昔から富士の樹海というワードを聞くとゾクッとします。今回ご紹介するのは、そんな樹海が舞台となる実録?実在?【恐怖の村】シリーズの第二弾『樹海村』になります。本書は映画のノベライズ版で、他にも第一弾に『犬鳴村』、第三弾に『牛首村』があります。映画にはなかった細かなことも小説版には書かれているということなので、このシリーズのファンの方はぜひ読んでみてくださいね。

 

では、さっそくあらすじと感想に入ろうと思うのですが、その前に簡単な☆での評価を発表しますと・・・ダダン!

 

『樹海村』の評価は★★★☆☆です。

 

 

満点ではない理由は、文章のミスが多すぎること。これは初っ端からなので勢いがなくなってしまいます。残念。ストーリーも樹海村のことがメインに書かかれていれば読みやすかったのですが、そこにコトリバコ(知る人ぞ知る日本の怪奇譚)を組み込ませての構成だったので怖さが散らばったような印象を受けました。

 

 

<あらすじ>

「お姉ちゃん知ってる?この箱が置かれた家はね、みんな死んで家系が絶えるの」人々を戦慄させる禍々しい古くから伝わる強力な呪いを、歪な木々や地を這う根が生える、不気味で壮大な樹海の奥深くに封印した。―――13年後。姉妹の響と鳴の前に、あれが出現。そして、樹海で行方不明者が続出する。自ら向かったのか?それとも魔の力に吸い寄せられているのか?恐怖が、いま再び解き放たれる。

 

 

<感想>

樹海村の因習が気持ち悪かったです。本書には樹海で自殺者監視ボランティアをしている出口民綱という初老の男性が登場します。出口の生まれは樹海付近の集落で、そこは因習に囚われた閉鎖的な土地でした。その村には障碍者や心を病んでしまった人を神の森(樹海の奥深く)へ連れて行く神事があり、出口は彼らを縄で括り付け、連れて行く係を担当していました。

 

この時、森へ連れて行かれる者を「ほた」、連れて行く者を「ほたもり」と呼び、「ほたもり」は「ほた」にだけ裸足で歩かせ、途中で疲れて動けなくなる「ほた」には折檻をしながら目的地まで歩かせていました。さらに「ほた」の女性や少年は、小休止の合間に「ほたもり」からレイプされたり、食事の際には粗末な物しか与えられないなどの屈辱を受けていました。

 

森の奥に辿り着くと、「ほた」は縄を解かれ、ひとところに固められ、そこから動いてはならないと暴力で洗脳されます。彼らは集落で不要になった鉈や包丁、鋏などを魔除けとして与えられ、それらで山犬から身を守るように教えられると、置いてきぼりにされました。

 

「ほたもり」は、神の森に向かう際につけた帰途までの印をすべて剥がして村に帰るため、「ほた」は二度と家に帰ることができません。こうして多くの「ほた」が神の森で命を落としましたが、中には生き残った者もおり、そうした者だけで村を作ったという噂がありました。おそらくそれが樹海村なのでしょう。

 

残された「ほた」は、村の人々を怨み、呪いの箱「コトリバコ」を作りました。コトリバコには、その箱に関わった人間を殺す呪いがかけられており、お祓いをしても効果がないくらい強い力を持っていました。コトリバコの中には、「ほた」の身体の一部が入っており、箱の呪いで死んだ者たちも薬指を切り取られて亡くなることがわかっています。のちにそれは、とてつもない効果を発揮することになり・・

 

樹海で自殺者が多いのも、コトリバコの力に吸い寄せられているから、という見解らしいのですが、出口は自らの集落のせいで起きている怪奇現象に責任を感じ、自殺者監視ボランティアをしているのだそう。

 

 

本書では樹海村やコトリバコに関わってしまった姉妹とその友人たちがとんでもない目に遭ってしまうという物語になっています。出口はほんのちょい役でしか登場せず、メインは姉妹が担当しています。ただし、冒頭でも書いた通り、樹海村とコトリバコの噂はそれぞれ別々に見た方が圧倒的にコワイです。よりスリルをお求めの方は、ぜひ別々に調べてみてください。特にコトリバコに関しては、何年か前にネットで読んだ一般人による体験談の方がコワかったです。今も残っているかな・・。

 

他の方のレビューを見ると、恐怖を求めるなら映画版、深堀するなら小説版ということなので、お好みに合わせて選んでみてはいかがでしょうか。

 

以上、『樹海村』のレビューでした!

 

 

 

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