チェルミー図書ファイル113-2

 

今回特集するのは、プロ棋士・先崎学さんのエッセイ『うつ病九段』のレビュー第二弾になります。

 

前回の記事はコチラ

 

第二弾では、先崎さんが苦しんだうつ病の症状についてまとめていきます。

 

BOOK著者紹介情報より
先崎学
1970年、青森県生まれ。1981年、小学五年のときに米長邦雄永世棋聖門下で奨励会入会。1987年四段になりプロデビュー。1991年、第四〇回NHK杯戦で同い年の羽生善治(現竜王)を準決勝で破り棋戦初優勝。棋戦優勝二回。A級在位二期。2014年九段に。2017年7月にうつ病を発症し、慶応大学病院に入院。8月に日本将棋連盟を通して休場を発表した。そして一年の闘病を経て2018年6月、順位戦で復帰を果たす(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 

Amazonより表紙

 

先崎さんのうつ病の症状

・朝が辛い、夜にかけて元気になる

・死をイメージする

・判断力、思考力の低下

・極限までネガティブになる

・本が読めない

・将棋が打てない

・疲れやすい

・声がかれる

・不眠

 

先崎さんの症状を大まかに分類するとこんな感じになります。

 

今回はその中から赤字部分を詳しくまとめてみました。

 

死にたがる病気

うつ病の何が辛いのかといえば、やはり四六時中死にたい願望に駆られることではないでしょうか。先崎さんも高い所から飛び降りるだとか、駅のホームで電車に飛び込むイメージをよくしていました。

 

世間では死ぬ死ぬ詐欺と言われるかもしれませんが、うつ病のときの希死願望は普通じゃありません。とにかく「死」に引っ張られる。何を見ても「これで死ねるんじゃないか」とか「今できるんじゃないか」という状態になるので、死ねそうな状況に自分の身を置くことは非常に危険です。ですから先崎さんも駅を利用するときは、長い時間ホームに立つことを避けていました。

 

頭の中では常に暗いことしか考えていません。それも極限までのマイナス思考で。人間の脳がネガティブなことを考え、考え、考えつめて、最終的にたどり着くのが自殺です。寝ている間がいちばん安全で、起きている間はずっと泣いている。そんな日々を送っていると、どうしても先が見えず、その恐怖から生きるというマトモな判断ができなくなってしまうのです。

 

判断力・思考力の低下

先崎さんはうつ病になってから、何を食べるか、何を買うかも判断できなくなりました。うつ病のおそろしいところはコレなんですね。自分では正常な判断や思考がまったくできないのに、不安や焦燥感だけは活発なので、何かをすぐに決断しなければならないような気持ちになります。

 

たとえば・・仕事を辞めたほうがいいのでは?退学したほうがいいのでは?お金が底をつきそうだから、もう復帰したほうがいいのでは?

 

実際は仕事や学校を辞めるのではなく、休職・休学するほうがベターであっても、パニックに陥った脳が決断することには誤りが多くなってしまいます。またそれと同様に、復帰のタイミングを焦り、うつを悪化させてしまうケースもあります。

 

うつ病のときは、とにかくお金の心配に悩まされます。経済的な不安は生きるか死ぬかの最大の要因にもなるので本当におそろしいことです。しかし、先のことばかりが気になるときに、あえてその不安を封印するのがポイントでもあります。

 

極限までのネガティブ思考

「うつってネガティブな人がなるんじゃない?」

これも誤解ですね。確かに几帳面な人や真面目な人がかかりやすい病気ではありますが、明るい人だってうつ病になりますよ。環境の変化で突然、発症することだってあり得ます。

 

先崎さんもおっしゃる通り、うつ病のときのネガティブ思考は、そうでないときのネガティブ思考とは別物です。うつ病のときのネガティブさとは、何でも悪い方向に考え、ポジティブな考えが頭の中から一切消え失せることをいいます。

 

わかりやすいのが回復期に「そういえば健康なときは、こんな考えもできたんだよな」というポジティブさに気づいたとき。このときになってはじめて、自分がいかにおかしな状態に陥っていたのかやっと理解できるのです。

 

本が読めない

活字が頭に入ってこないのも、脳が疲弊しているうつ病ではよくあること。先崎さんも一文読むのですら無理だったと語っています。そんな先崎さん、不思議なことにスマホの文章は読めてしまったといいます。これ、凄くわかります。読書ができなくてもスマホのニュースなら読めるって皆さんも経験ありませんか?こういう体験談を見ると、やはり脳の構造的なことに興味が出てきます。

 

人の脳はデジタル文書で得た情報をすぐに忘れてしまうという研究がありますよね。これってプラスに考えると”忘れる”ということは、それだけ脳の負担になっていなかったともいえませんか。逆に(紙の)読書はもの凄く脳をフル回転させているので、うつ病の脳にとっては苦しいのでは?と思います。

 

また、読むことは辛くても、自分のモヤモヤを紙に書き出すことは比較的やりやすいのが興味深いところです。読み書きでそれぞれ脳を使う部分が違うために、そうであるのかは分かりませんが、とにかく脳からするとこれ以上何かをつめ込まないで!のサインがうつ病であるのだと思います。

 

