チェルミー図書ファイル106
今回ご紹介するのは、鴻上尚史さん×佐藤直樹さんの『同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか』です。
こちらは鴻上尚史さんと佐藤直樹さんが日本の”同調圧力”について、対談形式で解説していく本になります。
個人的な感想としては・・・
「知ってた」
ー完ー
という感じなんですが、驚くことにレビューサイトを見ると、「この生きづらさの正体は同調圧力だったんですね!」という意見が結構多くて・・。チェルミーはてっきり”世間様”というものは、それを承知でいるものかと思っていたのですが、案外気づいていない人が多かったのですね。
それならば、少しでも多くの人がこの息苦しさに疑問を持ったとき、何か社会に変化は見られるのだろうか?同調圧力を弱めることはできるのだろうか?そんな風に期待してしまうわけですが、本書ではそれは難しいと言われています。
日本社会から同調圧力をなくすことは無理だ、と。
社会のない日本
そもそも日本に蔓延する同調圧力って、どこから生まれたのだろう?ということを考えると、それは「世間」から生まれたわけです。この世間というのは「社会」とはまったくの別物でありながら、同じ意味を持っていると多くの人は勘違いをしがち。「世間」というのは、あくまでも自分と関りがある人たちだけで形成される世界のことで、とても狭い範囲の繋がりに過ぎません。対して「社会」というのは、自分とは関係のない人たち、例えば同じ電車に乗り合わせた人、すれ違っただけの人など、知らない人たちだけで形成された世界のことを言います。
本書では、日本人は「世間」に住んでいるけれど、「社会」には住んでいない、ということが語られています。
「社会」と「世間」の比較(P34より)※左が社会、右が世間契約関係 贈与・互酬の関係個人の平等 長幼の序個々の時間意識を持つ 共通の時間意識を持つ個人の集合体 個人の不在変革が可能 変革は不可能個人主義的 集団主義的合理的な関係 非合理的・呪術的な関係聖/俗の分離 聖/俗の融合実質性の重視 儀式性の重視平等性 排他性(ウチ/ソトの区別)非権力性 権力性
で、問題は、現在この「世間」というもの自体が日本社会では壊れかかっているということです。もとから「社会」が存在しない世界で、「世間」までも機能しなくなってきた。個がないのに、集団でも生きられない。じゃあ私たちはどうしたらいいの?という不安がうつ病だったり、自殺だったり、生きづらさとなって現れたりします。
じゃあ「日本にも社会をつくればいいじゃん」ということになりますよね。しかし、それもまた難しいのです。なぜなら世間には「個人がいない」からなんですね。そもそも英語のindividualと日本語の「個人」は意味がかなり違います。インディビジュアルがこれ以上分割できない最小単位だとしたら、日本では「世間」が一つの単位になっているくらいの違いがあるのです。なので、社会に属する概念を意味するパブリックという言葉も正確には理解できていません。
世間は日本以外にもあった
で、よく私たちが勘違いしがちなのが、「世間」というものは日本特有の考えなのだ!!ということ。実は遠い昔にはヨーロッパにも「世間」は存在していました。ただ、時代にそぐわなくなったので「社会」に切りかえたのです。
古のヨーロピアンも世間のルールにはウンザリしていたのでしょう。彼らはやがて「個人」を形成し、「社会」を生きる道を選びました。しかし、いくら欧米といえど田舎にいけば、いまだに世間の名残りがある地域もあります。ただ、そこには日本の同調圧力のようなものは存在しません。そもそも同調圧力を正確に訳すことができません。
世間は他にもあるのに、なぜ日本にだけ同調圧力が巨大化してしまったのか。ちなみに「いや、いや同じアジア圏の韓国だって似たようなものでしょ、日本よりヒドイでしょ」と言いたい人もいると思うので補足すると、韓国の世間は目に見えるモノ、日本の世間は目に見えないモノという違いがあると考えてください。イメージしやすいのが”世間様”という言葉。もはや世間が人格化されていますよね?日本人のいう世間とは、目に見えない、どこかにいるかもしれない他者への恐怖でもあるのですね。”ひと様に迷惑をかけてはいけない”と教わるのも、日本的な部分の象徴ですね。
そして、この”迷惑をかけてはいけない”が大きくなったのが同調圧力というわけです。これはもう法よりも力を持っているわけですから、世界から見たらとても不思議な現象に映ります。
メリットもある
しかし、この世間だとか同調圧力は、災害時や緊急時にはプラスに作用するというのは、皆さんもご存知の通りです。決してデメリットだけではありません。また欧米でも若者の間では、無神論者が増えたり、教会にもいかない人が増えてきました。そう、日本だけではなく、世界も同じように変わっているのですね。
世界が何を支えにしていいのかわからなくなっています。神?でも神への信仰も揺らいできたら何をもって個人としていられるというのだろう?世間?でも世間が弱体化しつつある中、どの集団に身を寄せればいいのだろう?
