男Hが自宅近隣に住む高齢者5人を殺害して被害者宅に放火した殺人・非現住建造物等放火事件である。 報道では「周南5人殺害」「山口・周南5人殺害」「周南市5人殺害」などと呼称される場合がある。(wiki参照)

 

※本書では被害者、被害者遺族の名前が載っています

 

 

 

 限界集落で何が?

 

この事件の犯人は、殺害された5人と同じ集落に住む保見光成という63歳の男でした。

 

被害者は、保見に嫌がらせをしていたメンバーらしい。事件後そんな噂が流れたため、筆者はその真相を明らかにしようと現地へ取材に行きます。

 

事件が起きた山口県周南市大字金峰の集落は、いわば限界集落と呼ばれるような田舎で、どうやらそこで保見は村八分に遭っていたらしいのです。保見は東京から両親の介護のためUターンしてきた(高齢者しかいな村にとっては)若者で、田舎者の周囲と価値観が合わず孤立するようになった結果、このような事件を起こしてしまったのではないか?という憶測が飛び交っていました。

 

警察は事件当時、犯人の家に貼られた川柳<つけびして 煙り喜ぶ 田舎者>を犯行予告と見て、保見を逮捕したのですが、実は村には常日頃このような張り紙や、犬や猫が突然亡くなるなどの事件が起こり、それらは保見以外の者がやっているという噂があったのです。

 

 

 

 田舎では本当によくあること?

 

結論から言うと、この村では噂話が人々の娯楽となっていました。そんな中で保見は特にネタにされやすい人物で、あることないこと言われていたことは事実のようでした。

 

しかし、村人たちは誰も保見の噂などしていないし、嫌がらせもしていないと言います。むしろ自分たちの方が嫌がらせの被害者で、保見は態度が悪く、傲慢で、村の集まりにも顔を出さないような男だったと口を揃えます。

 

そんな村人ですが、集団から個人になると「実は・・」と本音を語り出します。それは「おかしいのは保見だけはなく、〇〇さんも」という悪口。誰もが「自分は保見に嫌がらせをしていないし、すべて彼の勘違いであり妄想」と言いながら、「でもあの件は〇〇さんがやったと思うよ」という話をするのです。

 

実際、私もルポを読みながら、村人たちの異様な言動に理解が追いつかないことが多々ありました。筆者は「田舎ではよくあること」だと書きつつも、村人から受けた強烈な違和感を細かく描いているので、それが答えだと思います。

 

 

 

 ドラマはいらない

 

ただ、ひとつ気になったのが、ルポをあまりにもドラマ化しようとしているところです。前半部分は良かったのですが、結局、真相のようなものは得られず、そのかわりにひとりの人が語った「殺されたのは氏神さまを大切にしなかった者」という話を「ことの真相」という章題にしてまとめたのはうーん・・・。まぁそうだと信じる人もいるでしょうけれど、何だかちょっとドラマ仕立て。

 

また、「古老の巻」という章題では、複数人の話を一人称にして書くことで、架空の村人を作り上げ、回想させるといった書き方になっていて、やはり後半はどうしてもドラマっぽい。なんなら筆者も期待していたような展開にならず残念がっているようにさえ見えました。

 

 

 

 感想

 

結局、なぜ保見が犯行に及んだのかは不明のまま終わり、真実がわからぬまま死刑は執行されるのでしょう。筆者はそこに強い憤りを感じているようで、私も残念に思います。

 

おそらく保見は事件前から妄想性障害を患っており、村に帰って来てからさらに病気が悪化したのではないかと思います。しかし、それに気づいたり、手助けをしてくれる人の存在はいなかったと言えます。

 

妄想性障害を抱えた人にとって、うわさ話だらけのこの村は地獄のような環境だったのではないでしょうか。事実、村人たちは保見が「嫌がらせ」を受けていると思っても仕方がないようなことをしていたので、そこから疑心暗鬼になり妄想が膨らんでいったのだと考えられます。

 

事件を起こした時の保見は既に病気が進行した状態で、まともな会話ができなくなっていました。警察やライターに何を聞かれても「妄想」しか語れなくなっていたのです。

 

それにも関わらず、裁判所は、保見に責任能力はある、と言いました。

 

 

一審二審はこういう言葉を使ったんです。『妄想性障害』。今回、『障害』を外して『妄想』と言っていた。ここには『お前の勝手な思い込みだろう』という厳しい非難が入っていた。『障害』をわざと外している。P285

 

 

筆者はこの判決に、「社会的に大きく報じられた大量殺人を犯した被告人は、事実とは関係なく完全責任能力を認められてしまう傾向がある」と嘆いています。逆にそうではない事件は、責任能力があっても「なし」と判断され、無罪もありえるのが現行の司法システムだと言います。

 

その典型的なパターンなのか、保見は「責任能力あり」「妄想と事件は無関係」「死刑」という判決を下され、あとは執行されるのを待つだけという状態になってしまいました。これで被害者遺族は二度と保見の口から真実を聞けることができなくなったのです。

 

警察も弁護士も保見に妄想性障害があると知っていながらも、それを誘発するような資料を見せて、さらに妄想から抜け出せなくしていましたからね・・。治療を受けるなどして快方に向かわせてくれていれば、そのうち事実が明らかになったかもしれないと思うと、残念です。まぁ結局は被害者遺族がどう思うかが大事になってくるので、彼らが死刑のみで納得できればそこがゴールなのだと思います。(もちろん保見には正常な状態に戻って、この罪に向き合ってほしいと思うし、死刑うんぬんはそれからと願う方もいらっしゃるとは思います)

 

本書を読んで気をつけないとならないのは、村人への誹謗中傷です。噂されているような村八分やいじめはなく、妄想性障害を抱えた犯人にとって、(噂好き干渉好きな)つけびの村の環境はよくなかったということなのだと思います。

 

全体の感想としては、噂で人を傷つけたり、妄想で人を恨んだりしないようにしようということ。事件ルポとしてはやや消化不良で終わった感じはしますが、筆者のめげない取材力にもの凄い熱を感じた一冊でした。

 

田舎は怖い 狭い世界は逃げ場がない

 

 

 

 

以上、『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』のレビューでした!