こちらは新興宗教にハマった家族から囚われの少女を救い出す子どもたちの物語・・と、思いきや全然違います。読み始めから強烈な違和感はあるのですが、それが何なのかずーっとわかりません。で、途中で「騙された!」と思うのが、今からご紹介する澤村伊智さんの『邪教の子』でございます。系統としては辻村深月さんの『琥珀の夏』が「子どもの友情」「カルト」「前半と後半で視点が変わる」といった面では似ているかな?

 

本書のオススメポイントは、ズバリ活字でないと成立しないカラクリによって物語が進むところです。よっ!これが本の面白さ!なかなか核心に触れられずにヤキモキするかもしれませんが、そこを含めての「楽しみ」だと思って、ぜひ読んでみてください。

 

 

 

カルトvsカルトだった?! 

 

一章は、光明が丘に住む慧斗(女子)、祐仁、朋美の同級生トリオが、この度近くに引っ越してきた茜という少女をカルトにハマった家族から救い出すという展開になっています。茜は幼い頃から病気で車椅子生活を送っており、家を飛び出したくてもひとりではどうにもならないといった状況でした。そこで慧斗は、<お父さん><お母さん>に茜の事情を説明し、何とかしてもらおうとしますがスルーされてしまいます。

 

茜は母親から虐待を受けており、一刻も早く助けなくていけないことから、慧斗は脱会屋の水橋という男を頼ります。しかし、その計画はあちら側にバレてしまい、慧斗たちは大ピンチに陥ります。茜を家から連れ出すところまではクリアできたのですが、逃げ出す最中に、茜の母親が信仰するコスモフィールドの教祖や教徒たちに見つかり追い詰められてしまったのです。もうダメだ!と思ったその時、突然、光明が丘の住人たちが現れ、それと同時にコスモフィールドの人々が苦しみ出します。そして、もがき苦しんだと思うとそのまま倒れ、亡くなってしまいました。

 

大人たち曰く、これは<大地の民>による<大地の力>なのだそう。茜はこの民と力によって救われた、ということになっています。ん?そんなバカな。あんたら茜をカルトから救い出したかったんじゃないの?それなのに結局あんたらも<大地の民>とか嘯いてカルトごっこをしてたわけ?と、なるのが一章の感想なんですね。しかもこの一章は、大人になった慧斗による手記といったかたちで書かれています。

 

二章は、その慧斗が綴った手記『祝祭 我が大いなる愚行および光明が丘始まりの記録、或いは大地の力によりその病気を克服した者たちの真実』を読んだテレビ局のディレクター矢口の視点に変わります。矢口は<大地の民>の元信者・祐仁の力を借りて、光明が丘へ取材に行くことになります。祐仁は自分以外の信者にも会わせてくれたり、何かと<大地の民>の危険さを仄めかしますが、肝心なことは話してくれません。二章の内容をこれ以上書くと、ネタバレになってしまうのでやめますが、以下に本書を読んでいる時に注意してほしいポイントを少しだけ紹介したいと思います。

 

 

 

ここが変だよ、光明が丘 

 

まず本書を読んで真っ先に「ん?」と、思うのは、慧斗と祐仁の関係ですね。彼らは一応「同級生」ということになっているのですが、どう考えても祐仁は大人じゃない?賢すぎない?と、その話し方から思うんですね。とにかく二人の会話の流れから、とても同い年とは思えない違和感を抱きます。

 

さらに、<お父さん><お母さん>なる人物も何だかおかしい。慧斗はひとりっこだと思わせる反面、家庭内で「子どもたち」「みんな」という複数を表す言葉が出てきたり、謎が多いのです。

 

変といえば、外見もです。年齢の割にはかなり老けている人もいれば、異常に若々しい人もいて不自然すぎます。

 

あとは何と言っても<大地の力>ですね。一体、あの日、何が起きてコスモフィールドの人たちは死んじゃったの?ということです。そんな念みたいなもので死ぬわけがないので、絶対何かやったとしか思えないのですが、何をしちゃったんでしょうね。それを素直に<大地の力>だと信じてしまえる子どもたちもコワイです。

 

そして最も意味が分からないのが茜です。彼女はいくら家族と離れたかったとしても、一家根絶やしのような結末を望んでいたとは思えないのですが・・。しかも大人になった彼女は普通に歩いているんですよ。病気ってなんだったの?ちなみに慧斗も物語が始まる少し前までは歩けなかったようなので、謎がいっぱいです。

 

 

 

まとめ 

 

ラストは矢口が<大地の民>の秘密をすべてキャッチするのですが、ちょっと消化不良な終わり方なんですよねー。コスモフィールドも<大地の民>も行きつく先は、自分たちは神だ!選ばれし者だ!偉大なことを成し遂げるんだ!という誇大妄想。「自分はちょっと普通とは違いますよ」病を患って、あえてカルトらしいことばかりしてしまう。つまりカルトに酔ってしまっている人たちを描いたのが、この物語だったのかなぁ?よくわからないけれど、そう思いました。

 

慧斗が幼い頃から持つ正義感は素晴らしいけれど、一歩間違えれば誰かの崇拝者にもなってしまう危険性があります。大人になった慧斗は一時<大地の民>のトップになりますが、途中でカルト熱を失ってからは、茜たち部下がその姿を残念がってしまいます。

 

おそらく信者は教祖に「教祖っぽく」いてほしいのでしょうね。クレイジーでない教祖なんて認めたくないのが本音。世の中に冷たい目で見られるようなことをしてこそ教祖なのに、それをしない教祖を見るのは耐えられない。自分を救ってくれたのは、イカれた教祖さまなのだから。

 

ん~。カルトはカルト同士でお互いケチをつけたり、自分たちの方がマトモぶったかと思えば、どれだけヤバイことができるか力試しをしたがったり、色々あるんですね、という一冊でした。

 

宗教二世について取り扱われるようになった現在に、ちょうどマッチした本でもあるので、興味のある方は手に取ってみてくださいね。

 

以上、『邪教の子』のレビューでした!

 

 

 

 

 

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