みなさんは「遺伝」や「血筋」という言葉にどんな印象を抱きますか?

 

優秀な遺伝子や高貴な血筋であれば、社会的な成功を約束されたプレッシャーがあり、劣った遺伝子や悪い血筋とみなされれば、嫌われ者として肩身を狭くして生きねばならぬプレッシャーがある。そんな偏見があるのではないでしょうか。

 

今からご紹介する『魔女の原罪』は、まさに後者の、遺伝や血筋に囚われた人たちの物語になります。

 

 

魔法使いと魔女

主人公の和泉宏哉が住む鏡沢町では住人同士の間に大きな隔たりがあります。それは昔からいる住人と過疎化で空き家になった住宅を買い取った住人との間にある妙な距離感です。実は、この廃れた街に新たにやって来た住人たちの正体は、ある有名な事件の加害者家族ばかりだったのです。

 

事件後、社会的に行き場を失った彼らが辿り着いた場所、それが、転出者が殺到し人口減少が問題となるこの鏡沢町でした。いつしか彼らは昔からいる住人を「カツテ」と呼び、その代わりに自分たちの仲間をどんどん増やし、小さな王国のようなものをつくっていきます。

 

魔法使いと魔女の違いは何か。魔法使いが「魔法で何をなしたかによって善悪が決まる存在」であるとすれば、魔女は「魔女とみなされた時点で悪であることが確定する存在」と考えられます。まさに、ここ鏡沢町にとって移住者たちの存在は、何もしていなくても忌み嫌われる魔女のような存在だったのです。

 

 

魔女狩りを恐れて

新たな人生をスタートする地で排除を恐れた彼らは、自らにルールを課すことにします。それは①加害者家族は就職も進学も鏡沢町内に留める、②服役中の元家族には住所や連絡先を教えない、というものでした。特に人格形成にとって必要不可欠である教育面では、独自のルールのもとで管理・行動することが重視され、加害者家族の子どもたちは揃って鏡沢高校へ進学する決まりになっていました。
 
鏡沢高校には外部の学校にはない変わったルールがあります。それは校則ではなく法律で行動を管理するというものです。鏡沢高校の生徒は入学式のときに生徒手帳とともに分厚い六法を受け取り、それにならったルールのもと学校生活を送ります。たとえば髪の色や服装、化粧などは法律上自由にして問題がないため、生徒たちは個性を楽しんでいます。しかし、法律に違反すること―煙草、薬物、窃盗などをした場合は停学・退学処分をくらいます。また、法律に違反していないとみなされた―集団による無視、適法ないじめは問題化されず、教師たちもスルーします。
 
学校内にはいくつもの監視カメラが置かれ、24時間365日生徒たちの行動が監視されています。なぜこんなことが起きているのかと言えば、それは大人が子どもを信じきれないからです。世間に自らまでもが加害者予備軍だと思われたくない大人たちは、犯罪者の血筋を持つ子どもたちを法律で縛っておかなければ、いつか何かをやらかしてしまうのではないかと不安でしかたがないのです。もし、犯罪者の子どもが罪を犯したとしたら、それは世間に血筋を証明してしまうことになり、生きる道を断たれてしまうことにも繋がります。
 
 

罪悪感とは

加害者家族は我が子の「血」を信じられず、互いを監視し合って暮らしています。
 
物語の中に透析治療や豚の血を使った料理がやたら出てくるのも注目ポイントです。鏡沢町の住人は自らの血を浄化したいという思いから理解できない行動を繰り返します。
 
近年では、犯罪に関する遺伝子について科学的に書かれた本があり、その一方で加害者家族に対する偏見や生きづらさを訴えた本もあるので、本書の内容について、個人的にこれといった感想は持てないというのが本音です。
 
物語も想像以上にエグい内容が多く、終始どんよりした状態が続くので、何度かギブアップしそうになりました。前半部分を読む限りでは、オカルト、法律、医療、ミステリーなどが絡み合い、正直なんの物語かサッパリわかりません。しかし後半でガラッと展開が変わり、それらの種明かしがされていきます。最後まで読むと、社会派小説なのね、とわかりますが、そこまでたどり着くのに一苦労するかもしれません。私からはただ重い物語なので根気が必要とだけお伝えしておきます。
 
