辻村深月さんの本に一気読みできないものはありません。今からご紹介する『朝が来る』もそのひとつで、途中で泣きそうになりながら読んでしまった一冊でもあります。

 

「子どもを、返してほしいんです」

 

そんな衝撃的なフレーズが帯にでかでかと書かれているこの物語は、子どもを産めなかった者と、望まない妊娠をした者、両者の葛藤と人生を描いた感動作になっています。

 

 

 

 

まず前半は夫が無精子症のため子どもを持つことができない40代の夫婦の苦しみがリアルに書かれていて、これがとても読んでいて辛いです。夫婦は悩んだ末、特別養子縁組を仲介する民間団体から養子を迎えることを決断します。幸運なことに、登録してからすぐに彼らのもとには可愛い男の子がやって来て、ふたりは息子に「朝斗」と名付ました。

 

朝斗は夫婦(以下栗原)から愛情いっぱいに育てられ、素直で優しい子に成長していきます。しかし、そんな親子三人で穏やかに暮らしていた一家に、ある朝かかってきた一本の電話が日常を動かすことになります。それは朝斗の産みの母・片倉ひかりを名乗る人物からの「子どもを返してほしい」という強迫でした。

 

栗原はこのとき、ひかりから「子どもを返さなければ、朝斗が養子であることをママ友にバラす(しかし既に告知済)」「それが嫌ならお金を用意しろ」などと脅されていました。その後、ひかりは一家を訪れるのですが、幼稚園生の朝斗を小学生と間違えるなどしたことから栗原に本当のひかりではないと疑われ・・。

 

 

問題は後半です。前半は栗原家が朝斗を迎え入れるまでの葛藤がメインに書かれているのですが、後半はあかりの妊娠~出産~その後までが書かれています。正直、前半は涙、涙ですが、あかりの話になってから眉間に皺がよってきます。

 

あかりの両親は共に教師で、厳格とまではいきませんが、「きちん」とした家です。母親が干渉的なところがやや引っかかるものの、あかりが少々おバカさんなところも同じくらい気になります。というのも、最初はあかりの幼さも中学生だから仕方ないと思えたのですが、それが高校生、成人、となってもずっと幼くて、ちょっと”ん~”という感じになってきます。

 

あかりの母は世間体を気にする典型的な見栄っ張り人間ですが、あかりも同級生に対してマウントを取って見下しているところがあり、種類の違った似た者同士といえます。ふたりとも根っ子は地味で真面目なのに、やたら強気なところまでそっくり。あかりは親のいいつけを守る姉を馬鹿にしていましたが、いくつになっても親に反抗してばかりのあかりも自身が母に依存していることに気づいていないようでした。

 

 

ただ、物語の終盤になってあかりはもの凄く苦労します。あかりは中学生の頃のまま考え方が止まっている状態なので、幼さを保ったまま年齢だけ重ねていきます。そして、途中であるトラブルに巻き込まれてしまうのですが、問題解決能力が育っていないため普通では考えられない大変なことになっていきます。

 

あかりは何か困るたびに「助けて」と甘えてしまうのですが、本当に困ったときにはもう大人になっており、かつてのように誰もあかりを心配してくれない現実を知ることになります。そこで初めてあかりは、今までは子どもの特権で助けてもらっていたことや、現在は自分自身が口うるさいと思っていた大人たちと同じ側に置かれる身分であることを実感します。

 

このような救いようのない展開が続き、気づくと残り数ページしかなくなるので、こちらもどんどん不安に・・。

 

しかしラストは安心できます。

 

実は栗原家も、あかりの実家と同じく「きちん」とした家なんです。むしろ、あかりの家よりもさらにハイレベルな暮らしをしているくらいの、です。それでも栗原は、実の親から呆れられ、嫌われたあかりを、とても大切にしてくれるのです。同じきちんとした家なのに何が違うの?と、あかり自身も泣きたくなります。

 

考えてみれば、栗原はあかりの親と言ったほうがしっくりくるような年齢です。あかりは栗原に子どもを託しましたが、不思議と優しいふたりの前では自分が彼らの子どもになったような感覚に包まれます。

 

私には本書の中で刺さったフレーズがあります。それは「特別養子縁組は、親のために行うものではありません。子どもがほしい親が子どもを探すためのものではなく、子どもが親を探すためのものです。すべては子どもの福祉のため、その子に必要な環境を提供するために行っています」という言葉。

 

あかりは何不自由のない家庭で育ったものの、望まない妊娠を経て一気に貧困女子へと転落しました。残念ながら、一度ここへ来たら無限ループ。無知が貧困を呼び、貧困が不幸を呼ぶ、その一番の被害を受けるのは子どもです。朝斗は養子に出されていなかったら、今頃かなり悲惨なことになっていたかもしれません。

 

だからといって、親子の血が繋がっていなければ家族とは言えないという考えもあるでしょう。しかし、もとは夫婦自体も赤の他人、血など繋がっていませんが家族です。あかりと母親は血は繋がっていても、血が繋がっているからこそ、親子関係の構築を怠ってきたといえるのではないでしょうか。おそらくきちんとぶつかる努力をしてこなかったツケが回ってきたのです。一方、栗原は血の繋がりがあるからといって怠慢になっていては築けない関係を朝斗に対し、懸命に作ろうとしているように思いました。

 

自分で産んだ子どもという責任が圧迫感のある子育てにつながってしまった、あかりの母。子どもは親の所有物ではないと気づけていたら、もう少しあかりの不安定さにも寛容になれたのでしょうね。

 

つくづく子育てというのは、親子関係や血の繋がりといったものではなく、社会が人を育てることだと思いました。無知の代償は重すぎる。あかりの母も、あかり自身も誰かに悩みを相談できていたら、互いを傷つけずに済んだのだろうと思うと悲しいですね。

 

大人も子どもも、生きていくのに大切なのは環境。自分に光を与えてくれる人間が近くにいることなのでしょうね。

 

そんなことを考えると、本書は現在すれちがっている親子にこそオススメの一冊。特に親から逃げる手段として恋愛に走る若い学生さんに、その前にちょっとこれを読んで!と言いたい一冊です。気になる方はぜひチェックしてみてください。

 

 

以上、『朝が来る』のレビューでした!

 

 

 

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