今回は小川哲さんの短編小説をご紹介します。
認められたくて、必死だったあいつを、お前は笑えるの? 才能に焦がれる作家が、自身を主人公に描くのは「承認欲求のなれの果て」。青山の占い師、80億円を動かすトレーダー、ロレックス・デイトナを巻く漫画家……。著者自身を彷彿とさせる「僕」が、怪しげな人物たちと遭遇する連作短篇集。彼らはどこまで嘘をついているのか? いや、噓を物語にする「僕」は、彼らと一体何が違うというのか? いま注目を集める直木賞作家が、成功と承認を渇望する人々の虚実を描く話題作!
こちらは著者の分身が主人公を担当する全6編収録の小説になります。一見エッセイかと思いきや、真実と虚構が混在している完璧なフィクションという不思議な物語。まずプロローグに就活を仕方なく始めた小川さんらしき大学院生が登場します。彼は本好きという理由で新潮社を受けることにしますが、エントリーシートを書くのに手こずります。結局、会社員に向いていないからと作家になってしまうのですが、ある日編集者から「僕も昔、小説を書こうとしたことがありました」と言われ、もしかしたら自分たちが逆の立場になっていた可能世界も存在するのかもしれないと思うようになります。
新潮社を受けようとしたけれど、エントリーシートを書けずに小説を書いて作家になった自分。小説を書こうとしたけれど失敗して、新潮社に入社した編集者。
僕たちは手に入れることのできなかった無数の可能世界に想いを巡らせながら、日々局所的に進歩し、対極的に退化して生きている。きっと、そうすることでしか生きていけないのだと思う。P44
ここから小川さんらしき主人公が書いたと思われる物語がスタートします。以下に私お気に入りの作品をレビューしました。
三月十日
「三月十日」という作品は発想が面白かったです。東日本大震災の前日に何をしていたか記憶にない主人公。三月十一日の記憶はあるのに、その前日はまったく記憶にないことが不思議で仕方ないという物語になっています。
言われてみれば、確かに私もそうかもしれない。つい共感してしまう内容に、こういうことを小説にできる力はさすがだなぁ、よく見落とさないでいられるよなぁと尊敬。主人公は十一日の記憶から過去を辿って行くのですが、それはとても曖昧なもので、真実を思い出したとき、いかに自分が過去を無自覚に都合良く塗り変えていたのかを実感します。
たとえば三月十一日に人と会う約束をしていたけれど大遅刻した記憶はある⇒けれどもなぜ遅刻したのかは覚えていない⇒あの頃はよく飲み会をしていたのできっと二日酔いで寝坊したに違いない⇒ということは三月十日は飲み会をしていたのか!
でも、実際に記憶を思い出してみたら全然違っているわけです。遅刻の理由も、前日にしていたことも大間違い。なのにそう思い込んでしまったのは、当時地震の揺れを「二日酔いみたいだな」と感じた記憶が薄っすらと残っていたから。この「二日酔いみたいだな」という記憶が現在では「二日酔いしていた」に変わっていたのです。
と、いうような記憶の改ざん的なことが「三月十日」では書かれているのですが、主人公が正しい記憶を思い出したときには人間の身勝手さ、調子の良さが垣間見れるのでお楽しみに。彼が十日の出来事を思い出せない理由のひとつに、実は「都合の悪いこと」があるのです。だから脳は記憶を改ざんしたのに、時間が経ったらそれすら忘れるとは・・・なんだか怖ろしいですね。
小説家の鏡
こちらは主人公の友人である西垣からのお悩み相談になります。西垣には小説家志望で占いにハマっている奥さんがいます。彼女は最近行きつけのインチキ占い師から「仕事をやめて小説に専念したほうがいい」と洗脳されているとのこと。西垣が反対するもスルーされるため、小説家である主人公にぜひ説得してもらえないかと頼みます。
大の占い嫌いの主人公は、占い師の嘘を暴くべく西垣と自身個々に分かれて客として店へ乗り込みます。西垣は占いを信じない客を演じ、主人公は嘘の相談事を持ちかけて反応を見るという作戦です。結果、占い師には何の特殊能力もないことがわかります。
