こちらは「温泉」というワードに心惹かれて読んでみた一冊。

 

第39回すばる文学賞受賞作かあ~。帯にも「美容整形を繰り返す27歳の女と無職クレーマーの中年男。温泉宿で出会ったふたりを待つ、驚きの入浴体験」とあるし、なんか面白そう!!

 

それに見てください!!

 

 

表紙までホンワカしちゃっているし、これは癒されること間違いなしでしょ!!こりゃ人生に疲れているときにこそ読むべき本だぜ!そうに決まっているぜ!!

 

と、信じて読んだ結果

 

まったく想像していたのと違う、ホンワカとはちょっと違う、むしろギャグ寄りのクスっと笑えるストーリーでした。

 

まあ、こういうパターンもありかな?

 

 

<あらすじ>

美しい母親と姉のもとで育ち、容姿コンプレックスを抱えて美容整形を繰り返す27歳の絵里。
大きな二重、高い鼻、脱色した髪と青いカラーコンタクトで、外国人のふりをして田舎の温泉宿に泊まるのが趣味の彼女は、ある日、向かった旅館で、「影」と呼ばれる嫌味ったらしい中年男と出会う。そして、人生初の驚くべき入浴体験をすることに――。

 

 

<感想>

主人公の女の子は醜形恐怖症か?ってくらい容姿にコンプレックスあり。それで外国人風に見える顔になるまで過激な整形を繰り返しているのですが、どうもこの女の子を見ていると彼女のことを思い出してしまいます・・・

 

そう、あのヴァニラさんです。

 

引用元:えんためにゅーす

 

フランス人形になりたいヴァニラさん同様に、西洋人に見られたい主人公もエリザベスという偽名を使いながら、アメリカ人と日本人のハーフを装い温泉巡りをする趣味を持っています。

 

ちなみにエリザベスの本名は岡本絵里。めちゃくちゃ普通の日本人ネーム。もしかすると、私も同じ名前ですって人がここにもひとり、ふたり、いるレベルの親しみやすい名前です。

 

エリザベスがこんなことをするのには理由があります。それは、外国人の姿でいるときは堂々と生きていられるから。旅先ではハーフというだけで、特権階級のアイドルとして大切に扱ってもらえることが嬉しいから。ありのままの姿では決して味わうことのなかった体験がそこにあるから・・・

 

ちょっと悲しいですが、そんなことが癖になってやめられないのがこの物語の主人公なんです。

 

そして、エリザベスが温泉好きになったひとつのきっかけが、中年男が運営する某温泉ブログ。簡単に言うと、食べログの温泉旅館版みたいな、ほぼ酷評で埋め尽くされているブログなんですが、これをエリザベスは気に入っていて、この男が絶賛する温泉をストーカーしたところから物語は始まります。

 

しかーし、このブログ主の男も実は世間一般的にはキモがられるおっさんというパターンで、エリザベス同様コンプレックスの塊なんですね。色々あって、この中年男性はかなり拗らせているのですが、その卑屈さがストレートすぎておかしくて憎めなくもあって、私は嫌いじゃない。

 

エリザベスも中年男性も、お客としている限りは誰も自分の触れられてほしくない部分には知らん顔してくれてくれるところに居心地のよさを感じているし、”自分が他とは違う人”だなんてバレていないとも思っています。普通の人として存在していられることの安心感といったところでしょうか。非現実感が人を楽にしてくれる感覚は私にもよーくわかるな。

 

ただ、人生ってそんなに甘くも優しくもなくて。違和感ある人ってパッと見でわかっちゃうものなんだろうけれど、みんな知らんぷりして大人の対応をしてくれているだけなんですよね、現実は。エリザベスの場合も上手くハーフを演じ切れていると思っていても、実際は整形でつくった不自然な外国人風の顔ってのはバレバレだっただろうし、これまでに行った旅館の人も彼女の嘘に付き合ってあげていただけなんだろうなーと。

 

だって、わざわざ言いませんもんね。「その顔、整形ですよね。目はカラコンですよね。本当は日本人ですよね」なんて。そんな喧嘩売って何になるのって。

 

子ども同士が言う容赦のない素直な悪口も辛いけれど、大人の触れない嘘もなかなかのパンチが効いているな、と思います。整形依存するエリザベスを見て、絶対こんな顔になりたくない、どんどん変になっていると思いながらも「めっちゃ可愛くなってるじゃん」と、周囲の人達は言うもんじゃないでしょうか。前髪を切った人には必ず似合ってるねと言っておかなければならないみたいな感じで。だいたいそんなもんですよね。自分のことじゃないから本当のことなんて言って傷つける必要はないと。

 

ちょっと前までは私、整形は自己満足できればオッケーじゃん♪くらいに思っていたのですが、周りの本音を知ったときにはそう思えなかったら、やっぱり自己満足だけでは済まなくなり、もっと、もっと変わらなきゃと終わりがなくなってしまうじゃないかと想像してしまいました。結局他人からどう見えるかが一番怖いのかなと。

 

でも、そこまできたら永遠に自分を認められませんよね。整形と限らず、他人からの花丸を期待していたら、いつまでもコンプレックスはコンプレックスのままなのかも。ダメダメな自分の中に、自分で丸を見つけていかなきゃならないし、そうでないと自分自身が納得できないようになっているのかもしれませんね。

 

で、この小説ではコンプレックスを抱えたふたりが温泉で出会い、ネガティブVSネガティブのぶつけ合いをすることで互いの傷を消化していくのですが・・・・

 

やはり温泉での裸の付き合いは、身も心もオープンにしてしまうってことなのでしょうか。人間、うまれた姿では嘘をつけなくなるってことなのでしょうか。普段は絶対に出せない言葉も吐き出せてしまうものなのでしょうか。

 

結末を一生懸命考えてみましたが、ちょっと難しくてよくわかりませんでした。

 

全体的にユーモアのある文章なので、悩み何ぞ笑って吹き飛ばせってことかもしれないし、それとも違う何かなのかもしれません。

 

というか私はエリザベスよりも、おっさんのほうに興味を持ったし、共感できる要素もあったし、何か辛くないか?と心配になりましたね。とてもじゃないけど笑っては吹き飛ばせない痛々しさに、彼だけが置いてきぼりになったような気がしました。

 

多分エリザベスは大丈夫、この先もたくましくやっていける。はて、おっさんはどうだろう?あんまり希望なさそう・・でもそんなことを考えているうちに読み終わっちゃった・・。

 

本当にこのおっちゃんはどうなったんだろう?タイトルの「温泉妖精」は、まさに彼のことなんですよね。(なぜ妖精というかを知るとズッコケますが)

 

なんだか最後、「妖精」の意味が本当は物語で言われているアレのことはなく、儚さのことなんじゃないかと思ってしまいました。

 

無事に生きてるのかな、おっさん。

 

ちょっと不完全燃焼な私でした。

 

 

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