note「オヤジの思ひ出話」の転載記事です。

 

オヤジの思ひ出話が第80話を迎えました。80という数字は、2025年の今年、大変意味深いものがあります。太平洋戦争終結から80年目の大きな節目に当たるからです。

オヤジの思ひ出話で、原爆被災地を訪れた旅の思い出を書かせてもらおうと思い、今週は「広島」、次週は「長崎」をそれぞれテーマとします。まずは第80話「広島・・・20年の歳月」です。



広島を初めて訪れたのは1992年でした。ちょうど30歳を迎え、同じ年の夏に初めてひとり旅をしたという、私自身にとって一つの節目となった年でもありました。

実は、もっと早く広島には行ってみたいと思っていましたが、チャンスがありませんでした。それを考えると、修学旅行など10代で広島を訪れる機会がある子供たちが羨ましく思いますよ。

初の広島行きは、広島がメインの旅行地ではなく、津和野、萩、秋芳洞などの観光地を巡った最終日の最後に、宮島とセットで立ち寄ったというプランニング。ほぼ、広島平和公園のみの見学となりました。

被爆者を慰霊し、平和を祈るモニュメントには、たくさんの千羽鶴が備えられており、この地を訪れた誰もが恒久平和を祈らずにはいられなくなります。私もしっかりと手を合わせてきました。

最も強く印象に残ったのは、平和記念資料館に展示されていた「物言わぬ三輪車」でした。乗っていた3歳の子供とともに被爆した三輪車は、一瞬にして子供の命を奪った原爆の怖さを無言で伝える展示。

当時の思いを「たび白書」でこう記しています。

何も物を言わないひとつの三輪車を見るにつけ、やっぱり現地での本当の訴えは、ここ、ヒロシマに来ないことにはわからないんだなあ、というのを痛感する思いだった。

 

それから20年の歳月が流れ、2012年12月に再び、広島の地を訪れる機会が巡ってきました。この時もメインは宮島と神戸だったので、広島は宿泊と夜の飲み歩きのみの滞在だったのです。

それでも、せっかく来たのだから平和記念公園だけはお参りしていきたいと思い、2日目の朝、新幹線に乗る前に訪れました。2度目でしたが、原爆ドームの存在感には圧倒されましたね。

静かな公園内を歩き、原爆死没者慰霊碑の前で手を合わせて祈ろうとしたその時、慰霊碑の先に原爆ドームが飛び込んできたのです。全く予想もしていなかった構図に、思わず声を上げそうになりました。

もとより、そのような設計にしたのでしょう。にしても、この構図には意表を突かれますし、いやがおうにも原爆被災地ということを強烈に印象付けさせてくれます。

余談になります。原爆ドームも写真に撮ってきたのですが、そのうちの数枚が何とピンボケだった・・・仕事でも使う一眼レフカメラで、こんなことは滅多になく、どうしたことかと首をひねりました。

「もう一度、しっかりと原爆ドームや平和記念公園をお参りに来なさい」というお告げだったのかも。あれから13年過ぎ、チャンスはなかなか巡って来ませんが、3度目の広島訪問をぜひ実現させてほしいと願います!

 

★長崎編もぜひ読んでください

 

 

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