しかし占い師には「人の心を読む力」はなくても「人の心を読んでいるように見せる力」はありました。必要な情報はすべて相手の口から引き出し、その情報をあたかも自分が当てたかのように振る舞っていたのです。読みが外れても上手に誤魔化すテクニックでクリア。単に依頼主の本心を代弁するだけで有能な占い師になれていたわけです。
嘘に対して誠実に向き合う―占い師とはある意味こう表現もできます。そう考えると主人公は自分が最も嫌っている仕事と自分の仕事が、実は同じ種類の欺瞞と、同じ種類の誠実さを必要としているのかもしれないと妙な親近感を抱くのでした。
承認欲求
本書で一番面白かったのは、表題にもなっている「君が手にするはずだった黄金について」ですね。片桐は主人公の高校の同級生。昔から負けず嫌いで口達者であるものの、理想と現実の差に劣等感を抱いています。高校時代から東大に行く、起業するなどと豪語しつつも、受験と就職に失敗し、プライドをへし折られています。
そんな片桐が現在、友人たちにあやしい情報商材を売りつけていたと思ったら、急に80億円を運用する有名投資家になっているという噂が立ちます。どうやらSNSを確認するかぎりそれは本当のようで・・
しかし同級生たちは、なぜか片桐をちっとも羨ましいと思えません。おかしいな、六本木のタワマンに暮らし、芸能人とも交流があって、たくさんファンもいるのに。あの片桐だと思うと嫉妬心がまるで生まれない。
一方、人々に認められたい片桐は成功と承認に渇望しています。月額一万もする有料ブログを熱心に読んでくれるファンがいても、それは足りません。なぜでしょう。本当は彼自身も周囲から羨望されていないことに気づいていたからでしょうか。それとも・・
そんな時、当然片桐のSNSが炎上します。なんと片桐はとんでもない詐欺師だという書き込みがされ―
片桐は主人公によくこんなことを言っていました。「俺の商売なんて、才能がなくても知識さえあればできる。でも、お前の仕事は才能がないとできない」。そう、残念ながら片桐は、たとえ嘘でもいいから自分の才能を誰かに認めてほしくて最初から勝ち目のない詐欺に手を染めてしまったのです。
欲しかったのはお金ではなく、才能。一瞬でもいいから誰かに認めてほしかった気持ち。
しかし、「虚構を売り買いして生きる」という点において主人公は自分と片桐は同じではないかと思うのでした。
感想
本書には「承認欲求」を抱えた人がたくさん登場します。そしてそういった人と自分を(彼らを理解できないと思っていたはずが)鏡のような存在だと主人公は思うのです。
また、本書は哲学が好きな方にはオススメの本ですが、そうではない方にはめんどくせーと言われそうな本です(笑)でも誰もが人生の中でひっそり?こっそり?感じたことのある出来事が綴られているので面白いよ!とだけは言わせてください。
私が共感したのはココ。
思えば、当時から僕は、自分以外のみんなが自分と同じような疑問を抱かずに生きていけることに苛立っていた。(略)青、赤、白、黒は「い」をつければ形容詞になるのに、他の色がそうではないのはなぜか。(略)こういったことを大人は答えを教えてくれないし、そもそも疑問にすら思っていなかったりする。僕は他の人が何も感じずに通りすぎてしまう出来事に気を取られ、前に進めなくなることがあった。これは才能だろうか?それとも才能の欠如だろうか?僕は「欠如」だと思って生きてきた。P202
わ・か・るー!!でも、この気持ちをストレートに吐き出すのもマズイことだと知っていただけに、私の場合は「苛立ち」ではなく「孤独=不安」でした。
やはり人と違うことには敏感になるので、ある程度は自分を「偽って」平均によせていく能力は必要ですよね。別にそこまでしなくてもいい、はみ出したって平気という強い人だけは自然体でいられるのでしょうけれど。
本書にも嘘をつく人たちがたくさん出てきますが、彼らを馬鹿にしたり、叩いたりする人たちの中に、一体嘘をついたことのない人はどれだけいるのだろうかと思いました。
偽ったり、演じたりしないと生きていけないのが世の中。
なんだかとても後ろめたい気持ちになる一冊でした。