「crocodile tears」は直訳すると「ワニの涙」ですが、英語では「嘘泣き」という意味があるそうです。

 

今からご紹介する雫井脩介さんの「クロコダイル・ティアーズ」は2023年上半期読んだ本の中でもTOP5に入る面白さ。夫を元交際相手に殺害された妻が葬儀で流した涙がどうも嘘くさい。そんな風に姑が抱いた疑惑から物語がスタートするサスペンス小説になります。妻、姑、舅、親戚、それぞれの心理描写が丁寧に書かれれば書かれるほど読者がどんどん迷宮入りしてしまう一冊です。

 

 

 

あらすじ

 

「息子を殺したのは、あの子よ」「馬鹿を言うな。俺たちは家族じゃないか」家族小説、サスペンスの名手である雫井脩介による最新長編。大正時代から続く陶磁器店を営む熟年の貞彦・暁美夫婦は、近くに住む息子夫婦や孫と幸せに暮らしていた。ところが、息子が何者かによって殺害されてしまう。犯人は、息子の妻・想代子の元交際相手。被告となった男は、裁判で「想代子から『夫殺し』を依頼された」と主張する。息子を失った暁美は悲しみに暮れていた。遺体と対面したときに、「嘘泣き」をしていた、という周囲の声が耳に届いたこともあり、想代子を疑う。貞彦は、孫・那由太を陶磁器店の跡継ぎにという願いもあり、母親である想代子を信じたいと願うが……。犯人のたった一言で、家族の間には疑心暗鬼の闇が広がっていく。殺人事件に揺れる一家を襲う悲劇。姑である暁美からみて、「何を考えているか分からない」という想代子の真実とは。

 

 

登場人物

 

久野想代子
大正時代から続く陶磁器店の跡継ぎとなるはずだった夫・康平と4年前に結婚。ところがある日、夫が殺害されてしまう。一人息子の那由太を抱えた想代子は、義父・貞彦の勧めもあり、両親と同居することに。夫を殺害した犯人が元交際相手であったこと、この犯人が「夫殺しを想代子に依頼された」と証言したことで、義母・暁美などから疑惑の目で見られてしまう。

 

久野貞彦、暁美
古都・鎌倉近くで、大正時代から続く陶磁器店〔土岐屋吉平〕を営む熟年夫婦。長男・康平を喪ったこともあり、「いつかは、孫の那由太を跡継ぎに」という願いを持っている。また、妻・暁美は、「遺体と対面した想代子が嘘泣きしていた」という実姉からの指摘や、「殺害を想代子に依頼された」という被告人の証言に、心を削られる日々を過ごす。想代子に辛くあたることも。

 

隈本重邦
横浜で働いていた想代子と出会って、同棲するも、酔って暴力を振るうことが続き、別れることに。康平と交際中の想代子のもとを訪れていたこともあったが、ついに、想代子の夫を殺害してしまう。(出版社より)

 

その他にも主な登場人物として、暁美の姉夫婦(東子と辰也)がいます。ふたりは〔土岐屋吉平〕の空き店舗に〔クックハル〕という店を出させてもらっています。

 

 

 

レビュー

 

そもそも想代子が夫家族に疑われてしまうのには、それなりの理由があります。それは夫を殺した隈本が想代子の元カレだったことだけではなく、彼が法廷で「想代子に旦那からDVを受けていると相談され、犯行に及んだ」といったことに誰もが心当たりがあったからです。

 

殺された康平は、裕福な家に生まれたひとり息子ということもあってか、幼い頃からわがままでやんちゃなところがありました。康平が男同士で喧嘩することは珍しくなく、過去に想代子の元カレとも揉めて騒ぎを起こしたこともあるくらいカッとなりやすい人でした。

 

しかしそんな気性も康平が結婚し、息子の那由太が生まれてからは落ち着いたと思っていたのですが、ある日、暁美は想代子の腕に青痣があることに気づきます。実は以前にも息子の嫁に対する態度や物言いがきついことがあり、注意したことがあったのですが、最近は人前でもどつくことがあり、ちょうど心配していた矢先にあの事件が起こりました。

 

息子のDVに心当たりがあるのは舅の貞彦も同じで、孫すらも父親である康平に懐いていなかったことからも、隈田の証言には信憑性があるのではないかと疑っていました。

 

 

私も康平は想代子にDVをしていたとは思うのですが、残念ながら想代子はそれを否定するし、何の証拠もありません。ただ、ここでの否定が夫家族に亀裂をもたらしてしまうんですね。