疲れやすい

先崎さんは将棋をした翌日は一日ぐったりしていました。人からすれば「運動したわけでもないのに?」と思われるかもしれませんが、うつ病の頭で人に会い、対局し、反すうし、という行動はいくら体力があっても気力が追いつきません。気が滅入れば自ずと体も疲れますよね。

 

自分でもなぜ?と思うくらい疲れて動けないこの期間。先崎さんを凄いなぁと思ったところは、ゆっくり寝たあとは必ず散歩に出るようにされていたことですね。よく頑張られたと思います。動きたくない気持ちを何とかしようとコーヒーを飲んだり、ゲームをしたり、自分なりに身体を起こそうと奮闘していました。リハビリを兼ねて気心知れた友人と将棋をしたり、ご飯を食べたりもしました。それでも無理をして疲れたなというときは、寝る。先崎さんは、ご家族や将棋仲間をはじめとする周りのサポートもあり、バランスのとれた療養ができていたのではないかと思います。

 

先崎さん自身は、回復期になってようやく周囲への感謝の気持ちが芽生えてきたと語っています。実は感謝ってポジティブに分類される感情ですよね。こうやって少しずつ本来の自分を取り戻していく過程が見られるのがこの本のみどころです。

 

 

感想

18歳の頃、私は突然もの覚えが悪くなりました。簡単な文章が覚えられない、簡単なミスを連発する、忘れ物が多い・・。ちょっとのボケ程度なら冗談にできましたが、日に日に悪化していくその様子に自分でも違和感を覚え、誰にも相談できずにいました。もしかしたら若年性認知症?とも思いました。

 

困ったのが学校の授業です。当時やたらと発表する授業があり、スピーチをする際には原稿を読むことが禁止されていました。ただでさえ忘れっぽくなっている頭、回転しない頭にとって、それは無謀に近い行為でした。

 

もちろん、本番では言葉がまったく出てこなくて声が奮えます。それまでの私は、人前で話すことに何の不自由さもなければ、カンペなしで代表スピーチするなんてお手の物でした。なのに、そんな自分がこんなになるなんて・・。

 

ふり返ると、その症状が出る少し前から先崎さんと同じように、体の異変を感じていました。

 

私の場合は不眠ではなく、”五分しか寝ていないのに朝になっている”ということが多々ありました。確かにさっき寝たばかりなのに、もう朝になっているなんて信じられない。まったく疲れが取れていない。また今日をもう一度やらなきゃならないの?
 

そして、当時大きな悩みを複数抱えていました。それは将来を左右するようなことで、先のことが不安になっていました。ただ、この時点では漠然とした不安・・としてまだ処理できていましたが、それが数年かけて現実に近づいたときに、次々とおかしな症状が現れるようになりました。

 

人に会いたくない、好きなことに興味がなくなる、みんなが笑っていることに笑えない、何もしていなくても勝手に涙が出てくる、とにかく先が見えないし不安でしかたがない、自分で物事を決められない、身体が重い、死んでしまいたい

 

20歳頃にはどんどん症状が悪化して、自分でも死ぬしか終わりがないと思いました。いつまでこんな状態が続くんだ、私は一体どうしてしまったのか、もとの私には二度と戻れないのか。

 

結果、あとからこれがうつ病だとわかったのですが、18歳の時点でそれに気づいていたら、どんなによかったのかと後悔があります。

 

うつ病になる前と後では、自分という人間が全然違います。私は以前の自分にはもう戻れないと思います。知りたくない自分を知ってしまったあとの自分は、やはり以前の自分ではありませんね。

 

ただ、ここから無理やりポジティブに捻じ曲げていくと、現在の自分はポジティブ人間にもネガティブ人間にもなれる二刀流人間であること。

 

なので人との会話において、思いっきり暗いネタを提供した後は、ガラリと変わって、アホみたいなネタを提供したりとか、ある意味ネタの宝庫だと思っています(笑)

 

『魚』についてネガティブに語れと言われたらそうできるし、ポジティブに語れと言われたらそうできる器用さは持ち合わせたかもしれません。

 

ありふれた言葉ですが、「光を知るには闇を知らなきゃならない」

 

これ、最初に言った人、天才ですね。当たり前なのに、なかなか気づけないことでした。

 

問題の答えは日常の当たり前のところにある。

 

疲れたら、単純に休め。

 

これをわかった今は、きちんと実践できるようになりたいです。

 

正直、私は『うつ病九段』をきちんと読むことができませんでした。考え事をしながらだったのもありますが、たったの一文が頭に入って来なくて何度も読み直していました。その前後に読んだ小説は面白くてあっという間に読み終わってしまったのに。

 

それはもしかしたら、先崎さんがキラキラしているように見えたからかもしれません・・。先崎さんには将棋があったから戻れたんだっていう羨望があったのかもしれません。お兄さんが精神科医なんて羨ましいな~という気持ちは確実にありました。

 

共感よりも、羨ましさが勝ってしまった私。

 

まだ、根っこにこういう感情があると気づいたし、まだまだでした。

 

人生、修行あるのみですね。

 

以上、『うつ病九段-プロ棋士が将棋を失くした一年間』のレビューでした。

 

 

今回レビューした本はコチラ