それぞれの国がそれぞれの支えを失う中で、日本はある意味、目立った位置にいるため何かと批判も浴びやすいです。神ではなくて世間を気にするだけでも特殊なのに、今はそこがブレてしどろもどろしている国なんですよ。それがコロナ対応で浮き彫りになってしまった。災害ではプラスに働くけれど、コロナでは同調圧力が自粛警察やら感染者への誹謗中傷などおかしな方向へいってしまった。「旅行にいくべきか、帰省するべきか政府が決めてくれなきゃわからない」という意味のわからないインタビューが取り上げられる。同じ日本人から見ても不思議です。
でも、まぁ今後の社会での生き方に試行錯誤しているのは欧米人も一緒。日本が先駆けて、世間と社会でバランスを取りながら生きていくために今、踏ん張っているところだとも思うのです。それは皮肉にも世間と同調圧力が息をしているため、唯一の実験モデル化している部分も否定できません。
ただ、私たちが恐れているのは、世間からはじかれた時に失う居場所だとか、ひとりだけ社会に放たれる疎外感とか、そういったものですよね。だから嫌だとか間違っていると思っても我慢して世間に従わなければならない。そしてその「世間」は日本からなくせないし、なくすことが正解かさえわからない。
バランスをとるってどういうこと?と考えると、世間に身を寄せつつも、ひとつの世間だけに固執せずに、小さな世間に複数所属しようというのが今のところベストなのかな、と思います。というか、それが日本人なりの社会の見つけ方なのかな?と思います。
サラリーマンが会社だけに存在を置くのではなく、趣味のコミュニティにも身を置くとかね。不倫を肯定するわけではありませんが、最近そういうのが流行っているのも「世間」からの逃避なんだろうと思います。
多分、多くの日本人が世間から解放されたいけれど、逃げ方がわからないのだと思います。
感想
チェルミーはこれまで、「同調圧力」は日本人のお家芸だと思っていたのですが、SNSの登場で世界各国の人の色んな声を知れるようになった現在は、考えが変わりました。
いや、どの国もなかなかの同調圧力してますよ。
ネット上が人格を変えるのか?団結力を感じて気持ちいいのかわかりませんが、人を叩くときの集団のパワーは世界共通ですわ。
しかも人を選んで攻撃しているあたりも、ね。世界の本当にヤバイ問題にはダンマリなのに、叩きやすそうな人とテーマであるならガンガン叩く。もう「正義」が保障されている安心感から、それこそ集団で圧力をかけてくる。
彼らは匿名じゃないからOKという人もいるかもしれませんが、これは同調圧力と同じではないかと思います。自分たちが批判される前に、他人を叩いておけば安全という認識もあるんじゃないのかな。
世間からも同調圧力、他国からも国単位で同調圧力、これは息苦しいですね。
これじゃ病む。結局ストレスの矛先がソコなんだから。
私たちは世間のルールに従いながら、世間をちっとも理解していなかったりもします。
一番の解決策は、「世間を学ぶ」ことかな。
とりあえず、暗黙のルール、LINEお返し文化からやめましょう!
既読スルーの何が悪い!
このくらいまでもっていけたら、楽になる日本人多いと思います(笑)
小さなことからさよならしていけば、少しは風通しも良くなるんじゃないでしょうか。
以上、『同調圧力』のレビューでした。
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