 

というのも貞彦からすると、息子が亡くなった今、次の後継者である孫の那由太を手放すわけにはいかず、できれば孫が大きくなるまでは想代子に店を任せたいと思っています。たとえ依頼殺人であったとしても、想代子がそれを否定する以上はその言葉を信じてあげたいと未亡人になった嫁と孫を自分が面倒をみると言い出します。

 

一方、暁美はもし息子を殺した黒幕が想代子だとするなら、DVがあったことを隠すのは当然だと姉の東子と事件の真相を突きとめようとします。

 

嫁を信じる舅と信じない姑。

 

ここから物語は昔の昼ドラばりの昭和的嫁姑戦争へと突入していきます。

 

 

 

感想

 

結論からいうと、私は最後まで、実際のところ、想代子が白か黒かわかりませんでした。読み終えたあとも疑惑だらけなのが本音です。

 

最初は暁美の方に嫌な印象があり、後半でもちょっとそう思う部分はあったのですが、それでも大半は想代子に対する不信感でいっぱいなんですよね。ワニは捕食するときに涙を流すそうですが・・想代子にも涙で人を呼び寄せてパクっと美味しいところだけ食べちゃうようなところはなかったか?と思ってしまうんです。直接自分で手は下さないけれども、言動ひとつで相手を思い通りに動かすことができる人というか。しかしそう思ってしまう自分が恥ずかしい人間で、愚かなのか。んー難しい。

 

本書の面白いところは、どの人の立場になって読むかで想代子の評価が変わることです。私は暁美よりに読んでしまったので、想代子を偏見の目で見てしまったと告白しておきます。(人間は一度疑うとどんなことにも関係を見出して、悪い方へと結び付けてしまうものなのかなぁ、私もすっかり騙されただけなのかなぁとも思うんですよね)

 

 

ひとつ気になったのは、暁美と貞彦が記者からの情報を鵜呑みにして孫のDNA鑑定をするシーン。もしかしたら孫は隈田との子供だったのではないか、だから康平は息子にも想代子にきつく当たっていたのではないかという展開から、貞彦は店のパソコンでDNA鑑定について調べます。

 

結果は99%康平の子供だったのですが、私はあのシーンで貞彦がスマホではなく、わざわざ想代子も触るであろうパソコンで検索していたのが気になるんですよね。あのとき横に想代子もいたのに何でこんな危険なことをしているんだ?と。検索履歴を消していないのは明らかだったし、あのあと想代子はお店のHPもいじっているし、絶対にバレているだろう!と。それとも読者に想代子が細工をすると疑わせるために、あえてあんなシーンを入れたけれど、実際の想代子は天使でそんなことなどしていないよー、それは読者の思い込みで、記者の妄想に騙されちゃだめだよーということだったのか。

 

もしくは想代子は天然で人を振り回して、不幸にしていくタイプなのか。何にもなくても自身の曖昧な立ち振る舞いにより周囲を混乱させてしまうから、ありもしない疑念を生んでしまうのか。でもそれが一番しっくりくるかもしれません。悪気なくペラペラしゃべったり、しゃしゃり出ちゃったりして、周囲を疑心暗鬼にさせてしまう人。こういう人、いますね。

 

だから人に嫌われやすいのだけれど、本人からすると「どうしてみんな私にばかり辛くあたるの?」という感じ。あまりにも冷たくされるので、そのうちいちいち傷ついていると身が持たなくなることから感情を鎮める術を覚えると、今度は自分が薄情な人間に見られてしまう。泣いても嘘泣きに見えてしまう。というより感情を押し殺す癖ができて上手く泣けない。そして人間関係を円滑にしようとすればするほど、八方美人の信用ならない存在になる・・

 

想代子がどんなに嫌味を言われても、次の瞬間ケロッとしているのは、本人なりに築いた防御力でもあるのですが、周囲からすると、ただのふてぶてしい女になるんですよね。しかも彼女の場合、締め付けられるほど強くなっていくので本当にワニのようです。

 

家族への疑念・・

 

いまだに疑念が残る私ですが、おそらくそれがテーマなのでよしとします。

 

疑い深い性格の人間が読むとこういう感想になって、心の清い人が読むと全然違う感想になるのだと思います。

 

みなさんはどう思われるでしょうか?

 

人を疑うのはよくないことだし、できればそんなことはしたくないけれど。

 

少なくとも自分がよくわかる一冊なので、ぜひ読んでみてください。

 

 

以上、「クロコダイル・ティアーズ」のレビューでした!