(画像:Wikipediaより)
今回ご紹介するのは中脇初枝さんの4年ぶりの新作『伝言』になります。
中脇さんの本は『きみはいい子』『わたしをみつけて』『神の島のこどもたち』etc..何冊か読んだことがありますが、新作の『伝言』は、戦時中の満州で出会った3人の少女を描いた『世界の果てのこどもたち』のサイドストーリー的なものだと聞き気になっていました。
『伝言』を読むにあたって、記憶が曖昧になってしまった『世界の果て~』を再読した方がいいかな?と思いつつも、結局先に本書を読んでしまったのですが、全然問題なく読めました。
気づかなかった
今回の主人公は崎山ひろみという少女です。ひろみは生まれも育ちも満州で、現在は新京で父・母・妹・弟との5人で暮らしています。崎山家は父親が協和会新京本部の第二課長をしているため、総理大臣官邸前にある大きな社宅に住むことができ暮らしにも余裕があります。
一方、ひろみの周囲には同じ満州育ちの日本人であっても、親の職業やちょっとした環境の違いでとても苦労したり、悲惨な目に遭っている子たちがたくさんいます。しかし当時のひろみにはまだ物事を深く考える力がなく、目の前に困っている人がいることを想像すらできませんでした。
それは中国人に対しても同じでした。ひろみは中国人たちを「満人」と呼び、彼らが自分たちによくしてくれることを当たり前に思っていました。力仕事をしているのが中国人ばかりなこと、日本人が中国人の車夫に代金を払わなかったり値切ったりすること、日本人が中国人を”ニイヤ”と呼ぶこと、などに何の疑問も抱いていなかったのです。
なので、ひろみは自分が中国人から嫌われていることにも気づいていませんでした。ひろみはボロボロの服を着て凍えている中国人の前を毛皮を身にまといながら横切って行く時も、まさか彼らから睨まれているなんて思ってもいませんでした。それほど色々なことに”気づいていなかった”のです。
日本人でも、中国人でもない
しかし、ひろみがそうなってしまったのも自然といえばそうなのかもしれません。生まれたときからひろみにとって満州は「日本」でも「中国」でもない「満州」という場所でした。日本からこの地へやって来た両親からすれば、ここはふるさとではありません。もちろん中国人からしても、ここは自分たちのものであり「満州」ではありません。そんな場所で育ったひろみにとって、「満州」が両者から否定されてしまうと、もう自分のアイデンティティがわからなくなってしまいます。
ひろみが満州で話していたのは中国人たちを見下した「支那語」であり、正式な「中国語」ではありませんでした。”ニイヤ”もその一部で、勝手に日本人がつくったオリジナル語のようなもの。それなのにひろみは悪意なく「支那語」を使っていました。
ひろみには当時”気づけなかった”ことがたくさんあります。しかし日本に帰国してからそれらに気づいたとき、ひろみは色々な人に申し訳ない気持ちになります。そして、これからはどんな小さなことにも気づける人になろうと決心します。
すべては運だった
ひろみは人間の人生が「運」で左右されることに気づきます。敗戦し、自分たちが日本から棄てられたと知った時も、生き残ったのは上流階級に生まれた者でした。思えば同じ満州で育っても新京のような都市で暮らせる者と、無理やり開拓団として田舎の方に連れてこられた者の人生は違います。ソ連が攻めて来た時も、たくさん亡くなったのは開拓団の人たちでした。そのうちひろみは中国人に生まれるのも、日本人に生まれるのも「運」で、上流階級に生まれるのも、そうでないのも「運」であるとしか思えなくなっていきます。
ひろみの友人で父親が満鉄に勤務している子はとっくの昔に新京から姿を消していました。みんなにはこれから起こることを「秘密」にして・・・。けれどもそれを恨んだり憎んだりすることはありません。なぜならそれも「運」だからです。戦争とはそういうものでした。
感想
感想を書いているうちにどんどん悲しくなってきたので、レビューはこれくらいにします。ちなみに本書は全7章構成になっており、基本的な語りはひろみですが、ちょこっとだけ別な登場人物のターンにもなるのでお楽しみに。
全話共通しているのはやはり「運」でしょうか。それぞれの登場人物が生死を分ける「運」の瞬間に立ち会っていたように思えます。たとえズルをされても利用されても、それができる立場にあれば自分もそうするだろう。戦時中の人たちにはそんな暗黙の了解があったように思えます。そして誰もそれを否定できません。
最も印象的だったのは、ひろみたちによくしてくれた李太太という中国人女性です。李太太は崎山家が困っているときにいつも手を差し伸べ、優しくしてくれました。しかし、後にひろみはあの好意を受け取るべきではなかったと心から悔やむことになります。敗戦当時、中国人が日本人を助けるということが周囲からどう思われるのか、そこにもっと気づく力があればよかったと絶望することになります。
タイトルの『伝言』は、おそらくひろみがこれまで秘めて来た戦争の記憶を次世代に引き継ぐという意味でしょう。仲間の分を含め、これまで申し訳なくて言えなかった隠し事を伝えたい。そんな願いが込められています。
あのとき、無知だったわたしがしたことも、しなかったことも、なくなりはしない。だから。わたしは忘れない。そして、もう二度と、同じことがくりかえされないように。同じ思いをする人を、二度とこの世界に生まないように。わたしが伝える。P304
YESしか言えない世の中で、NOを言える人は協調性がないのではなく、強い人であると改めて思う一冊です。また、同調しか選択肢がないように錯覚していることに”気づく”ことはもっと大事だなぁと思いました。
「汚いものには蓋をする」
これは今も日本社会に蔓延っています。たとえ恥部であっても伝えていかないと何も変わらない。戦争と限らず、色々な問題に言えることだと思いました。