元横綱・曙さん訃報のニュースを聞いて | ライター&挑戦者マイケルオズの気まぐれトーク

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大相撲の元横綱であり、後にプロレスラーとして活躍した曙太郎さんが亡くなったというニュースが入ってきました。闘病中だと聞いていましたが、まだ50代は若すぎますし、残念に思います。

 

まずは曙さんのご冥福をお祈りいたします。(画像は日本相撲協会のツイート)

私にとっての曙さんの思い出は、外国出身力士として初めて角界の頂点・横綱になり、ライバルだった若貴や武蔵丸らと激しい戦いを繰り広げた大相撲の功労者ということに尽きます。

 

曙さんが入門したのは昭和63年春。当時は若花田、貴花田の人気がすごかったのですが、ハワイ出身の巨漢だった曙さんも注目度の高い新弟子で、新時代の台頭を予感させられました。

 

大横綱の千代の富士をはじめ、大乃国、旭富士、北勝海が次々と引退するなかで、まず角界のリーダーとなったのが曙さんでした。突っ張りと押し、体を生かした寄りは、まさに規格外のスケールでしたね。

 

曙さんの後を追うように、貴乃花が横綱に昇進し、その後若乃花、武蔵丸も横綱まで昇りつめました。大関にも貴ノ浪をはじめ、千代大海、武双山、魁皇など多士済々の力士がおり、今思えばスゴイ時代でした。

 

曙さんというと、1998年の長野五輪を思い浮かべます。日本の伝統文化を紹介すべく、大相撲の力士たちが開会式に参加し、曙さんは横綱土俵入りを披露しました。

 

当時は「最強の横綱である貴乃花に土俵入りをしてほしかった」と思いましたが、今考えれば、国際的なイベントであるオリンピックだからこそ、外国人横綱の曙さんが土俵入りしたことに大きな意味があったと思っています。

 

曙さんは現役引退後、横綱特権を使ってしこ名で親方を務めましたが、3年弱で日本相撲協会を退職。退職から2か月後の大みそかにK-1のリングに上がり、ボブ・サップと試合を行いました。

 

ボブ・サップに打ちのめされ、リングにバッタリと倒れ込んだ曙さんの姿には、ガッカリというよりも正直寂しさを感じてしまいました。若貴と激闘を繰り広げた強い横綱の面影はどこにもなかったからです。

 

それでも曙さんは格闘技の世界から離れることは無く、プロレスラーとして「現役」を張り続けていました。横綱のように頂点を極めたわけではありませんが、個性豊かなレスラーとして活躍していたことは間違いありません。

 

共同通信は訃報記事のなかで「第二の人生は不遇だった」と書いていますが、私はそうは思いません。むしろ、プロレスという世界のなかでエンターティナーぶりを存分に発揮できた「見事な第二の人生」と言いたいですビックリマーク

 

長い闘病生活は苦しかったと察します。ゆっくりとお休みください

 

 

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