11歳の頃、華やかな世界に憧れていた母親の誘導により地元の児童劇団に入団した沙良。中学生になると、芸能事務所に移籍する子が増えてきたことから、自身もあとに続きます。その後14歳で初めて映画に出演し、街を歩けばそれなりに気づかれるようになった一方、ネットでは誹謗中傷されるようになります。
劇団時代には経験したことのない緊張感に晒される日々の中で、ひとり奮闘する沙良。次第に夜寝ようとすると、テレビに出る不安から動悸が激しくなったり、やっと眠れたかと思うと、今度は台本を覚えられないまま撮影に遅刻する悪夢を繰り返し見るようになっていきます。
やがて知名度と引き換えに精神を消耗していくことに耐えられなくなった沙良は、映画やドラマからひっそりと姿を消し、27歳の現在はテレビ局のディレクターと結婚、知る人ぞ知る昔懐かしの芸能人におさまっています。
憐憫とは?
ここで改めて、この本のタイトルである「憐憫」の意味をおさらいします。かわいそうに思うこと。あわれむこと。あわれみ。ザックリ言うと、究極の悲しみや憐れみといったところでしょうか。
そんな憐憫という感情を読者はまず沙良に抱きます。彼女がまだ芸能界で活躍していたハタチの頃、ひょんなことから一生懸命に稼いだお金が母親と親戚に使い込まれていたことを知ります。極度のストレスに悩まされながら、必死に稼いだお金が親族の娯楽や借金の返済に黙って使われていたのです。そのショックから沙良は摂食障害を患い、20代前半という女優として最も大事な時期を棒に振ってしまいます。
事務所としても「これから」という時期に、他のタレントにその座を受け渡すように倒れてしまった沙良。一度そうなったら二度と這い上がれないのがこの業界、本当にかわいそうでなりません。それでも細々ではありますが、以前は絶対にやっていなかった地方局の単発ドラマの脇役などをやってはいますが、それがより彼女を惨めにしています。
子役時代、体調が悪くても監督や母親に怒鳴られながら撮影させられた沙良。自分を慕ってくれる後輩がプレッシャーから整形とダイエットに励み、どんどん変わっていく姿に切なくなる沙良。そう、この本にはたくさんの憐憫で溢れています。
柏木
そんな憐憫に満ちた沙良の前に登場するのが、柏木という謎の男性です。本書のメインは沙良と柏木の秘密の恋、のような慰め合いになっているのですが、当然この柏木(下の名前はわからない)も憐憫の持ち主です。ふたりは出会った瞬間に同じにおいを嗅ぎつけ、男女の仲になってしまいます。もちろん、沙良にとっては不倫ですし、腐っても芸能人なのでリスクしかない行為なのですが、柏木はそんなことを気にすることもなく、沙良が女優であることすら知りませんでした。
こうして沙良は柏木がどんな人物なのかわからないまま彼と不倫をするようになります。正確にいうと、互いが互いを知らないからこそ心を許せているようにみえました。だから相手のことは深く知ろうとはせず、適度な距離を取って関係を続けます。しかし、ふたりにはあえて語らないことも、この人はすべて理解しているのではないか、同族なのではないか、という認識があったのだと思います。
印象的なのが柏木と出会った時の沙良の心情を表すこのシーンです。
綺麗。だけど、だいぶまみれている。不安定な少年期や中途半端な性愛の名残が、大きな瞳や色素の薄い肌にこびりついていた。けっして目に見えない、だけどたしかに目に見えるもの。それでも他の表現はなにひとつ浮かばなかった。彼が人懐こい笑みを浮かべると胸が痛んだ。泥の中で遊んでいた少年がふいにこちらを見て笑ったように。綺麗。なんて綺麗な男の人だろう。洪水のような憐憫がいっぺんに押し寄せた。P4、5
感想
沙良と柏木の共通点は、コドモのままオトナになった大人なのでしょうね。柏木の正体は沙良であり、沙良の正体は柏木であった。
子役として活躍し、女優として大成しようとした矢先に家族とのトラブルで心身に傷を負った沙良。最後まで抱えていたものが何だったのか誰にもわからない柏木。しかし、ふたりは10代を10代として生きることができなかった元子供だったのは確かです。
本書には何度も「彼が分かっている、ということを私は分かっている、ということを彼が分かっている」という文章が出てきます。ふたりは本能で、アダルトチルドレン的な互いの背景を感じ取り、そこに非日常の安らぎを得ていたのでしょう。読めば読むほど憐憫しか感じない島本さんらしい作品でした。
それにしても芸能界ってイメージ通りな怖い世界ですね。現実はもっと酷いところなんでしょうけれど、こういう場所に小さな子供を送り出す親の気持ちがわかりません。もちろん本人の強い希望でチャレンジするのは問題ありませんが、親が自分の欲求を満たすために子供を利用するのはちょっとね。
まだ自分で何も選択すらできない年齢の我が子をSNSという名の誹謗中傷の蟻地獄に晒してしまう親も理解に苦しみます。親に赤ん坊の頃からYouTubeに投稿され、小学校に入学する頃には立派なアンチがいるだけでなく、動画内からは個人情報がただ漏れで、子供が学校や自宅まで追いかけて来るストーカーに困っているというのにそれすらネタにしてしまうなんて(実話)気の毒すぎます。
沙良も一応は母親と観に行った舞台に魅了され、劇団に入ったことにはなっていますが、実際はタカラジェンヌを目指していた母親の英才教育みたいなものだよなぁと思います。そうやって芸能界に興味を持つように仕向けられている。そうでないなら娘が芸能界に疲れ、本当に嫌がったその時点で解放させてあげているでしょうし。
こうやって親に人生をぶっつぶされる子供は多いんだろうなぁ。かわいそうだなぁ。なんて思うと、沙良には何とか復活して自分だけの人生を歩んでほしいと願ってしまいます。さて、このあと沙良はどうなるのでしょうか。感想は長くなりましたが、本書自体は167ページしかないので話が気になる方はぜひ読んでみてください。
以上、「憐憫」のレビューでした!
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