 

まとめ

現役弁護士作家のリーガルミステリーということで、私にはちょっと難しかったです。第一部「異端の街」から第二部「魔女裁判」になると、物語が思わぬ方向にいくので驚かないでくださいね。いきなり殺人事件が発生します。もう意味がわかりません。とにかく最後のページまで何が起きているのか「待つ」しかありません。
 
私のように待てない人間にはストレスフルな小説ですが、こういうのが好きな人にはたまらない一冊かと思われます。
 
校則がない学校はいいかもしれませんが、そのかわり未熟な子どもが起こしてしまった失敗に大人が寄り添ってくれない状況というのは怖ろしいですね。やらかしたら再教育ではなく、追放・排除ですから。校内の緊張感が凄いです。
 
それでも校内でやらかした事件は内部で始末してしまえばいいのですが、同じことを外部でやってしまったらもっとマズイわけです。外部には「カツテ」の目が光っているので、加害者家族が犯罪を起こしてしまった日には「やっぱり血筋が・・」と警戒されてしまう恐れがあります。やっと見つけた安住の地を追い出されるわけにはいかない彼らにとって、絶対あってはならないことが犯罪行為なのです。
 
しかし、自分に犯罪者の血が流れていると知って生きている人と、そうとは知らずに生きている人に何か違いはあるのでしょうか。知っていれば「気をつけて」、知らなければ「気をつけないから犯罪率が上がる」なんてことはあるのでしょうか。全員が看守のような環境で育ったら、何も悪いことをしていなくても生まれながらにして囚人だという認識を持ってしまいそうですが、それが犯罪抑止に関係するのかはわかりません。そもそも先祖を辿っていけば、まったく罪を犯していない遺伝子などなさそうですけれどね。
 
本書がいう加害者家族とは血のつながりがある者を指しているので、怖さレベルが違います。誰だって、自分の親やきょうだいが罪を犯したら、鏡沢高校の生徒と同じく不安になると思うんですよね。自分で自分を信じられるか、周囲が自分を信じてくれるか。
 
本書にあった「子どもは大人を疑えて、大人は子どもを信じられるか」という言葉が印象的でした。ただ、もし自分が宏哉の立場だとしたら、鏡沢町からは出られないと思います。この町から出たときこそ、本当の魔女狩りに遭ってしまうのでは・・。結局この異様な学校生活を受け入れ、静かに暮らすことを願う気がします。多分、何とも戦いたくないかな。みなさんは、どうでしょうか。忍耐が必要になりますが、考える事が好きな人はぜひ本書を読んでみてください。きっと新感覚な読書になるかと思います。
 
 
以上、『魔女の原罪』のレビューでした!
 
 

 

変死事件で暴かれる町の秘密 法律が絶対視される学校生活、魔女の影に怯える大人、血を抜き取られた少女の変死体。 一連の事件の真相と共に、街に隠された秘密が浮かび上がる。 僕(宏哉)と杏梨は、週に3回クリニックで人工透析治療を受けなければならない。そうしないと生命を維持できないからだ。ベッドを並べて透析を受ける時間は暇で、ぼくらは学校の噂話をして時間を潰す。 僕らの通う鏡沢高校には校則がない。ただし、入学式のときに生徒手帳とともに分厚い六法を受け取る。校内のいたるところには監視カメラが設置されてもいる。 髪色も服装も自由だし、タピオカミルクティーを持ち込んだって誰にも何も言われない。すべてが個人の自由だけれども、“法律”だけは犯してはいけないのだ。 一見奇妙に見えるかもしれないが、僕らにとってはいたって普通のことだ。しかし、ある変死事件をきっかけに、鏡沢高校、そして僕らが住む街の秘密が暴かれていく——。 『法廷遊戯』が映画化され注目を集める現役弁護士作家の特殊設定リーガルミステリー。(あらすじより)